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ラウッツィーニが語る、モーツァルトの《ハレルヤ》

Note上で展開する、架空のラジオ番組《クラシック・エトセトラ》。
この番組では、毎回異なる音楽家がパーソナリティーを務め、
自身のお気に入りの曲と、その曲にまつわるエピソードを語っていきます。
今日の担当は、オペラ歌手のヴェナンツィオ・ラウッツィーニさんです。

(お話は史実に基づき構成しています)


こんにちは、イタリア出身のオペラ歌手、
ヴェナンツィオ・ラウッツィーニです。
演奏家としては引退していて、今はロンドンに住んでいます。
歌手を指導したり、オペラを作曲をしたり、
コンサートをオーガナイズしたりしています。

ヴェナンツィオ・ラウッツィーニ(1746−1810)

私は、19歳の時にイタリアのローマで
カストラートのオペラ歌手としてデビューして以来、
イタリアの劇場はもちろん、ドイツやオーストリア、イギリスと
欧州各地で歌ってきました。

カストラートってのは聞いたことがあるよね。
幼少期に手術をしてソプラノの声を維持している
男性オペラ歌手のことだけれど、
オペラ界では、絶大な人気を誇る王のような存在です。

「ファリネッリ」として知られるカストラートの大スター、カルロ・ブロスキの肖像
コラード・ジャクイント作、ボローニャ国際博物館および音楽図書館

今日、紹介するのはモーツァルトが私のために書いてくれた作品。
《エクスルターテ・ユビラーテ》の中の《アレルヤ》だよ。

モーツァルトと私が知り合ったのは、彼がまだ11歳の時。
ウィーン宮廷で演奏する私の声を聞いて、彼は本当に驚いていたよ。

1770年(14歳)のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756−91)


それから5年ほど経った1772年、
16歳だったモーツァルトがミラノでオペラを上演するチャンスを掴んだんだ。
彼は、絶対にこのオペラを成功させたいから、
私にもぜひ歌ってほしいって頼まれてね。
オペラは《ルーチョ・シッラ Lucio Silla》っていう作品です。

《ルーチョ・シッラ Lucio Silla》が初演されたミラノ・スカラ座(テアトロ・ドゥカーレ)劇場内部
《ルーチョ・シッラ Lucio Silla》が初演されたミラノ・スカラ座(テアトロ・ドゥカーレ)劇場
階段の断面図 (ミラノ、1737)


初演はトラブル続きで、なかなか難しい結果だったけれど
その後、何度も上演されることになってね。
モーツァルトは、ラウッツィーニさんのおかげだってすごく喜んで、
それで、この曲《エクスルターテ・ユビラーテ》を書いてくれたんだ。

歌詞はラテン語なんだけれど、こんなふうに始まるの。

Exsultate, jubilate,     喜べ、喜べ、
o vos animae beatae,     ああ、祝福された魂たちよ、
dulcia cantica canendo,    甘い歌を歌い、
cantui vestro respondendo, あなたの歌に応えて、
psallant aethera cum me.  天は私と共に歌います。

喜びに溢れた曲でしょ。
全体は4つに分かれていて、最後の部分が《アレルヤ》になるんだ。
歌詞は「Alleluja 讃えよ」だけで、
歌手としてのテクニックの見せ所にもなっていて、
素晴らしい曲だよ。

それでは、《エクスルターテ・ユビラーテ》を聞いてください。
歌手は、ソプラニスタのサムエル・マリーニョ
合奏はポーランドのピリオド・オーケストラ、カペラ・クラコヴィエンシスです。
《アレルヤ》
の部分は、11分26秒あたりからと、
アンコールで、もう一度この部分だけを歌っていて
16分あたりからアンコールになります。


Note上で展開する、架空のラジオ番組《クラシック・エトセトラ》。
いかがでしたか。
番組は、ほぼ日更新。名曲の目から鱗のエピソードが語られています。
フォローをお待ちしています!


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夏目ムル
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