なぜ症状が出ていることに悩むのか。
まさか自分がこんな病気になるとは。
そういう風に感じたのは2022年の話。
尿が泡立つのは結構前からだし、大事には至らないだろう。と考えいたのだが、その様子をみた妻は尿検査に行きなさいというので検査をすることになった。
結局IgA腎症の疑いがあり腎生検を勧められたが、腎生検の結果次第で未来は変わらないと思ってしていない。
それから少し経った2022年の年末には妻の父親がもう長くないことがわかり、総合的に判断して2022年年末をもってタイ北部にある工業団地での勤務を辞めた。
症状の原因を探るべく私は日本に戻り、妻も生家に戻ったのは2023年1月の話。
問題としての捉え方が違う
この先透析になるのだろうか、それとも防げるのだろうか。
そんなことを悩む時期が数ヶ月あった。
この記事を書いている現在は全くもってそのような悩みはない。もちろん、尿が泡立つのは事実だがこれから向かう未来には希望しかない。
尿の様子が気になるくらい、自分の人生に集中できていない。
今ならそう思える。
なぜならこれまで働いてきた時、いつも自分に問いかけるものがあった。
このまま働き続けてなにになるのか?
この生活をいつまで続けるのか。なんのために働いているのか。
それはもちろん、家族を養うためであった。
いや、むしろ家族を養うためにだけ働いていた。
そんな働き方はなにかが違うとずっと心の中では思っていた。
そんな中、吉野敏明氏の存在を知った。
この内容を読むと、なおさらなんのために今の仕事をしているのかわからなくなった。でも、その時はただ、同じように毎日仕事を続けることしかできなかった。
自分が本当に創らなければいけないものはなにか
今となってはタイに妻子を持ち、タイ語もビジネスレベルで使えるようになったが、もっと自分の過去、自分の根本的なところを見つめようと思った。
自分が自由に使える資金と時間があった場合、社会にどのような影響を与えたいのかということを考えると、この先に向かわなければいけないことが少しずつ見えてきた。
それは数年先になった時、同じところを向いているか保証はできない。
ただ今はそうだと思えることに対して、忠実であろうと決めた。
病気になるのは、それ以外に依存するものが自分の中になくなった時。
全ての病気に対して決して当てはまるものではないけど、自分にとってそう解釈することが今になってはできている。
精神的な面から症状が出ている人は、少し参考にしてみてもいいかもと思います。