はじめての哲学対話。「考える」ことで自由になれる体験。
みなさんは、哲学対話をしたことはありますか?
このまえ社内のコミュニティで、はじめて哲学対話をしました。
「考える」とはなにか。
哲学対話によって、「考える」という体験ができたと思います。
今日はそのことを書いていきます。
参考にした本『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』
まず哲学対話をしようとなった流れについては、前にnoteに書きました。
コミュニティを再スタートしてから5ヶ月。
「哲学対話やりたいね」という声が、メンバーからあがってきました。
こうやって、「これやりたい」「これもいいね」という声があがってくる場をどうつくっていくか、それを考えながら日々やっているので、この声があがってきたことがうれしかったです。
そして、哲学対話を提案してくれたメンバーからおススメしてもらったのがこの本。
「哲学対話」をはじめてやる方向けに、おススメの入門書だそうです。
この本で心に響いたところを引用します。
「考えること」は、他の人との対話、「共に問い、考え、語り、聞くこと」である。
大切なもの とは「自由」である。私たちは考えることによってはじめて自由になれる。考えることは、自分を縛りつけるさまざまな制約から自らを解き放つことである。
他の人といっしょにやると、考えるのは楽しい。他の人と話し、語りかけ、応答してもらえればうれしい。嫌にならずに続けられる。しかもそうすれば、思考はより深く、豊かになる。だからそのような「考える体験」としての哲学は、他者との「対話」という形をとる。
そもそも「考える」とはなにかを、考えたことがなかった。
ここでおもしろいと思ったのが、人は「考える」ことで自由になれるということ。
私たちが生きている世界はルールがあって、常識や慣習もいっぱいある。大人になればなるほど、それに知らず知らずのうちに縛られてしまう。外から押し付けられることを、「あれ、これってなんのためにやってるんだっけ?」と思うことも多い。
会社のなかは特にそうだと思います。会社で決まっているルールやしがらみのなかで働いている。
いったん立ち止まって、「考える」ことで、これらの外からのルール、常識、慣習、しがらみから一旦距離をおいて自由になれる。
あとは、「考える」というと、ひとりで考えるのをイメージしたのですが、「ともに考える」ことが哲学対話の魅力であり、それによって自分の思考が深まる。
何を言っても否定されない場
「何を言っても否定されない場」ってあるだろうか?
私は普段の生活で、「これをここで言ったらどうだろうか?」と無意識にブレーキをかけてしまい、言えないことが多いと思います。
日常生活の中で、私たちが何を言ってもいい場というのは、 まったくと言っていいほど存在しない。
とにかく自分の言うことが、同意されなくても、けっして 否定されない と分かっていることが重要なのである。そうして、自分の言うことを そのまま受け止めてもらえる と思えてはじめて、私たちは何でも言えるようになる。
学校もしかり、会社もしかり、正しいことを言って、「評価」される場。
私たちは「何を言っても否定されない場」は、なかなか持てない。
なので、哲学対話をするときの大事な前提として、「何を言っても否定されない」というルールが必要。
『考えるとはどういうことか』の本に書かれている対話のルールを、対話をはじめる前にシェアしておくことが大切ですよね。
何を言ってもいい。
人の言うことに対して否定的な態度をとらない。
発言せず、ただ聞いているだけでもいい。
お互いに問いかけるようにする。
知識ではなく、自分の経験にそくして話す。
話がまとまらなくてもいい。
意見が変わってもいい。
分からなくなってもいい。
「自由」に言えるのは「対等」であるから。
ともに考える、考えることで自由になれる。
その前提として、お互いが対等であることが必要になります。
自由と対等は、簡単には 両立しない。むしろ矛盾しかねない。無制限に自由にすると、強い立場の人が弱い立場の人を圧倒してしまう。
「何でも言っていいのに、言わないほうが悪いんだよ」というのは、強者の 無神経な論理 にすぎない。
この本でおススメされているのは、「知識」ではなく「経験」を話すこと。
どうしても、「知識」を話すと、そこで知ってる・知ってないの上下関係が生まれたり、「知識」が武器になってしまうこともある。
知識をもとに相手を説得する、というのも普段の生活で起こりがち。
私たちがはじめて哲学対話をしたときも、それぞれの「経験」を話すことを意識しました。
自分で考え決めることが、自分自身の人生を生きること
この本には、「生きる」ことの本質も書かれていました。
心に留めておきたいので、こちらも引用します。
私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって考えて決めて あげる こともやめなければならない。人間は 自ら考えて決めた ことにしか責任はとれないし、自分の人生には自分しか 責任はとれないのである。
自由と責任をいっしょに取り戻す。それは他でもない、 自分自身の人生を生きることなのだ。
これまで社内コミュニティの哲学対話は、3回やってきました。
他者を尊重し、他者に共感し、他社に寛容になれる。
自分で考え、ともに考えることで、自分の中に新たな視点、思考が生まれる。