自身の起源をギリシャ神話の英雄に求めるイタリア民族(ヴェネトの歴史①)
ヴェネツィアのジュデッカ島に滞在しながら読んだヴェネトの歴史。その中から、面白いエピソードをいくつか紹介しようと思います。
ローマ時代の詩人ウェルギリウスは叙事詩「アエネーイス」にて、ギリシャ神話の半神の英雄でありトロイア王家の息子アイネイアスが、トロイア滅亡後、イタリア半島に逃れて、のちのローマ建国の祖になったことを描きましたが、イタリア民族が自身の起源をギリシャ神話の登場人物に求める例はローマだけではありません。
ローマから50㎞ほど北に位置する領域に存在した古代民族ファリシも、その起源をトロイア戦争の英雄アガメムノンの庶子ハライソスに求めたことは以前書きました。
そして、現在のヴェネト州の都市パドヴァも、ギリシャ神話に登場するトロイア戦争の英雄の中で一番の賢者アンテノールより建設されたと伝えられています。
トロイア戦争は、トロイアの王子パリスが、スパルタ王メネラオスの妃ヘレネを奪い去ったことが発端となります。妻を奪い取られたメネラオスは、兄でありミュケナイの王であるアガメムノンや、後にトロイの木馬を立案するオデュッセウスとともにトロイアに赴きます。
トロイアについたメネラオスが、オデュッセウスを連れて、妻の引き渡しを求めた際、もう少しのところでパリスやトロイアの若者に殺されそうになります。そこで二人を助け、家にかくまったのがアンテノールでした。さらに、彼は、ヘレナの美しさが、巨大で予測できない災難を引き起こす前に、彼女を夫のもとにお返しするよう、トロイアの王や重臣に進言します。しかし、アンテノールの意見は、聞き入られませんでした。
戦争は勃発、10年間続いた後、トロイア人は木馬にギリシア兵が隠れているとは知らずに、城壁内に持ち込んだため、トロイアの町で大虐殺が行われます。でも、その夜、メネラオスとオデュッセウスは、アンテノールのことを忘れていませんでした。かつて招かれたアンテノールの家の入口に豹皮をかけ、この家の住民だけは殺さないよう、部下にも命令したのです。
このようにして命を助けられたアンテノール。妻と息子たち、王を戦いで亡くした黒海近くの部族を引き連れ、新天地を求め、船で逃れました。エーゲ海を横断し、アドリア海では海賊からの危険も回避、そして、現在のヴェネト州に到着します。そこで、街を建設する場所としてパドヴァを選んだと伝えられています。
この口伝えを文字に残したのは、ローマ時代の歴史家ティトゥス・リウィウス。彼はパドヴァ(当時はPataviumパタウィムと呼ばれていた)出身でした。初代皇帝アウグストゥスの庇護の下、「ローマ建国史」を書いたティトゥス・リウィウス。ローマの起源がトロイアのアイネイアスであるならば、同じ帝国内であるパタウィムの起源を同じトロイアのアンテノールに求めることにより、帝国内の調和をはかる政治的意図もあったのかもしれません。
古代ローマによって、文明化されたと信じている今のヨーロッパ人。そして、古代ローマはその起源をギリシャに求めているため、今日でもギリシャはヨーロッパの起源として重要なのです。それゆえ、現在ギリシアが欧州連合各国の中で一番失業率が高く、経済的に負担だったとしても、ヨーロッパにとって、ギリシャは欠かすことのできない肝要な一員なのです。
そして、日本に古事記やアイヌ神話があるように、どこの民族にとっても、起源は神話で描かれ、大事にされていることがわかります。
ちなみに、神戸にあるケーキ屋さん「アンテノール」は、このアンテノールから名づけられました。
参考文献:SAN MARCO PER SEMPRE, Alvise Zorzi, Milano, 1999
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