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zoomでオープンダイアローグ

先日オープンダイアローグオンライン研究会(おんけん)さんのセッションに参加させていただいた。

前回7月に参加させてもらって2回目。結論から言うと、とってもオープンダイアローグだった。zoomでも基本がちゃんと守られている限りODは可能である。むしろこちらの方が精神的、肉体的にも楽な方は多いのかもしれない。

1回目はセッション2回とも聞き役で、雰囲気がとてもよく、また同じメンバーだったらいいなぁなんて思いながら参加した。

今回も聞き役に徹しようかなんて思ってぼーっと参加していたら最初の方のお話に触発され、はからずも2回目のセッションの語り手になってしまった。原家族の問題なのだけどずっと心の奥にあった問題だった。話しているうちにあれ?私、何が話したかったんだっけ??と動揺した。堂々と話せる内容ではない為、無意識に防御が入っていたのかもしれない。

ファシリテーターの方がまず共感の言葉をくれたことにほっとした。そしてみんながゆっくりと言葉を選びながら、でも率直に質問してくれてそれに応えるうちに緊張がほぐれてきた。そしてリフレクティング・・・zoomの場合、話し手は画面も音もミュートにして他の人が私の問題について話しているのをぼーっと見る、と言うか聴く。これが不思議な効果をもたらすのだ。

どの人の意見も違っていて自分からは見えない視点なのでハッとする。だけど共通するものがあってそれは話し手に対する思いやりや、ねぎらいや、リスペクト、の・ような姿勢(言葉ではあらわしづらい)があり、深い部分が癒されていくような感覚がする。斎藤環先生が「ODは治療ではなくケア、そしてケアは誰にとっても必要で有効」とおっしゃっていたがまさにその通りで自分という土台にじわじわと効く感じ…。

感想を聞かれたがあまり言葉が出て来ず・・・・しかし、ありがたい、という気持ちが心の中に渦巻いていた。私以外の5人、一人一人が誠実に無理せず自分の中にある力を使って励ましてくれた感じがして心理的にラクだったし、心の奥の方で不思議な力が湧くのを感じた。一人一人の意見はそれぞれで違って聞こえるのに姿勢は共通してるので包まれるような癒されるような感じ。これが調和(ハーモニー)ではなく多声的(ポリフォニー)という気がする。ハーモニーは誰かが誘導して一つの解に導いている、というイメージがある。

今回の私の問題はカウンセラー始めいくつかの機関に相談したのだが、それぞれの結論ありきでそれをやんわりとだが押し付けられるような感じがあった。それが私にはとても息苦しかった。ODは誰も変わらなくていいし無理しなくていい。でも辛い時は、寂しい時はそっと寄り添う、そんなイメージ。もしも変化が必要ならば花が咲くように実が熟すようにきっと自然に変わる…。

最後の「ふりかえり」の場で、話してくださってありがたいなぁって思う、とおっしゃってくれた方がいた。私も聴き手の時はそう感じてる。真剣に聴いていると話してくれて(開いてくれて)ありがとう・・・って気持ちが自然湧いてくる。話し手も聴き手も同時にケアされる、というのが本当に私がODに惹かれ続ける理由なのかもしれない。ケアとは本来そうあるべきだと思う。

他の人のことをまた自分自身のことを実は本当には理解できない、そう謙虚に思うことが前提で、でも理解しようとする姿勢が双方の心を少しづつ動かすのかもしれない。

私自身もODについてますます勉強を深めたいと思った。最近おんけんさんはとても人気のようでセッションもすぐ埋まってしまうようなんですが、ODという考え方を知って今なんだか苦しい方が少しでも楽になれたらいいなぁと思います。

安心、安全の場を作ってくれているスタッフの方、協力してくれた参加者の方、本当にありがとうございました。


今日の一冊 ※最近読んで一番わかりやすいなと思ったODの本。後ろ表紙に書いてあるこの言葉をずっと胸に抱いていたいと思います。

“「自分自身を知る」とは「自分はこういう人間だった、わかった!」という理解ではありません。

自分自身もまた「汲み尽くすことのできない他者」として理解することです。

対話実践とはその意味で、自分自身との対話でもあるのです。”


#オープンダイアローグ #オープンダイアローグオンライン研究会 #おんけん #斎藤環


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