暗黒時代⁈イタリアに残る中世の遺跡
イタリアの輝かしい歴史と言えば、ローマ帝国やルネッサンス。
その間の中世の時代、特に5世紀から10世紀は暗黒時代とも呼ばれたりします。が、この時代のイタリアの文化が衰退しきっていたわけではありません。
2011年には、中世にロンゴバルド族が残した7か所の建造物や遺跡が「イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)」として世界遺産に登録されました。
ロンゴバルド族とはどのような部族だったのでしょうか。
476年に西ローマ帝国が度重なる蛮族の侵入で崩壊し、800年にカール大帝がローマ法王にローマ皇帝として戴冠されるまでの、3世紀以上もの間、イタリアは肥沃な土地を求めて押し寄せてくる、ドイツの部族に支配されていました。
ケルト語によるとGerman(ゲルマン人)とは、「戦いの叫びをあげる男達」という意味。ローマ人から見れば文明の発達していない蛮族でした。
中でも568年に4.5万人の戦士に率いられ、女子供を含む15万人で、アルプスを越え侵入してきたロンゴバルド族は、他の部族がローマ文明の影響を受け始めていたのにもかかわらず、いつまでも彼らの社会制度を固辞していました。戦士の残酷さは有名で、打ち取った敵の頭蓋骨を杯にしていたほど。
彼らは、北イタリアにロンゴバルド王国を(ミラノを州都とする現在のロンバルディア州の名はこの王国に由来します)、イタリア中部にスポレート公国、そして南部にベネヴェント公国を建国しました。
ラベンナからローマまでの一帯、及び、プーリア、カラブリア、シチリア島などの島は、ビザンツ帝国領であったたため、この時期、7世紀間続いたイタリア半島の政治的統一が分断されました。
教会を破壊し司祭を惨殺し、残忍な行為を続けていたロンゴバルド族でしたが、熱心なカトリック信者であった王妃テオドリンダが、民衆をカトリックに改宗することに少なからず成功したことによって、状況は次第に変わっていきます。知的で美しく、国民に愛されたテオドリンダ。彼女が王妃として、その後摂政として統治していた期間、国は繁栄し、芸術への保護へも力が入れられました。
このようにして、ロンゴバルド族は、カトリック教会と結びつき、地元民とも統合する政策がとられ、徐々に建物が建築されるようになりました。ロンゴバルド建築は、ローマ・ギリシャ建築やビザンチン建築の影響を受けているものの、ゲルマン人の特色も融合され、特に豪奢なデコレーションにオリジナル性があり独自の様式になっています。
世界遺産に登録された中部イタリア、スポレートのサン・サルヴァトーレ聖堂は、ローマ時代の4世紀につくられたと言われていますが、540年のゴート人との戦争中に火事でファサードや身廊が崩壊。その後、長い戦争の時代を経て放置されたままだった教会を、8世紀、ロンゴバルド公の意向により、可能な限り残存した材料を使い再建されました。
装飾がたくさんなされたファサードですが、現在は扉口と上部の窓に残るのみです。
残念ながら、2016年のイタリア中部地震の影響により、2022年6月現在安全基準を満たしていないため、洗練されたシンプルさを誇るサン・サルヴァトーレ聖堂内部には入ることができません。
しかし、サン・サルヴァトーレ聖堂まで訪れたならば、教会の前、階段を下りたところに位置する市民墓地内を散歩してみてください。
チフスの流行により、教会への埋葬が禁じられた1817年、サン・サルヴァトーレ聖堂の修道院の畑だったこの地を市が買い取り、建設された墓地です。
緑あふれる敷地には、著名一族の記念碑の墓がたくさんあり、一見の価値があります。