「母最高かよ」って言ってもいいですか?
いま私たち母親アップデートコミュニティは、母の日に合わせて、「母最高かよ」と思うことをつぶやこう、書こうという企画をやっています。
このテーマを決めるにあたり、正直言うと葛藤がありました。
私は自分が母親になるまえは、「母親って、しんどいもの」というイメージがなんとなくあり、たしかに日本のなかで母親が置かれている状況は、ひと言で言うと「無理ゲー」なんだと思います。
「母親は、家事育児ができてあたりまえ」や、「家事育児は母親がやるもの」という固定観念は無意識のうちに持ってしまうし、そのなかで働こうとすると仕事と家事育児の両立問題がでてきたり、キャリアのカベもある。働かない場合には、後ろめたさがあったり、専業主婦 vs ワーキングマザーという対立構造を言われたりする。
ひとりひとりが、それぞれがんばっていて、問題を自己解決している。
「自己犠牲が美しい」という空気もいまだにあると思っています。
「母親は、子どものために生きるもんだ。自分のしあわせは後回しでいい。」
そんな風に思っていたこともありました。
でも、いまは違います。
母親である自分自身がしあわせになる、それが子どもにも伝染する。
「しあわせにならなければいけない」ではなく、もっと母親自身がしあわせを楽しめるような社会にしていきたいと思っています。
人類史上の歴史を見てみても、ここまで親だけに子育ての責任がのしかかることは無かった。長屋のように、社会で子どもを育てるものだったことから考えると、核家族化していて、「親(特に母親)が子どもを育てるもの」というプレッシャーはおおきい。
いまコロナ禍で、これまで以上に苦しんでいる人も多いなか、
「母最高かよ」なんて言っていいのかな?
そんな葛藤もあります。
こんな葛藤をnoteに書いていいのかなとも思います。
それでも、「母最高かよ」と思うことが日常にいっぱいあるので、そのちいさなことに気づき、ちょっとでもしあわせが広がればいいなと思い、「母最高かよ」の企画をやることにしました。
わたしが「母最高かよ」と思ったことを書いていきます。
わたしの「母最高かよ」
「ほんとに子育てしているの?」とよく聞かれるし、子育てが苦手な自覚がある私。
「母最高かよ」の企画があることで、母としてのしあわせな瞬間に気づけるいいきっかけになっています。
息子がマウンテンバイクに初挑戦しました。
普通の平坦な道もままならないので、息子が「行きたい!」と言った時は、
「え、マウンテンバイク?」
とびっくりして、
「ほんとにできるのかなー?」と心で思っていたし、
いざ行ってみたら、思いのほかデコボコが大きくて、想像してた以上にむずかしそう。
でも、やってみたら、最初は転びながら、半泣きしながらも、少しずつできるようになりました。
最初はできないの当たり前。転ぶこともケガすることもある。
できないことができるようになるのを見守れる喜びがあるなーと、改めて感じました。
親が子どもに、勝手に低い天井つけないようにしたい。
1ヶ月までに息子が小学生になったのですが、同じようなことを感じました。
小学生になる前は、「ひとりで学校に歩いて行けるんだろうか」と思っていて、初日に「行ってらっしゃい」と家から息子を送り出したときは、なんとも言えない気持ちでした。
でも、そんな親の気持ちとは関係なく、初めてひとりで学校に行き、ひとりで家に帰ってくることができたんです。
子どもの「初めて」を見守ることができて、その「初めて」ができたときの喜びって、尊いですよね。
たくさんの「母最高かよ」
この企画では、たくさんの「母最高かよ」に触れられて、それを読んでいるだけで、ほっこりします。
noteの記事もありますー。
私のまわりには、「母最高かよ」って、自分の人生を楽しみ、しあわせを味わっている人がいっぱいいる。
もしかしたら、キラキラ見えるかもしれない。
でも、それぞれに葛藤を抱えていて、毎日を精一杯生きている。
母って、尊い。