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「女性」から「母」になった日。専業主婦になりたくないという呪いから解放された
2024年4月28日 17時40分、待望の第一子を出産した。
50㎝、3,638gの大きな男の子。
一日一日、命を育むことに全力で、凄まじいスピードで成長していく我が子のすやすや眠る横顔を眺めながらふといまの感情を書きとめておきたくなった。
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ついこの前までお腹にいたのに、本当に自分の身体から出てきたのかと半分信じられない気持ちと、なにに替えてもこの子の命と笑顔を守っていきたいという強い想い、そしてなによりも「無事に産まれてきてくれて本当にありがとう。」という愛で満たされている。
出産はいままで経験したことのない痛みで、でもお腹の中にいる赤ちゃんが無事に出てきてくれるよう願いながら、自分でもどこから湧いてくるのかわからないエネルギーを振り絞って、ひたすら息を吸って吐いてを繰り返していく。
安産のため、と言われることは全てやった。
そろそろお腹の中に来てほしいなと考え始めてから、食べるものや生活習慣を整えた。ありがたいことに夫婦で迎え入れる準備をしてすぐに赤ちゃんが私たちのもとにやってきてくれた。
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妊娠期間中はとにかくよく動いて、身体に良いものを食べて、規則正しい生活をし、ストレスを溜めないようにした。
そのおかげか、大きなトラブルは何もなくお腹の中の赤ちゃんの経過も順調。自他ともに認める健康体そのもの。これは安産かもね。ってみんなに言われてたし私もそう思っていた。
「母」になる準備が始まった切迫早産での入院
が、実際フタを開けてみると、そううまくはいかなかった。
産休取得ができる予定日6週間前、その当日まで仕事をし、夜は会社のグループ懇親会だった。おいしいごはんを食べ、職場の人たちと談笑し、抽選会で特賞の奄美⇄鹿児島往復券が当たり、上機嫌で大きいお腹を抱えながら締めの六調を踊るくらいには元気だった。
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懇親会がお開きになり、夫は私の兄と従兄弟と二次会へ繰り出して行った。私は先に寝てるからゆっくり楽しんできてね~と私の親戚とも仲良くしてくれるのが嬉しくて、温かい気持ちで送り出した。
しかし、家に帰って水がちょろちょろ漏れているような感じがする。もしかして破水!?となり、慌てて病院に連絡。家にひとり。心配を抱えながら、最低限の荷物を詰めてタクシーで病院に駆けつける。
モニターを取っている最中に屋仁川で飲んでいた夫が顔色を変えて、タクシーで駆けつけた。一緒に飲んでいた兄と従兄弟も気が気でなかったと後から聞いた。
破水かどうか検査しないとわからないということと張りが頻回ということで「切迫早産」の診察を受けそのまま緊急入院に。
その日は34週1日目。「万が一産まれたとしても赤ちゃんの命は助かるだろう。でも肺が完成していないので、何かしらの障害が残るかもしれない。とりあえず張り止めの点滴をしながら様子を見ましょう」と告げられた。
それまで経過が順調だっただけに、私が働きすぎたからだろうか?ムリをしたから?という自分を責める気持ち半分と次の日は結婚式からちょうど1年記念日、最後の夫婦だけのゆっくり時間ということで夫がお泊まりデートを企画してくれていて、それをドタキャンせざるを得なくなったことへの申し訳なさ半分で、感情が消化しきれず、ひとり病室でわんわん泣いていた。
担当医から、夫に「お腹の中の赤ちゃんは大丈夫だと思いますが、お母さんのメンタルの方が心配です。」と告げられていたと後から聞いた。
突然メンタルが落ちる私を心配する夫。母にも「もう病みそう、早く退院したい。」とLINEを送ると、
「元気だからってムリをしすぎたのかもね。でも24時間点滴と言っても、トイレには行けるんでしょう?母はなっちゃんの時の入院はトイレにも行けずベットから動けなくて苦痛だった。今はパソコン、スマホがあるから大丈夫」。何か必要なものがあったらLINEしてね。
と愛がありながらも頑張りなさいというメッセージが返ってきた。この時、「母は強し」と心の底から感じた。
もう私は女性から母になるんだ、お腹の中の赤ちゃんのためにも前向きに頑張らないと。と心の中に決めると、気持ちが切り替わった。
と同時にあらゆるママから、「産後は本当に自分だけの時間がなくなるから、いまが最後の休息時間だと思ってのんびり過ごしてね」とメッセージがたくさん届いた。
結局、入院期間中一度も張りを感じることなく、あの張りはなんだったのか?と周りの人みんなが拍子抜けするくらいに元気な状態で退院した。
そのあともいつ陣痛が来てもおかしくないから、ということで夫婦最後のデート♡と言いながら夫婦での時間を大事に大事に過ごした。
でも一向に陣痛はやって来ない。
周りで見守っている人たちもまだ来ないの?もう産まれた?といろんなところで聞かれた。それは私たちが一番思っているよ、と思いながら、退院から3週間陣痛が来ることなく、結局予定日前日に。
安産のイメージとかけ離れていた壮絶な出産
その日、夫のおじいちゃんの命日だと聞かされる。そう聞いたらなぜかなんとしてでも今日中に産みたい。と思い、いろんな人に「今日産んでくるね!」と謎の自信を胸に会う人会う人に伝えていた。
本当にその日の19時、陣痛感覚が病院に連絡してくださいと言われていた10分を切り出した。落ち着いて準備を始め、夫婦ともにシャワーを浴び、20時過ぎに病院に到着。
安産にまつわる情報を切迫入院の暇な間に調べ尽くしていたので、スピード出産2時間とか3時間みたいな情報を見て、私は健康体だし、今夜中に産まれるだろうなと勝手に確信していた。
モニターを確認してもらい、陣痛始まってますね。と言われ、やっぱりと。
だがしかし安産体操など調べていたのに、まさかの陣痛室が空いていない。分娩台に直接案内され、まあ数時間で産まれるからいっか、と思っていた。
それがどうしたものか強烈な痛みに襲われるのに、陣痛感覚が6分をなかなか切らない。その場にいるスタッフもおかしいですね、と首を傾げながら気づけば朝を迎えていた。休める時に休んでくださいね、と言われるも6分に1回強烈な陣痛に襲われるので、眠れたもんじゃない。
朝になり産婦人科の先生の内診があった。子宮口全然開いてないですね。と言われ絶望する。このまま二晩越せばお母さんの体力が持たないと思います。陣痛促進剤を使いますね。必要となれば緊急帝王切開をします、と告げられた。
もうこの子が無事で産まれてくれたらなんでもいい。という想いと、帝王切開をしてしまったら3人目以降は産めないんじゃないか。という想いで葛藤しながら、強いのに一向に感覚が短くならない陣痛に遠のきかける私の意識を支えていたのは、戦後1945年から70年間現役助産師さんを続けた坂本フジヱさんの著書「大丈夫やで」に書かれていたこんな言葉。
「赤ちゃんは自分が死ぬような生き方はしない」
「母ができるのは赤ちゃんが頑張れるように酸素を送り続けることだけ」
「生まれ方は生き方。苦しいお産を乗り越えた経験がその後の人生に繋がる」
大丈夫、この子はきっと産まれてくる。そう信じてひたすら吸ってははいてを繰り返し、お腹の中で頑張っている我が子に向けて酸素を送り続けた。
ほぼ丸一日水分しか取れていないのに、「どこからそんな力が湧いてくるんだろう?」と不思議なくらいのエネルギーが湧いていた。陣痛と陣痛のわずかな感覚は気絶したように意識を失う。そしてまた痛みと共に1分間酸素を送り続けた。陣痛はどんなに痛くても1分しか続かないというのがせめての救いだった。
そして、陣痛開始から約22時間後の17時40分、最後、会陰切開と吸引をしてもらい、体重3,638gの元気な男の子が産まれてきてくれた。
正直産声を上げた時は涙を流す余裕がなく、なかなか出てこない胎盤にまだ意識が向いていた。ここで胎盤が剥がれ落ちたら大量出血してしまうかもしれない。まだ油断はできない。陣痛の時と同じように息を吐き続ける。
無事胎盤が出てきて、産まれてきた赤ちゃんが自分の胸の中に、自然と「産まれてきてくれてありがとう」という気持ちが湧いてきて、その瞬間私は一人の「女性」から「母」になった。これからはこの子の命を自分の命をかけて守っていくんだ、そう強く感じた。
出産を終えたその後は気絶するように眠りについた。
「女性」から突然「母」へ
次の日目覚めると、身体を走る全身の痛みと共に、我が子を守らないとという動物的本能が目覚めた。
ホエールウォッチングの時、ザトウクジラの親子にあって、子ども側に私たちが近づいてしまった時、母親が急旋回してきて、子どもを守ろうとした。その母性は凄まじくて、一瞬死を覚悟する程だった。
このザトウクジラのように、産後の女性は「女性」ではなく、「哺乳類」として生きている。命の手綱だった臍の緒が切られ、今度はおっぱいを通してお腹の中にいた赤ちゃんの命を育んでいるのだ。
次の日、産まれたばかりの赤ちゃんをナースステーションに預けたら、我が子を取られたみたいで、ソワソワ落ち着かなかった。
病気が見つかったのかな?元気にしているかな?泣いてはいないかな?帰ってこなかったのはわずか1時間半の間なのに、その時間が途方もなく長く感じた。
ようやく帰ってきた時は自然と「無事でよかった」と笑みが溢れた。おかえり〜と我が子を迎え入れる私はすっかり母の顔に変わった。
自分の身体はボロボロだけど、そんなのも忘れるくらい目の前の命を守ることに必死。これが母性なのか、と肌で感じた。
入院生活の6日間、1時間半以上まとまって寝れない中で24時間自分と赤ちゃんの命を守ることに必死だった。母は強し。と昔から言うけれど、本当に「母性」というのは人を強くしてくれる。
睡眠時間は1日3時間、極限状態なはずなのに、なぜか眠れない。産後の母はホルモンバランスが乱高下し、自分でも自分の体と心の変化についていけない。それでも弱音を言っている暇はない、目の前に守らないと紡いでいけない命があるのだから。
終わりのない闘いに思えた入院生活も最初の3日が山場で、4日目からようやくこの赤ちゃんの命を守りきったという気持ちになる。5日目、6日目は限界が来ている母体をかろうじて休めつつ、助産師さんと産後のサポート体制などを話し合って7日目に家族に迎えてもらって、とりあえず退院。この7日間無事に命を紡いでこれたお七夜を祝う風習が昔から日本にあったのは理にかなっているなと感じた。
安産とはネットの情報では「スピード出産」のことだと思っていたけれど、「赤ちゃんが安全に産まれてきてくれること、そしてその後の母体も安全に生きて回復していけること」だと思うと、私の場合は結果として、スーパー安産だったのかもしれない。
ママもう大丈夫だよ。だから笑って。
子どもはママを笑顔にするために産まれてくると言われている。
産後6日目、明日に退院を控えた夜、身体は疲労の極限状態を迎えているはずなのに、寝られなかった。目を瞑っても深呼吸しても何をしても寝れない。完全に覚醒していた。
どうしたら寝られるだろう?普段どうしているかな?それを考えた時、すやすやと眠る夫に添い寝しているなと思った。病院には夫はいない。でもパパそっくりなかわいいかわいい我が子がコットに入っている。
コットから取り出してそっと膝の上に置いた。
ママもう大丈夫だから笑って。
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そう言ってくれた気がした。その瞬間どこからともなく涙が溢れ出して1時間泣き続けた。この子の命を守らないとと張り詰めていた気がほぐれ、安心感と産まれてきてくれたことへの感謝で満ち溢れた。
新しい時代への幕開け
産後ハイな状態でこんな考えが浮かんできた。
出産してから覚醒してしまって、1日3時間しか寝られてないんだけど、なんとなく日本に新しい時代がやってくる。そんな気がする。戦後のひたすら経済成長を追い求めていた時代が終わって、ただただ家族や大事な人の幸せと健康を大事にする時代が始まるんじゃないかなぁ🤔
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
出産前はいかに出産後も子育てと仕事を両立するかを考えていたけれど、実際に自分が出産してみて、新しい命を産み育てるってことは、母親にしかできなくて、仕事と並行ってことはムリ。というか目の前の命に全力で向き合って、健やかに育てていくことが母にとって最大の仕事。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
でもだからといって女性であることを捨てなくていいし、諦めなくていい。母として生きるのが苦しくなったら女性に戻ってきたらいいし、母に専念したいときはしたらいい。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
幼少期のトラウマからずっと専業主婦になるのが怖かったけど、ようやくその呪いから解放された感じ。
亭主関白で家庭を顧みない父親、自分を犠牲にして家庭や子どもに尽くす母親、経済成長期にはそんな家庭が多かったんじゃないかな。でも結局、親としてこの幸せを願う気持ちは同じ。母はこの子の命をなんとしてでも守らないといけないし、父親はそんな子と妻を食べさせていかないといけない。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
お互いがお互いの抱えてるプレッシャーを理解できなかったから、「俺のほうが」「私のほうが」となってお互い寄り添うということを忘れていたけれど、いまは時代が変わって、どちらかが100%を担わなくてもいい。収入源も家事育児もシェアしたらいい。さらに昔より便利な世の中になっている。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
だから昔より格段に子育てはしやすくなったはずなのに、子育てしづらい風潮が。それは仕事に傾向しすぎて、男性も女性も子育てをキャリアブランクと捉えるし、ストレス社会の中で子どもという予測不能な生き物を受け入れるだけの社会的余裕がなくなってしまったから。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
でもそれもコロナ禍におけるリモートワークの出現でかなり変わった気がする。決められた場所・時間で働くことが労働とみなされていたけれど、いまは好きな場所・時間で働けるように。そうなると子どもという予測不能な生き物がいたとしても子育ての合間に仕事ができる。
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
そうなってくると、自分の心を許したパートナーと新しい命を育んでみたい、という感情が湧いてくるのは自然な流れなんじゃないかな?これまでいずれ子育てはしたい、でもキャリアを積んでからと考えていた人たちが、子育てしながらでも仕事はできるじゃんとノマド中心に考えが変わっできてるような🤔
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 4, 2024
戦後の日本を支えたのは勇ましい男性と献身的に支える女性。それが高度経済成長期に支配する男性と自己犠牲を強いられる女性に変わり、女性軽視が長く続いたことがいまの少子化、国力低下に繋がってる気がする。でもいまその子ども世代が男女等身大で協力し合って新しい日本を創っていきそうな予感🌈
— なっちゃん | しまんちゅライター✍@奄美 (@NatsumiArimura) May 3, 2024
両家のご先祖様が紡いでくれた命
2024年5月5日。お七夜そして初節句を無事に迎えることができました。
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名前はパパ「啓太」の「太」を取って涼太(りょうた)くん。
響きで絶対りょうたがいい!と直感で決めたママと漢字の意味などを色々調べて最終的にパパが「涼太」と名づけてくれました。
どんな時にも冷静さ聡明さを持ち合わせて、
わんぱくながらも器の大きな子に育って欲しい
お互い本家や長男を大事にする家で育ったパパとママ。
そして長男の嫁に嫁いだ末っ子の娘から産まれたパパとママ。
今回は、ママが生まれ育った土地、奄美大島にパパが京都から移住する形で暮らすことに。そしてお祝いの兜はパパのおじいちゃんが初で唯一の男孫に送ってくれたプレゼント。
そんな大切な兜をママの家族・親戚みんなで囲んでお祝いすることができました。
赤ちゃんは産まれてくる日を自分で選んでくると言うけれど、切迫早産で入院した3月19日はマルエーグループ新年会、そして1年前のその日はパパとママの結婚式。誓いの言葉の後ろでは、ママのひいおじいちゃんとおじいちゃんの名前を取った「治栄丸」がママとパパを見守ってくれていました。
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そして、陣痛が始まったのはパパのおじいちゃんの命日。その日には産まれなかったけれど、結果として、お七夜と初節句が重なる奇跡が起きました。
いくつもの奇跡が重なって産まれてきてくれた大切な大切な命。
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涼太くんはママとパパの宝物です。
産まれる前から多くの島の人に愛されてきた涼太くん。病棟でもかわいいかわいいと言われて、子は国の宝だ!と病棟に入院しているおばあちゃん達に何度も言われていたよ。
涼太くんの未来、そして日本の未来、奄美の未来はきっと明るいよ🌈
家族3人でいろんなところに出かけて楽しい想い出をたくさん作ろうね。
豊かで彩りある人生になりますように。と願いを込めて7月16日(なないろの日)に夫婦になったママとパパより。
最後にお母さんへ。
大変な時代に産み育ててくれて、ここまで大きく育ててくれてありがとう。母になって改めて母の偉大さを感じます。おかげで大切な人に出会い大切な命を育むことができました。これからは「母」としてではなく、ひとりの「女性」として大いに人生を楽しんでね🌈ママの笑顔が子どもにとって1番です。
そしてお義母さんへ
大変な時代に啓太くんを産んで、優しくて愛溢れる子に育ててくれてありがとうございます。おかげでパパそっくりのかわいい我が子に出会うことができ、家庭に幸せが溢れています。これからもひとりの女性として大いに人生を満喫してくださいね🌱
ご先祖様を大事に。
子は一族に繁栄をもたらす。
子・孫・親戚みんなで仲良く過ごす、それが1番の財産。
ずっとおじいちゃんが生前言い続けてきたこと、そのメッセージをふと思い出した日。
奄美に昔から伝わる結の精神で絆を大事に。戦後なにもない状態から、奄美の人の生活を豊かにすることで栄え、2022年に創業100周年を迎えたマルエーグループ。次の100年は関わる人の心身ともに豊かな生活を叶えることで栄えていく、そんな気がした出産体験でした👶♡
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