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ごだわりは人を殺す
3年前、親父が心筋梗塞で倒れた。
親父は定年を迎えてからも延長して働き、今でもシルバーでアルバイトをしている。
何もない休みの日も朝6時には起きる、いわゆる堅実性の高い人だ。
そんな父は昔からタバコは吸わず、お酒も飲んでいない。
食事は魚中心で、運動も走ったり泳いだりして週末にはジャズバンドの集まりに参加、見ていると心身ともに健康管理はしっかりしているようで文句の付けどころがない。
ここまで聞けば人物像が浮かぶかも知れないがおそらくそれは正解だ。 単的に言えば頑固なのだ。
こうと決めたらこう!! 自分の決めた事は絶対。
だから私が鬱になって実家に戻った時も人格否定から始まった。 幼少期の頃なんて怒られると粗い砂利道で背負い投げをされて背中から叩きつけられた事だってある。
どこかのカリスマ美容家の「背負い投げ〜!」というネタが笑えなかったのもそうした背景が潜在的に頭の中に残っているからだろう。
そんな父が倒れたのはプールサイドだった。 健康のために通っていたプールで残り数本泳ごうと決めていたらしいが、胸の痛みが増してとても泳いでいられなくなったそうだ。
健康のために泳いでいたプールで倒れる。 絵に描いたような【本末転倒】だった。
病院に行くと血管というのは断面図が○ばかりではなく、平べったい、いわゆるきしめんのようなフィットチーネパスタのような血管も存在すると説明された。
どうやらその血管が折れている部分があり、そこに送られてくる血液が圧迫されていたらしい。
先に言っておくと父は生きている。 ステントという小さな金属を胸に詰めてもらい、血液の流れが良くなった今ではまた走ったり泳いだりしている。
手術中に何が原因で倒れたのかという記憶も同時に消されてしまったようで、私からするともはやプールの亡霊にでも取り憑かれているようにも見える。
皆さんは強迫性障害という言葉を聞いたことがあるだろうか。
無意識に手を何度も洗いすぎたり、靴を履く時は必ず右から、テレビのリモコンは絶対机の右角など、強迫観念のようなものからその行動が起きてしまい日常生活に支障をきたす事。
その診断基準というのも、やはり本人は無意識に行なっているために気付いてないことが多いのだとか。
第三者の目があって初めて気付けることも珍しくない。
強迫性障害と診断されたわけではないにしろ、簡単に言ってしまえば【こだわり】が人々を苦しめているのだと私は思う。
聞くと親父はいつもセット数、プールも何本、走る距離も何周、など絶対にそれが終わらなければ帰らないというこだわりがあったそうだ。 それが若くない体には負担だったらしく裏目に出てしまった。
実は私にも似ている部分があり我慢した挙句、鬱病になってしまったのかも知れない。
体の異変は分かりやすくて既にそのSOSは出ていたのに無視して勤務を続けたり、筋トレでもそうだが、あと何回は絶対やると思って無理したら次の日階段が降りられなくなった事もある。
昔バタフライエフェクトというタイムリープ映画を観たことがあるが、あのバタフライエフェクトとは小さな蝶の羽ばたきが地球の裏では竜巻を起こしているという意味。
小さなこだわり(ストレス)が水面下ではあなたの心や体を蝕んでいるかもしれない。
ダイエットも無理をしたらその反動は必ずどこかへと繋がってくる。
そのこだわりが体を壊したり、立ち直れない精神疾患の原因になっていたりする。
程度にもよるが、こだわりは時に人を殺すと思っている。
以前ジャズから学んだ人生論でも語ったが、私はもう頑張らない。
怠けるのとは違う。自分の気分に耳を傾けて生きる事にした。(もちろん法律の範疇で)
やりたい時はやる、100点を目指したりもする。 しかし、やりたくなければ無理をしない。休みたかったら休む。これは甘えではなく自己管理と言う。
こだわりという意識の形成は見方を変えれば親や社会に刷り込まれた潜在意識だ。
今一度、自分にとって慣れてしまっただけで本当は負担になっている習慣やクセを洗い出してみよう。
今気付けたならおそらくステントを入れる事態にはならないだろう。