やっぱりまだある対人恐怖
私はやっぱり、人が怖いのだなと思った。
自分の中に不安がいつもあって、生きづらかったけれど、私の中での不安は、対人での不安ではないと思っていた。だから、本屋さんにある不安の本は対人恐怖が多いので、私には無縁だと思っていた。
私の中で何が怖いって、「自分の中に、未知のものや、慣れないものを入れるのが怖い」。だから、慣れない食べ物を勧められても、困ってしまう。自分の中で安全と思えないものは、自分の独断で決められているので、それ以外のものを自分の中に入れられないのだ。
その他にも、空気中に花粉や黄砂が飛んでいると「思われる」場所も怖い。自分の中に入れるのが怖いだけではなくて、慣れない場所に自分を入れることも怖い。何が起こるかわからないからだ。このことに気づいたのは2,3年前で、私の心身ともに一番疲れて、パニック再発していた頃。乗り物に乗るのが怖かったころだ。これにプラスして、心気症の症状も出ていて、一日中自分の症状を感じながら、スマホ片手に、自分は難病なのだと信じていた。不自由な時間だった。あの頃をピークにして、今は少しだけマシになっている。
記しておくけれど、私は20代の間、アメリカで住んでいて、見慣れない食べ物にもたくさん触れてきた。口に入れるのが怖いものなんて何もなかった。世界中どこでも生きられる図太い人間だと思っていた。
人間って、変わってしまうものなのだ。若いころは、何もわかっていなかったから、あんなに図太く生きられたのか。子供ができて、守るものがたくさんできた今、私の人生は、あんな自由さ、フレキシブルさがなくなった。
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私の不安症というのは、書いたように、いつも自分との不安だった。
対人恐怖は、もっと昔、10代の頃に確かに味わって、それからアメリカに行くと、解決したと思っていた。アメリカでは、全く知らない人同士でも、隣同士に座ることがあると、話をしていたからだ。日本では知らない人と話が弾むことなど経験がなかったけれど、アメリカでは知り合ったすぐの人と、意気投合したことがあった。
それに加えて、アメリカ人はいい意味でも悪い意味でも、他人のことを全く気にしない。他人が何をしていようが、自分のことだけしか考えていない。これはアメリカ人の強みであると思う。逆を言えば、他人が悩み苦しんでいても、案外そっぽを向かれて、孤独感は大きくなる。でも、私みたいに他人の目が気になっていた人にとっては、そのくらいがちょうどよかった。
子供が生まれてからも、ママ友などという人種の人たちと平べったく、広く浅く付き合っていかなければならかったため、私の中では対人恐怖はない。と思っていた。泣いた赤ちゃんを抱く、あったことのないママと小児科の待合室で話をすることなど、普通にできていたし。学校や園で出会う人たちとも普通に付き合えていた。
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でも最近になって、私は、とても人間が怖いと思っていることに気づいた。
仕事は基本、自分のオフィスでやっているので、誰にも会わない。いや、もちろん誰にも顔を見せない日はない。留学生と話をしたり、事務的なことを手伝ったりする。けれど、外国人は20代の経験おかげで、私の中で「他人の目を気にしない人たち」なわけで、一緒にいることに慣れている。もっといえば、主人も外国人なので、私は外国人には基本的に慣れているのだと思う。
誰が怖いかといえば、日本人の働いている人たちが怖い。たまに、仕事で、20人くらいがぐっと小さな部屋に入って事務をしている部屋に入って話をしなければならない時がある。20人の中の1人と話をしたいのだけど、その人がその部屋にいる限り、私はその部屋に入らないといけない。
その部屋に入るのが、ものすごく恐ろしいのだ。と思っていることに気づいた。
まず、その部屋に入って話をするということを、どうにかして回避しようとしている自分がいる。どうにかして、電話や何かで事なきを得ようとしている。でも、どうしても仕事上、ダメなときもある。そのときは、午前にしようか、午後にしようか、今か、後か、、としばらく考える。
意を決して、その部屋に行き、入るとみんながこっちを見る(気がする)。毎日顔を合わしているわけではないから、まあ、向こうも部外者が入ってきているから、見る。私はなるべく用事のある人のところに一目散に行って、さっと出る。用事が終わり、自分の部屋に戻るときには、ふうとため息をついて、ほっとしている。
そうか、私はあの部屋に行って話をするのが苦手なのだ。そういえば、この職についてすぐの時、あそこへ行くと、パニック発作が出たことがあった。話している時に、息ができなくなってきて、どうしようと思って、取り繕って、何もなかったように部屋を出て、つけていたコロナ対策のマスクが苦しくて、それを取ったのだった。
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そうか、学校や園のママや先生なら、慣れているから大丈夫。でも、春から働き始めて、「働いている日本人」に私は慣れていないのだなと、思った。
「そういう人たち」と自分で頭の中で作ったイメージの人たちに、慣れていないから、私の体は硬直する。そんな人たちがたくさんいる部屋に入ることは、恐ろしくてたまらない。
具体的に何を怖がっているのかと考えると、「ダメだと思われる」「怒られる」「できない人だと思われている」「太ったと思われている」「服が変だと思われている」「髪が変だと思われている」「仕事ができないと思われている」「説明が下手だと思われている」と、たくさん出てきた。
そうか、私はこういうことで怖いのか。やはり対人恐怖がまだあるのだ。
人というものに恐怖はもう感じていないと思っていたのに。。。
考えてみれば、確かに子供が幼稚園に入ったときも、とても怖かった。ママ友っていうと、いじめられるんじゃないかとか、マウントとられるんじゃないかとか、メディアでの情報をうのみにしていたから、誰もが敵みたいに思ってしまっていた。実際、そんなに悪い人は全くいなかったし、慣れてくると、下の子が幼稚園に入るころには、ママ友と話をすることは何でもなかった。
きっと、これも慣れない場所、慣れない人が怖いっていうことなのかな。。対人恐怖というより。。。同じことかな。
あの部屋以外でも、仕事で人と話す時は、でもやっぱりどこかがちっと力が入っている。何をそんなに怖がっているのか。人間をもっと信頼できるようになりたい。どうして、すぐに嫌われるとか、怒られると思ってしまうのか。そして、嫌われたりしたところで、何でもないのに。
もうすぐ働き始めて半年。慣れてくれば、働いている日本人も、何でもなくなるのだろうか。どうやったら、自然体で、ぎゅっとならずにいられるんだろう。
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