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好奇心旺盛な裏に繊細さも持つ次男の不登校を理解する
現在1年生の次男は長男に比べてやんちゃで心配も多くありますが、明るい性格でムードメーカーでもあります。
学校には友達もいっぱいいる彼が、学校へ行かない、ということを通して教えてくれたさまざまなこと。
次男について今理解していることをまとめたいと思います。
社交的なムードメーカー的存在
保育園、幼稚園を通じて「明るくてやんちゃないい子ですね」と言われてきた次男。保育園時代から保育時間も長く、いつもお迎えが最後の方でした。素直な子なので「お迎え遅い!」と言われながらも、楽しく先生や他の子と過ごしていました。
特に、年齢問わず仲良くなれるのも次男のいいところ。よく知らないお母さんから、「あ、Kちゃん!」と声をかけてもらうことも多く、たくさんのお母さんと顔見知りのようでした。
素直な故に友達と小競り合いになることもありましたが、特に心配するトラブルもなく過ごしていました。
好奇心旺盛さ全開
保育園の先生に言われた忘れられない言葉があります。
「Kちゃんって、ほんと、遊んでいるとき目がキラッキラしていて、子供らしくて、いいよね!」
すぐ高いところに登ってしまう次男。落ちたりぶつけたりして怪我も絶えません。公園に行くと私は常に付き添わなければならずげっそり。
でも、遊んでいるときは本当に好奇心というアンテナを全開に遊んでいて、発見もいろいろの様子。
ルールだらけの学校という場所が信じられない
次男の入学は正直心配でした。
すぐ他のことに興味が移ってしまう次男なので、きっとじっと座ってられないと思ったのです。ところが思いの他、1学期はすんなりと学校に馴染んでいました。
最近気づいたのですが、次男は思った以上に人の話を聞いています。自分が納得し理解できたことは、きちんと実行します。
担任の先生もベテランできちんとコミュニケーションをしてくださる先生。そんな先生とコミュニケーションしながら次男なりに学校というものを理解し、通うことができていたのだと思います。
しかし、家庭の中で信頼関係が崩れてさまざまな衝突が起きていた今年の夏。学校へ行くことを渋り始めたのは、学校という一つのルールのようなものが信じられなくなったからではないか、と思っています。
学校を渋って五月雨登校していたある日。
下駄箱で泣きながら行きたくないと渋っていた時があったのですが、通りかかった先生(担任の先生ではない)に、無理やり連れて行かれてしまったことがありました。
どうやらこの時の出来事は次男にとって「学校は信じられないところ」と思う決定的な出来事になってしまったようです。
その後何度も「連れて行かれたのがとても嫌だった」と言っていました。
その後から、たびたび次男に「お母さんの嘘つき!」と言われることがありました。大人がある種押し付け的に「学校は行くべきところ」としていることが、信じられないのだと、そのような叫びに感じています。
明るい性格の裏にある繊細さと感性の豊かさ
HSCの特性が全面に出ている長男とは少し違うかもしれませんが、次男もまた、明るい性格の裏に繊細さを持っています。
兄弟で不登校となった今現在、実は次男が一番、辛く感じているのではないか。
これだけ目がキラキラとかがき明るい次男がむっつりと黙り、平日の昼間に居心地が悪そうにいるのを目にしてそう思うのです。
実は次男においては「学校が信頼できない」ということが行かない理由であるとわかるのですが、決定的に学校という場所が合わないという確信までには至っていません。
「学校は嫌だ」「行かない」と強く言っている次男ですが、兄の不登校にひきづられているところもありますし、私や家族がこの状況に戸惑う姿を一番悲しそうに見ているのも次男です。
時々心配になるくらい大きな声で不満不平を訴えたり、家を飛び出したり、手をつけられないほど暴れることも…
今はまだ、ケアが最重要な状況かなと、焦る気持ちを落ち着かせて見守るしかありません。
今は映画とゲームに夢中
次男はそんなわけで、今は何をするわけでもない無気力な状態が続いている感じです。
日中何をしているかというと…ひたすら録画した映画を見ることと、ポケモンをプレイすることに夢中。
観察力があるのか、映画は本当によく細かいところを見ています。
次男が本来持っている感性の豊かさを最大限に活かしてほしい。
そのためにどうやったら、本来の次男らしい毎日の過ごし方ができるのか…
まだまだ模索中です。