HUCに感じる変化∞進化
初めに断っておくけれど、
単なる1人のファンの戯言です。
推しの中の推し、それがHUC。
さて、私の「推し中の推しコミュニティ」ことHUCについて、最近ふと気付けばだいぶ変わったなぁと感じたりする。
え、HUCをご存知ない?
それは勿体ないッ!!私から拙い説明するより、実際に彼女達のwebサイトを見て貰う方がいいね。
HUCに感じた変化とは?
あえて時期的な捉え方で線を引くなら、最初の2年におけるHUCと、3年目以降のHUC、かな。
何かコミュニティの熱量のようなものというか、空気の違いみたいなものを感じる。
それは決してメンバーの熱量が低くなったとか、マイナスの意味で言ってる訳ではなくて、当初のメンバーとその後に加入されたメンバーとの環境や状況の違い、メンバーとして取り組む必要があった事の違いやコミュニティが求められるモノの変化など、状況の違いによるものかなと思う。
単純にいえば、コミュニティの役割とか成熟度とか、そういった「フェーズの違い」によるものかも知れない、という意味ですね。
最初の2年は創世記。
というのも、初期メンバーの頃は多分、母親を取り巻く様々なしがらみ、例えば固定観念とか自己犠牲とか、そういった昭和の負の遺産というか、ただでさえ声を挙げにくい上に、気を出して声を挙げても拾って貰えなかったり、より厳しい扱いや想いに繋がったり、そんな閉塞感に包まれる中で、それまでは一人で抱え込むしか無かったそれらのモヤモヤを「課題」として「共有」しはじめた段階だったのかな思う。
言い換えると、HUCの創世記では皆がどういったモヤモヤを抱えているのか、それまで1人で抱えていたモヤモヤを忖度なくアウトプットしたり、存分にシェアする仲間が出来た事に始まり、それらが決して我慢すべきマイノリティではない事が見える化されて、ではそれらを打開するには自分はどうすれば良いのか、自分達は社会に対して何をしていくべきか、そういったアクションや仕組み作りを考え始めた段階ですね。
そして、そういった悩みや課題を皆で共有して、解決する為の道を探したり、活動を作ったり話し合ったりすることに、当初のメンバー達はよりエネルギーを割いたり注いだ部分が強かったと思う。
別の言い方をすれば、個人の状況の打開と共に、その為の精神的支柱となる組織作り、マインドのシェア、社会に対する価値の創造などの土台づくり。
また、その過程においては、それまで個で持っていたその想いが、人、仲間と繋がった事によって一気に視野と選択肢、つまりは世界が広がり、似た境遇にありながらも人によっては全然違う感じ方や考え方を持っている事や、解放の仕方や受け流し方が違ったりするという新しい気付きを得たり、それも本当の意味で、素のままをさらけ出した上での多様な価値観に触れたり、そういった良い意味で新しい驚きや感動の連続だったりがあったことと思うし、互いに勇気や希望が与えあって、蓋をされていたモノが爆発的に広がるような熱量は見ている私にも伝わる程だった。
熱量が失われた訳じゃない。
悩みや希望をアウトプットし合って、どうしていくかを皆で考える中で、それぞれの個にあった出口探しや作り方が少しずつ出来ていって、コミュニティとしての形も出来上がっていったのが、最初の2年で、いわゆる創世記的なものかなと思います。
なので、ここでいう熱量というのは、ゼロから何かを作る時にあるもの、いわゆるオープニングスタッフ特有の高揚感とか、戦友感とかありますよね、そういったフロンティアによくある種類のものかなとも思っていて。
組織の発展期に向けた最初の熟成期?
一方で2周年以降のHUCは、ある意味ではもう、出口は見つかっていて、それぞれ個人で悩みとかはあったりしても、出口が見えない閉塞感はないというか、少なくとも出口やヒントについてはコミュニティとしてある程度の形は出来ていて用意されているから、メンバーとしては、その中でいかに自分に合った出口を探すかという作業だったり、自分らしい生き方や、やり方で踏み出す勇気を得る場所になっていたりするのかなと思っていて。
なので今は、コミュニティとして創る作業は減っていて、個人として楽しく、イキイキできる方向性とか、自分のやりたい事に向き合ったり、解放する事に集中できる環境になってきてるのかなという印象を受ける。
※それも、創世記のメンバーがある程度まで解放されてしまっている事による、フロンティアの熱量が一旦落ち着きを見せたところへの新規メンバーとの立ち位置の差みたいな部分?
そういった意味で、熱量が低いとかではなく、注ぐ場所が変わったのかなと。
環境の違い、そういうフェーズの違いがあるのかなと思います。
だから、もちろんそれは良いことだし喜ばしい事です。
そういったコミュニティの空気やメンバーの姿が外にも見える化できて、そこに希望を見出して新しいメンバーが入るという循環が生まれることは、素敵な事だし、その時点で社会に対して既に1つの貢献が為されているとも思います。
社会貢献活動への自然な発展
また、個人が自分の生き方に希望を見出せるコミュニティとしては既になっていて、なんなら完成形に近いのかな?なんて思ってますが、その個人の生き方に前向きになってる結果として、趣味(内発的な興味や関心)に基づく社会貢献活動も増えてるのが素晴らしいですよね。
ちなみにここでいう社会貢献活動は、コミュニティとして企画するイベントではなくて、個々から始まるレベルのモノ。
それぞれが趣味で終わらずに発信(シェア)を経て、共感を生むモノが他のメンバーにも広まったりしてて。
コミュニティとしての対外活動
ただ、しいて言えば、個人の活動に関してはもちろんそれで良いけど、個人の内面が満たされていくと、ある意味で社会に対する負の感情が減るので、そうなった時に社会に対する活動として、コロナ禍もあるし、社会貢献活動としてのエネルギーは不足しやすくなるという側面もあるんじゃないかなぁ?という気もしなくはないので、そこについては、今後も維持というか、変わらずに活動して頂けたら嬉しいかなぁとは思います。
なのでコミュニティの外にいる勝手なファンとしては、今は2つの点?で見守らせて頂いてる感じです。
1.個人発ではなく法人発の活動。
2.メンバー個々の発信が活発な状態ゆえのリスクヘッジ。
※例えばメンバーによるシェアも多い個人の思想や発言がコミュニティの意見として受け取れられる事への注意喚起など?
中にいる人からしたら全く的外れな話かも知れないけれど、なんとなくオッサンが外から見て受ける勝手な印象の話ね。
またまた勝手な事を書いてしまってるけど、仮に的外れな内容だったとしても、きっと彼女たちは笑って許してくれると思っている(汗)
2周年の時にも偏愛を語っているように、HUCを箱推しする熱烈なファンなのです。
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。