Oral history 棗色に染まる村 高家焉
樊家山小学校の校長先生の家がある高家焉という村に行ってきました。歩いて片道40分くらいです。ここも樊家山とよく似た形になっていて、やっぱりU字型になっていました。突然知らない村に入っても不審がられるのは当たり前ですが、校長先生の知り合いというだけで、だいたい2/3くらいの人はニコニコ笑って家に入れてくれます。今はどの家も収穫した棗を庭に干し拡げている時期なので、もう村中がまっかっかでした。
実をいうと、樊家山の棗はあまり手入れがされていなくて(棗は手を入れなくても実がつく)、どちらかという小粒で、品質もあまりいいとはいえないようですが、この村では専業で出荷している人も多く、比べてみると確かにやや大きめで見た目もきれいでした。
校長先生の家では2,500kgの収穫で、1kgが1.2元と価格も少し高目でした(樊家山は1元)。彼の家ではリンゴと梨、桃も生産していて、その上に校長の月給が800元(1元≒14円)ありますから、かなり豊かな方だといえるでしょう。今は農作業に忙しくて、学校でその姿を見かけることは滅多にありません(!?)。
しかし、2人の子供を町の学校にやるには、やはりお金はいくらあっても足りないとか。広大な黄土高原の山並みにへばりつくように散在する小さな村々でも、今一番お金がかかるのはやはり教育費のようです。
(2006-10-23)
薛俊蘭老人(80歳・女)の記憶 高家焉 私は共産党員だったけれど、当時は自分が共産党員だとは誰もいわなかった。会議はいつもあちこちで隠れて開き、ときには野外で開いた。部屋の中で開くときは外には歩哨を立てなければならなかった。もしも日本人に知られたら、捉まってすぐに首をはねられたからだ。
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