7年前、祖父は死んでいなかった
時間と空間は越えられるのか?
なんだかSFチックだけれど、
先日、虚空蔵菩薩について学んだ時、
私は実際に時間も空間も越えたものを知っていることに気づいた。
これを説明するキーワードがこの3つ。
①過去現在未来は全て同じところにある(虚空蔵)
②ホログラフィック原理
③エネルギー保存の法則
①虚空蔵について
虚空蔵というのは、サンスクリット語でアーカーシャ
というらしい。
スピリチュアルの世界を学んだとき、「アカシックレコード」って言う言葉を知って、そこを見たりもしてきたけれど、そのアカシックレコードのもとの語源はこの、虚空蔵(アーカーシャ)らしい。
虚空というのは時間、空間すべてを含んだ無限の場で
虚空蔵というのはそれをすべて貯蔵しているところみたい。
たぶん正確に理解できているわけではないので…詳しくはご容赦いただきたいのだけれど、
とにかくあらゆる過去もあらゆる可能をはらんだ未来も全部が虚空蔵にある。
すべてはここに、あるのだ。
物質として見えてないことも、すべてある。
②ホログラフィック原理
最新物理学によれば、
物理を突き詰めていった結果、全ては幻影だった
という一つの結論があるらしい。
物理を突き詰めていったのに、物体ではないという結論になるのって矛盾していてなんだか面白い。
結局は世界の全てはホログラムなんだって。
幻影を見ているに過ぎないということは、
結局、自分が望むように、見たいように世界を見ているってことなんじゃないかな。
③エネルギー保存の法則
中学校で習ったような気がするけれど、結局は、どんなエネルギーも急に出てきたり、なくなったりすることはなくて、常に形を変えてそこにある。
エネルギーはあらゆる形に変化し、減ることも増えることもないのだ。
時間も空間も越えた存在
話を戻すと、私が気が付いた「時間も空間も越えている存在」とは、私の祖父。
私の祖父が死んでしまったのはもう7年も前のこと。
大好きな祖父が死んで、当時はとても悲しかった。
もう声をきけない、笑顔で私を呼んでくれることもない。
お葬式には祖父を慕ってくださっていた たくさんの人が参列してくれていた。
田舎の葬儀は、いろんなお作法があったり来てくださった方をもてなさないといけなかったりで孫の私もわりと忙しかったし、親族一同5日間くらい連日祖父の家に集まっていた。
他の孫たちともこんなに長い時間一緒にいるなんて今までなかったことだったから、なんだか不謹慎かもしれないけれど、それまで以上に孫同士がとても仲良くなった。
「私たちはじいちゃんが大好きなんだよね」
という気持ちが、孫の結び付きというか 絆 を強めてくれたような気がした。
そう振りかえると…
祖父という肉体は確かに死んでしまったけれど
祖父が生きていたときに持っていたエネルギーは今もここにある。
孫の結び付きや私が親族を大切に思う気持ちが強くなったのは
祖父のエネルギーがここに流れ込んできたからだ。
祖父のエネルギーは形をかえて、今まさにここにある。
つまり、祖父は形を変えて「生きている」んじゃないか。
そんな風に思えた。
祖父は死んでいなかった。
というか、
「死ぬ」という概念が私の中で変化した。
もちろん自分の身体とはいつか必ず別れなければならないし
それを一般的には「死ぬ」というのだけれど
エネルギーとして考えたとき、それは必ず保存される。つまり、失くなることはないのだ。
りんごを食べたら、りんごはなくなるけれど
りんごがもっていたエネルギーは私の血肉になっていく。
そんなふうに。
いつか私も旅立つとき、いいエネルギーを周りの人に渡せるように
自分のなかでよいエネルギーを循環させておきたい。
祖父のように
いつも笑顔でユーモアいっぱいにね。
もしかしたら…
不思議なことを言っていると思われるかもしれないけれど、
私たちは世界を見たいように見ている
だとしたら、私は
私の中に祖父のエネルギーを感じながら生きる世界線で
幸せを噛みしめていたい。