授業最後の日なんかいつ来てもいい
2020年3月。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、春休みに入るまで、学校は休校の措置を取らなくてはいけなくなった。
突然の終業宣言に、「最後の授業はこんなことを言って感動させてやろう」と思っていた先生も、残念な思いをしているだろう。
何より、子どもの切ない思いが苦しい。
「このクラスの友達ともう会えない」
「先生の授業もう受けられないんだ」
「好きなあの子に告白できなかった」
こんな風に学校を楽しみに思ってくれる子が多ければいいが、悲しんではほしくない。地球が滅亡して、みんな死ぬわけではないのだ。また、会える。先生たちは、生きてる。友達も生きてる。
(コロナにかからないようにはしてくれ)
「授業も部活もないぜ!」
「やったー、バイトできる!」
「しばらく朝早く起きなくていいじゃん」
このように喜んでいる学生は非常に健全だと思う。わたしが学生だったならば、確実にこちら側の立場だ。
わたしにとって、学校なんて大体が苦痛だった。
友達は、幼稚な恋バナばかり。
誰が好き、誰と付き合った、バイト先の店長と付き合っている。
授業中、携帯電話ばかり操作してノートをとらないクラスメイト。
休み時間に、漫画ばかり描いている大人しい子を盗撮するいじめ。
教科書を読み進めてノートに写すだけの古臭い授業。
制服の着こなしにうるさいくせに、ジャージでだらしない格好の教員。
不細工な生徒と付き合っていると噂されている体育教師。
盗難にあったと相談すると、逆に注意力不足だと叱ってくる担任。
大嫌いだった。学校。
働いている今でも正直、変わらない。
でもわたしは、教師になった。
「こんな先生、学校にいてほしい」を実現するために。
どんなタイプの生徒とも仲良くなり、受験も恋愛相談にも乗った。
誰が好き、誰と付き合った、大人の目から見ると意外性が楽しい。
授業中、スマホを触る隙など与えないほど、授業は夢中にさせてきた。
漫画ばかり描いている子も、作業が終わっているなら咎めない。褒める。
教科書以外の教材もたくさん使って、工夫した授業を常に考えてきた。
年配教員にどう思われようと、着たい服を着て、言いたい意見を言った。
未成年に性的興味を持つ教員など信じられない。いつでも保護者感覚だ。
いつでも相談されやすいように、厳しくも温かい人柄でいたつもりだ。
楽しかった。わたしの教員生活は、本当に幸せだった。
「先生のような大人になりたい」
「先生はすごい人」
「一番好きだった先生」
たくさんの子どもが、有難い素敵なセリフを贈ってくれた。
そりゃそうだ、わたしは「学校にいてほしい先生」を演じ続けた。そう評価されていないとおかしいくらいに、努力し続けた。
しかし、疲れた。
自分の理想の教員になるためには、人の何倍も頑張らないとなれない。
もう、わかった。
理想の先生で一生居続けるのは、絶対過労死する。
コロナウイルスの影響で、授業がもうなくなった。
わたしは特に、腹立たしいとも思わない。
しかたない。教員はいざというときに、感情抜きで臨機応変に対応できるスキルが求められる。そのスキルがなくてはいけない。
いつも全力で授業をしていた。いつ命が終わっても悔いのない生き方をしてきた。
好かれてきた自負があるから、最後の授業に感動させようという魂胆はない。学園ドラマのような涙を頂戴する感動なんて、別にいらないのではないだろうか。
「最後の授業」などしなくても、最後に子どもに感想など書かせなくても、わかる。普段の授業から、学ぶことの楽しさに気づかせ、感動させていればいい。
(それに最後の授業って、世間のみなさんが思うほど、出席率はよくない)
他の先生も、「もう子どもに会えない」などと、嘆かず自信を持ってほしい。先生のいいところは必ず見つけられている。
人生において、誰一人としてファンがいない人は、わたしは存在しないと思っている。誰かにとって顔がタイプではあったり、仕草や言動の一部は気に入られていたりする。
教員免許を取るために人一倍授業をとってきた教養のある人柄、教壇に立ち続けて培われた話術。虜にされている人が0なわけがない。
先生方にはいつもファンがいたはずだ。見えていなかったら、それは残念すぎる。来年度、見逃さないように頑張ってほしい。
来年度は、「最後かもしれない」と少しは思ってみて、より一つ一つの授業を大切にしてみるといいという教訓になったと思う。
子どもにも、「明日、俺が交通事故に遭ったら、絶対居眠りやめておけばよかったと思うだろ?」などと脅してみてもいいと思う。
わたしからアドバイスしたいのは、ギチギチに計画しすぎると破綻したとき辛い。余裕を持った、テキトーな授業計画をしていたほうが、今回のようなトラブルが起こっても、あっけらかんとしていられる。
(あー、プリントまだ刷ってなくてよかったw)
全部をみっちり教えることはしないべきだ。手を抜くところは抜いてほしい。新しく先生になる人も、この記事を見ていたらそう考えてほしい。
いつも、いい授業をしたいと思うこと。
子どもにも、最後の授業になったら悲しいだろと、気を引き締めさせる。
最後の日が突然来ても、まあいいかと思えるほどのテキトーさが必要。
「授業最後の日なんていつ来てもいい」
そう思って、来年度は頑張ろう。