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天使にはなぜ翼が描かれている? ~タルクィニア⑥~

キリスト教において主の御使いである天使。

天使と言えば、翼をもった可愛らしい姿を想像する方も多いと思います。

しかしながら、Wikipediaには以下のように書かれています。

今日の絵画では天使に翼が描かれることが多いが、聖書には天使の翼に関する記述は少なく、初期の絵画では天使に翼は描かれないこともあった。天使に翼が描かれている中で知られているうちで最古のものは、テオドシウス1世の治世(379年–395年)に作られた「君主の石棺」である。

Wikipedia

天使が有翼の姿であると普及するようになるのは、オリエント、ペルシアのの天使・精霊のイメージなどが混合されてきたことも一因であると考えられるそうですが、古代ローマ以前の紀元前にイタリア中部で栄えた文明エトルリアの芸術にも、絵画で描かれている天使のような翼を持った女性がすでに描かれていました。

棺に彫られた有翼の女神ヴァンス(紀元前270年頃)

翼を持ったその人物像は、Lasa(ラザ)と呼ばれたエトルリア神話の女神たち。ギリシャ神話の妖精のような存在で数多くいました。

ラザの中でもよく知られているのがVanth(ヴァンス)と呼ばれる女神。亡くなった人の存命中の行為を羊皮紙に記し、故人の魂を死後の世界へ優しく導いていました。そのため、お墓の壁画や棺に丸めた羊皮紙を持った有翼のヴァンスの姿がよく描かれています。

エトルリアの都市は古代ローマに征服されますが、このエトルリアの女神はとても人気があり、また古代ローマは征服地の宗教や神々を認めていたこともあり、長い間信仰され続けていました。

しかし、313年に皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認。

そして392年テオドシウス帝によりキリスト教はローマ帝国の国教と定められ、異教(多神教)の礼拝が禁止されました。前述のWikipediaによるとこの時代につくられた棺に最古の有翼の天使が描かれています。ちなみに、皇帝の娘のガッラ・プラキディアは、敬虔なキリスト教信者でした。

多神教は禁止されますが、今までずっと信じてきた信仰を簡単に捨てることはできません。異教徒の神々は、キリスト教において姿を変えて信仰されつづけました。そして、故人の魂を導くエトルリアの女神ヴァンスは、天使に部分的に姿を変えていったと思われます。

翼を持った天使が初めて描かれたのが石棺であるのならば、天使のイメージはエトルリアのヴァンスから得られたのではないかとエトルリア贔屓の私は思うのです。

エトルリアの都市タルクィニアのネクロポリスで発見されたルクモネの石棺(紀元前270年頃)。ルクモネとは、エトルリアの各都市の最高司法官であるだけでなく、
政治、軍事、宗教への権力も持ってた人物のことです。
棺部分にヴァンスが二人、ハルンが二人彫られています。また、手に持つ巻物には、
9行に59の言葉が書かれており、未だ解読されていないエトルリア語の貴重な資料の一つです。

ちなみにエトルリアの芸術でヴァンスと対で描かれるのがCharun(ハルン)。ギリシャ神話のカロンにあたる神様で冥界への入り口の門番をしています。カロンが櫂を持った渡し守なのに対し、ハルンは槌を持ち、徒歩、馬、または馬車にて故人の最後の旅に同行していました。

タルクィニアのネクロポリス「Tomba dei Carontiカロンの墓」に残る壁画
あの世への扉の両サイドに槌をもった有翼のハルンが描かれている

現在、ルクモネの石棺は国立タルクィニア博物館に展示されています。ここへは英国人作家D.H.ローレンスも100年程前に訪れていて、現在と同じ場所で同じ石棺を鑑賞したようすを「エトルリアの遺跡」という本に残しています。

国立タルクィニア博物館として使用されているヴィテッレスキ宮殿
博物館から5kmほど先の海を望む

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