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チームワークの意味を考える。

以前から、職場の「空気」で感じていたこと、
機会があれば、いつか職場の皆に話そうと思ってメモに書き留めていた事がある。

それは、チームワークというものの意味について。

メモを書いた日付を見ると、もう1年以上も前のことなんだけど、たまたま今回PCの整理をしていたら見つけたので、せっかくだからここにも書いてみようと思う。


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チームワークとは何か?


ボクは、周りの同僚が余り口にしないような事もよく言う。あくまでも、ボクのいる職場の同僚は、という話だ。

それは、業務上で使っているマニュアルの妥当性のことだったり、業務効率の改善提案であったり、社内での連携・情報共有の方法であったり、お客様対応におけるマナーの部分だったり、それらに対する日常的な意識の問題であったり。

同僚に言わせれば、ボクは軽率に「言ってしまう」との事だけど、入社時に交わした社長との約束もあって、ボクはボクなりに、それこそが自分の役割みたいなモノだと思っている。

もちろん、例え内容が正論であっても「言い方や伝え方」は大切だし、その点においてボクには未熟な部分がある、という側面もあるのは事実だけど、それはまた別の機会に。

※ただでさえ人は、正論=言い返せない事を言われると、全人格を否定されたみたいに感じたり、傷付いたり、素直に受け止めにくくなったりする事がよくあるよね。


さて、本題に戻ると、改善点や問題提起の部分が見つかった時、それらは気付いたなら言うべきじゃない?とボクは思っていて、仮にその改善を提案することが、その業務を担当している人のやり方を否定する事になるとしても、それは「やり方(システム)の否定であって、担当者(人格)の否定ではない」と思うし、言い方には注意が必要だけど、黙っているのは違うんじゃない?と思っている。

※しかもボクの職場の場合、社訓には「気付いたことはすぐ実践しよう!」みたいな項目も含まれていることを添えておく。

だけど、やり方の改善提案を行っただけなのに、自分が否定されたような気分になったり、関係性への影響ばかり気にする人というのは往々にしているもので、それは理解できない訳ではないけど、それを理由に「言うべきじゃない」と考えたり、言おうとする人をむしろ迷惑者扱いされると、納得しがたい。

この空気や風土があると、ボクは昔から引っかかってしまうんだ。


諸問題に気付く・気付かない問題や、実践する・しない問題など、細かくいうと段階が色々あるんだけど、ボクが言いたいのはいつも単純で、「もっとよくなるやり方があるなら、やろうよ」という話なのだけれども、えてして「ずっとこうやって来たから」とか「これはこういう決まりだから」みたいな反応が出ることが多かったりする。

しかも、ちょっと腹割って話せる相手にその話をすると、大抵の場合は、
「場の空気悪くなるからやめとけよ」みたいに、諌められちゃったりなんかする訳です。

ちょっと待って、俺らって、チームじゃないの?
チームって、そういうのじゃなくない?って。

・・・なんかこう、すっごくモヤっとする。

フリーランスで、さらに個人で完結する仕事ならまだしも、幾つもの工程があって、複数の人間が関わって成立する仕事をしてるんだから、チームワークって大事だよね?


チームワークというものを、何か勘違いしてる人って、多くない?


そう、思うわけです。

昔からそう思ってしまう機会が多くて、あるいはそう思うようなチームにばかり所属していたのかも知れない。
それで、おそらくwebか何かを読んだ際に、職場のミーティングでいつか話そうと思ってメモに残してた訳だ。


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「チームの和を乱さない」ことが最優先じゃない


同じ職場で働く以上、気まずい関係にはなりたくないもの。
本当は指摘したい場面でも、チームの和が乱れてしまうことを恐れて、本当に言いたいことを呑み込んでしまう…。
そんな事って、たぶんボクの周りだけじゃなくて、皆の周りでもよくあるんじゃないかな。

確かに、チームの和は乱れないに越したことはない。

でも、仕事においてそれ以上に優先されるのは、定めた目標・定められた目標を達成することだと思っている。
そして、達成することが目的であれば、チームの和を乱さないことは、そのための手段のひとつに過ぎない。

なぜなら、チームワークというのは「単に一緒に働くグループ」の事ではなくて、それは単なるチームであって、同じ目的を共有する仲間同士で、目的達成のために互いに協力して各々の作業に取り組むこと、互いを高め合う関係で目的達成に向かう活動のことだと思っているから。

目的達成のために、互いを高め合いながら進んでいく。
ボクは、それがチームワークだと思っている。

だから、チームが目的を達成するために好ましくないこと、必要なことであるなら、例え一時的にチームの和が乱れることになったとしても、それは指摘したり、改善することを優先するべきなんじゃないか?と思うんだ。


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チームワークは、作るものではなく「生まれる」もの。


チームで定めた目標を全員が共有して、その目標達成のために各自がやるべきことをやる。
やるべきことが出来ていないものがいれば、指摘しあってでも、チームの穴を塞ぎ、弱みを補完しあい、支え合い、励まし合って、高め合って、そうやって目標達成に向かって前に進んでいく。

そうやって、全員がやるべきことをやった時の、その本気とか、努力とか、時間の中にある一体感、ある時点まで進んだ中で、共有した想いや時間の中で、汗や涙や苦労や達成感の上に、はじめてチームワークというものが生まれるんじゃないかな。

チームワークは、作るものではなくて、「生まれる」もの。


だから、例えば各自が全力を尽くしているなら、そこに本気である事が見えていれば、仮に誰かがその中でミスをしてしまったり、その失敗がチームや皆に何らかの負担を増やしてしまったとしても、周りにいる仲間は、別にその結果に対して咎めたり、怒ったりする必要はないだろうし、そんな気にならないと思う。

だけど、全力を尽くさずに手を抜いていたり、非効率なことに気付いていながら黙認していたなら、その結果でミスが生まれたり負担や損失が増えた場合、きっと責任を追求したくなったり、納得できない気持ちになったり、誰もが嫌な気持ちになると思う。

だから、チームの1人として、チームの仕事に非効率な点がある事に気付いたり、不適切な言動や振る舞いがあったなら、それは例えチームの和を一時的に乱すことになったとしても、指摘するべきだと思っている。

そうすることで、チームワークは生まれ、育まれていく。


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目標を共有してチームワークしようぜ。


チームワークは、作るものじゃなくて生まれるものと言ったけど、だからこそチームには、一緒に働く仲間として、共通の目的だったり、共有できる目標を持つことが大事だと思う。

ボクの職場でいえば上司にあたるんだけど、チームのリーダーには、チームの目的、目指す目標を明確にして、ボクたちメンバーに共有するような働きかけをして貰いたいところだ。

※どの職場でも、理想的な上司というのは、中々に見つからないモノだったりしますよね・・・。

いや、ボクの上司は違いますよ?仕事ちょー出来る人だし!!
部下のメンタル面の管理はともかく、パーソナルの仕事とかは特に・・


ま、仮にね。

仮に、身近な上司やリーダーにその姿勢が認められい場合でも、自分で出来る範囲で、自分が率先して、そんな風にチームを導いていけたらと思うんだ。

逆にね。

チームの目的や目標、そしてチームワークとは何かをメンバーと理解して、共有して、目標達成に向かって全員で頑張ろうー!という空気を作れたなら、仮に厳しいことを言ったとしても、多分、受け止め方が違うから、チームの和が乱れることも、ないんじゃないかな。


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チームワークを体感すると、むっちゃ快感。


今回、チームワークを勘違いしている人が多くない?って内容で、以前に職場で話したことを当時のメモを参考に(ほぼそのまま)書いてみた。

でも、割と多くの人が、学生時代とかに、チームワークを感じた経験って何かあったりしない?

例えば、体育祭とか駅伝大会とか、あるいは文化祭とかでもいい。
クラス対抗の学校行事とかで、何か1つの目標に向かって皆で励まし合ったり、出来てないところサポートしたり、もっと良い方法がないかとあーだーこーだと話し合ったり。

最初の頃はその中に、あまり協力的じゃない子とか、苦手だからとか渋っていた子がいたりして、あるいはちょっと自分勝手で声が大きな人なんかもいたりして、音楽性の違いで小競り合いが起きたり、ちょっとした喧嘩みたいになったり・・・。
なんか振り返ると恥ずかしいくらいに皆必死で、面白いよね。


最初はそうでもなくても、途中で色々あっても、小競り合った奴らなんかも気付けば和解してたりして、なんだかんだで最終的には全員が夢中になって、一緒に声を挙げて、一緒に笑ったり、泣いたりして。

そんな時に、きっと何ともいえない「一体感」があったと思うんだ。
凄く、仲間といることが誇らしく感じていたと思うんだ。

例えば、団体戦だとか、チーム戦のある部活動とかで、真剣にやってた人なんかも、体験してる人は多いんじゃないかな。

とにかく、もう、アレだ。
チームワークの存在を体感する瞬間って、むっちゃ快感だよね。


※まぁ、もちろん「そんな事なかったよ!」って人もいるかも知れないけどね。
例えばボクとか、ボクとか。


とにかく言いたいのは、あの経験って、いわゆる「青春時代」に感じたようなモノって、別に子どもの頃だけの特権とかじゃなくて、大人になったら体験できない特別なことじゃなくて。

社会に出て、右も左も分からない間に、先輩たちに言われるままに、空気を読んで歯車になっている間に勝手に諦めてるだけで、いつだって全然出来ちゃうことだと思うんだよね。

それは、自分たちの働きかけ次第だと思うんだ。

だから、上では難しそうな事を書き方をしちゃってるかも知れないけど、もっと単純に、どうせやるなら楽しくやろうぜ(※ラクしようぜではない)、真剣にやろうぜ、って皆に言いたいんだ。


※ただし、こういうのを1人だけ盛り上がってアツく語ると、
「あいつメチャうぜー」
ってなるのはほぼガチだろうから、働きかけ方は注意が必要。笑


・・・といった感じで、
職場のPCの中にね、テキストファイルでメモを書き残してた訳なんだ。

ちなみに、このメモの内容は、後日のミーティングで確か伝えた筈なんだけどね、状況は、変わっていないです(笑)


※なんだったらこれ、家族、夫婦、親子でも当てはめること出来るんじゃないかなとも思ってる。

以上、ナツキのパパでした。


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ナツキのパパ@令和の父親アップデート作戦中!
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。