遺書No.157 時間の支配からの脱却。
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2004.12.10
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むぅ。
時間という論理上の問題ではなく、
概念上の解答ではく、
現実的な支配力からみても、
時間は有限だ。
これは多分間違いない。
ちくしょーめ。
時間という束縛から逃れる術はないものか?
そんな事を考える今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか。(?
・・・いやいや。
ある意味、これは既に逃れている(笑
遊びてぇ。
ビリヤードやダーツや、
カラオケや焼肉やボーリングやサッカー、
何がしたいとかではないが、
解放されてぇ。
何言ってるかわからないな?
そもそも時間とはなんぞや?
よく10代の頃、
考えてもどうにもならんと分かっていても
『神とはなんぞや?』とか考えたりしたよな。
ある意味似ている。
というか、ある意味それなりの説得力を持って、
その答えに繋がる問題でもある。
時間こそ便宜上の神と呼べなくもない。
(別にどぅでもぃんだが。。)
日常生活の中で、
なにやら原因は分からないがモヤモヤとやり場なく蠢くモノがある。
その内包されたベクトルが、
一体どこに向かうべきモノなのかも分からない。
しかし確実にソレはある。
そしてイメージでいうとこの「神様」のように、
現実世界で直接的に我々を支配するモノって、
一体なんじゃろかと。
んで、一つの考え方として『時間』がある。
これはそれなりの説得力があるんじゃなかろうか。
自分の脳内レジャーに入り込む。
時間は、現実を完璧に掌握し、支配している。
命があるモノも命が無いモノも、
時間の支配からは逃れられない。
論理的な抜け道は、
現在の日常生活において現実的でない為、
ここでは無視する。
時間の流れにもし『意志』があるのなら、
その意志に逆らえる者、あるいは物は、
この世に存在しない。
あるいは天地創造という大命題を考えてみても、
時間は重要な役割を果たしている。
相対性理論からも証明された『時間は絶対不変のもではなぃ』は無視する。
無機物しか存在し得なかった地球という星に、
命を宿らせ、
それを進化させたのは、
時間だ。
・・・とも言えなくはなぃ。
そう考えると、
人間の行動の根底には、
意識的であれ無意識的であれ、
「時間の支配から逃れたい」
という隠された意志が存在し、
働いているのではないか。
そう推測する事はできるだろう。
フロイトが主張するとこの
「リビドー(性的欲望)が人間の行動の根底にある」という考え方は、
確かに的を得ているとも思う。
しかしそれだけでは説明がつかない事があまりにもたくさんあった。
―――――それがどうだ。
『時間』を便宜上の支配者と考えると、
まずまず他の疑問も解決がつく。
矛盾点もかなり消える。
人間が働いたり、遊んだり、
愛し合ったり、SEXしたり、
表現される全ての行動は、
『時間の支配から逃れる為の運動』と
言えなくもない。
この考え方は、わりとスッキリとする。
脳内の「モヤ」がすぅっと消えてく感じもする。
「だから何だ!」と誰かに言われれば、
「何でもなぃ!」と答えざるを得ない。
まぁ、話は変わるが、ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ
とにかく考えるっちゅ~行為は素敵だね。
「我思う故に我あり」という箴言を引くまでもなく、
人間はまず「考える」事から始める生き物だ。
無論「俺は本能の赴くがままに行動するぜぃ!!」てな野郎もたくさんいるだろうけど。
それも良し。
頭の善し悪しなんて関係なぃ。
ま、脳内レジャーを楽しまないと、
人間である事の特権(?)を放棄してるのと一緒じゃけんね。
あそぼあそぼ。