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義手を使って看護師になった話

もし、高校生や中学生の自分がこのようなタイトルをみたらどんなふうに思うだろうか。
「ふーん?」で終わりそうな気もするし、「なんだ、悩んどいて結局看護師になったのかよ。」ってなりそうな気もする。

これを書いていて思ったのは、なってみなければわからないことがほとんどだということだった。

そもそも私が看護師になろうと思ったのは、看護師になって海外で働きたいという理由だった。看護師がどんなこともするのかほぼ知らないまま、ただ写真で見た看護師がかっこよさそうに見えたからである。

『詰めが甘い』のは小さいころからだった。
むしろ詰めが甘いからこそ、小さいころは恐れることなくいろいろできていたのかもしれない。
私は生まれつき左手の手首より先がない。でも家族はかわいいと言ってくれたし、逆上がりもできる。みんなと同じ小中学校に通い、懸垂や腕立て伏せ・タイピングなんかもできた。ときどき、いやなことを言われたりしたが、そんなに多くもなく、深い傷となることは少なかった。
だから、みんなと同じようにできると思って疑わなかった。

『そうじゃない』と気付いたのは、大学の看護学専攻に浪人を1年して入った後のことだった。担任の教授(助産師)に呼ばれ個人面談。
『あなたは臨床の看護師になることは難しい。先生や保健師などの道もあるよ。』
いままで『できない』と言われたことはなかった。衝撃的だった。
『この人たちは医療従事者なのに私のことわかっていない!』
怒りで狂いそうだったし、もう当時のことははっきりと覚えていない。
電車に飛び込む夢を見たこともある。それくらい不安定だった。

大学を辞めることを何度も考えた。
でもそこで私を引き留めたのは『海外に行きたかったんじゃなかったっけ?今、私はそれを辞めたら、自分に自信がなくなるんじゃない?もう引きこもっちゃうんじゃない?』

今だったら思う。そんなことはない。看護師以外にも仕事はいっぱいあるし、そんなきつい思いをしてまで大学を出る必要もない。世の中は多様性にあふれている。もっと今の自分にあった仕事も見つかっていただろう。しかし当時の私はそれがわからなかった。不安な将来をどう生き抜くか、意地でも看護師になる必要があると感じていた。

だから、頑張った。必死で看護技術ができるように先生たちと模索したり。
義手を作ってくれるところに片っ端から電話をかけて回ったり。
ようやく出会えた、熊本機能病院の中島先生と、徳田義肢の方、作業療法士の方には頭を下げても下げても足りないくらいだ。
大学の教授会に時間をもらい、看護実習前に義手のプレゼンを行った。どんな事ができて、どんな事ができないと予想されるか。
実習先では、義手や自分の障害についての資料と画像データを配布した。
自分でいうのもなんだが、一瞬の頑張り度を評価してもらえるなら、あの時の私は優勝だっただろう(笑)。

親には相当棘を振りまいた。母親には会う度に、助けと言葉の槍を交互に浴びせていた。今考えても涙が出るほどだ。
でもここが私の性格なのだろうか、まだはっきりとお礼と謝罪を言えていない。

就職活動では悔しい思いもしたが、それも今となってはいい勉強だった。
『周りにとって自分がどうみえるか』『相手は知らないからこそ恐怖心を覚える』『自分が周りの人に知ってもらう努力が必要』。
身体的なマイノリティだからこそ言える。マイノリティは自分たちを知ってもらう努力が大切だ。

当時自分が不安定になっていることは感じていたので、大学のカウンセリングに行った。その時にカウンセラーの先生に言われたのは、『大学の先生たちがいうことはきついかもしれないけど、あなたを守ろうとしているんだよ』
当時はわからなかった。でも今、看護師をしていて思う。
看護師がいかに難しいかを。そして先生たちが、その難しさに直面した時に、私が心折れないか心配してくれていたことを。
大学の先生たちは、私へ難しいよと厳しい助言はくださったが、決して諦めることはなかった。私がしたいようにさせてもらえたし、かなりの手助けをしてくださった。
そして、大学4年の研究室の先生は、『あなただったらできる』と言ってもらえた。感謝してもしきれない。

運よく就職できたが、就職先での葛藤もあった。でも振り返ってみると、周りの人が私を看護師にしてくれたのだと思う。
看護師であることは、一人ではできない。周りが私のできることできないことに対して、配慮をしてくれたのだ。

誰にだってできないことはある。その、『できないこと』を知ることが私には大切だった。
今、『多様性』の話を聞くことがあるが、多様性とは、みんなができないことをできないといえる世の中になることじゃないだろうか。
特別なものではない気がする。

先日、小中学校にお話をしに行く機会があった。その時になんで私は今ここに立っているのだろう?と改めて考えさせられた。
私は一人で立っているのではない。私の周りが私を立たせてくれている。

感謝を伝えきれるのかはわからないが、今感じていることをこのノートに書き留めたかった。

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