イタリアの伝統仮面演劇 コンメディア・デッラルテ
1500年代半ばにイタリアで生まれた演劇 Commedia dell’Arte コンメディア・デッラルテ。観衆を熱狂させたコンメディア・デッラルテは、台詞が書かれた脚本はなく、筋書きをもとに、アルレッキーノ、カピターノ、ブリゲッラなど革製のお面をつけたお決まりのストックキャラクターにより、舞台で即興されていました。
イタリアといえば、数万人の観客を集客できた劇場跡が今でも残るように、古代ローマ時代より、演劇は庶民の娯楽として盛んに行われていました。
しかし、キリスト教が広まるにつれ、演劇は廃れていきます。聖アウグスティヌス(354~430)を筆頭に、教父たちはこぞって演劇を不道徳かつ信仰に反するものとして断罪したからです。当時のローマの演劇は、ギリシャの演劇のような詩的な美しさよりも、見世物的でわいせつ、暴力的であったからでもあります。コロッセオなどの円形闘技場で行われる剣闘士の戦いだけでなく、劇場でも囚人が殺される役で登場し、そのまま命を落としていました。
その後、職業俳優は破門の対象になります。
それでも、広場やメルカートで、アクロバットや大道商人、語り部などが活動を続けていました。または、教養のある人たちが集まっては、職業としてではなく、ギリシャやラテン演劇を復興させるため、喜劇や悲劇の上演をしていました。さらに、様々な宮廷に住んでいた、王お抱えの吟遊楽人や道化役者もいました。
そして、1500年代半ばに入ると、社会的背景や専門の違う人たちが集まり、より複雑な演劇を行うようになります。それまで施しを受けていただけの俳優たちは、チケットを販売することにより、貴族だけでなく、それほど裕福ではない大衆からも演劇を「買って」もらうことができるようにもなりました。劇団が商業として成立し、演劇人に威厳のある生活を保障する社会的に大きな改革でした。また、初めて女性が舞台に登場したという点でも画期的でした。
ただ、お金を払ってもらうのですから、常に新しくて面白い出し物を用意しなければなりませんでした。台詞を覚えて、初演まで練習を重ねる時間的余裕はなかったのです。そこで、劇作家による複雑な脚本ではなく、筋書きだけが書かれた台本が使われました。そのため、各俳優は、一つのキャラクターに特化して、ジョークや、歌、モノローグを貯え、舞台上、機会があればいつでも即興で使えるよう準備していたのです。衣装、方言、年齢、職業や社会的地位など、とてもシンプルな方法でつくられていたストックキャラクターは、色々な話に登場さすことができました。
このようにして生まれたコンメディア・デッラルテ。ストックキャラクターには、かつて戦士であったカピターノや金持ちで深欲のパンタローネなどの主人役の老人と、のんびり屋で明るいけれどもずるがしこい下僕のアルレッキーノなどの若い使用人、そしてお面はつけない二人の恋人たちなどがいます。
アルレッキーノの奇抜な衣装、カピターノが使うスペイン語のような珍しい言語、自由奔放になれる期間「カーニバル」を連想させるお面の使用は、観衆の想像力を掻き立てました。
コンメディア・デッラルテは、古代ローマ時代の劇作家プラウトゥスや当時の博学な演劇で取り扱われた主題の風刺やパロディを演じました。時事問題や醜聞を扱いましたが、フランス革命の起きていないこの時代、目的は社会の転覆ではなく、主人役の老人は揶揄されますが、いつもハッピーエンドで、使用人が権力を取って終わるようなことはありませんでした。
今後、この世が少しでもよくなるようにという願いを込めて、イタリア人のコンメディア・デッラルテの俳優が、特に若者に伝えたいとつくっている動画を紹介しながら、イタリアの文化、時事問題などを紹介しようと思います。
コンメディア・デッラルテのストックキャラクターパンタローネの姿を借りて、イタリア人俳優が伝えるイタリアと世界の時事問題:
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