世の母親に対して想う自分の感情の心理的背景にあった原体験の話。
※誰が興味あるんだこんな話…とは思うものの、何がいつどんな形で働くか分からないので文字に起こしてみる。
環境に苦しむ母親を見ると、感じるモヤモヤ。
いつからだろう、ワンオペ育児やその他、夫の不理解などで苦労する「ママ」達の声をSNS等で目にする度に、何とか助けてあげられないかと思ったり、気付かぬフリをしてスルーしてみるものの、ずっと気になってしまったり、焦燥感やモヤモヤした気持ちに襲われる。
決して、ボク自身が「ママ」の気持ちを深く理解できているだとか、妻を理解できていない夫に対して上から目線で何かを諭すとか、そういったマウントを取るのが目的の話ではない。
自分の心によく現れる、モヤモヤの正体のについての話。
逆に夫として何も出来ていない罪悪感からでもないだろうが、何かのきっかけで、そんなボクの心理的背景について、妻と話す機会があった。そして、自分の感情の背景にあるモノは何かと深掘りする内に、どうやら幼い頃の幾つかの原体験に思い当たるところがあった。
幼少期の「記録」について話した「記憶」。
ボクには5歳年上の兄と、3歳年上の姉がいる。
そんなボクが中学1年生の冬、祖父が亡くなった後だったと思うけど、色々と大掃除か何かをしていたら、どこからか古いカセットテープを見つけて、母と姉と、一緒に再生してみたんだ。
そしたら、なんの目的で録音したものかは分からないけれど、当時小学2〜3年位だった兄貴を相手に、かなり強い口調で話しかける母の声が流れてきた。
それは、まるで悪いことをした相手を詰問するような、責め立てるような、キリキリと神経質に問い詰めるような、本当にキツい口調だった。
テープを聴きながら、母は半分、泣いていた。
曰く、本人は全然怒っているつもりはなかったらしく、また内容そのものは、確かに問い詰めるよなものでも無かったように思うが、本当に厳しくトゲのある話し方だった。
母は、涙を流しながら言った。
あの頃は本当に余裕がなくて、子ども達にもいつも強くあたってしまっていた。優しく出来なかった。おにいちゃん(ボクの兄)はしっかりしていたし、甘えてしまって特に強くあたっていたと思う。。
頼れる人のいない地での孤独なワンオペ生活。
ボクの母は、結婚と同時に、ほぼ誰も頼れる人が傍にいない、慣れない土地に引っ越す事になり、そして3人の子どもが出来て、パートで働きながら、ほとんどの家事育児がワンオペの生活を送っていた。
心身ともに疲れ果てて、寝不足の毎日だったであろう事も、今なら容易に想像できる。
毎日に余裕がなく、我が子への接し方が厳しくなっていた事も、今ならとてもリアルに感じられる環境だった。
ボクの父は、朝早く出勤しては、帰りはいつも深夜で、日曜も休日出勤ばかりという、まさに絵に描いたような昭和の仕事人間だった。
実際、殆ど家に居なかったと思うし、休日に家族で出掛けたり、外食をしたような記憶もボク自身は殆どない。
※はっきり覚えているのは、年に何回か、唯一同じ県内に住んでいた父の親戚の家に向かうことがあって、その時はいつも道中にあるラーメン屋に立ち寄っていたことぐらい。ただ、そのラーメン屋では帰り際に子どもにアメをくれるので、ボクの中で小さな楽しみだった事をよく覚えている。
ついでに言えば、家族旅行なんてイベントも、ボクにとっては他人事でしかない無縁の行事だった。
祖父母とは他県に居を構えていたので、慣れない土地で独りきりのワンオペだ、おそらく想像を絶する孤独に耐えながら、必死に戦い続けたんだろう。
そして育ったボクの中のインナーチャイルド。
もちろん上記の他にも、余り大きな声でいえない家庭の事情など多々ある事情と紆余曲折を経て、ボクは大きくなった訳だけども、そんな母を見ていたからだろうか、ボクには5歳上の兄と3歳上の姉がいたが、今振り返っても、ボクらは揃って皆、あまりワガママを言わない、おねだりなども口にしない兄弟、だったのではないかと思う。
あぁ、妻との会話の中で、妻に言われて初めて自覚したのだけれども、ボクは「厳しく育てられた」ことと併せて、「それを嫌だったとも思っていない」という事を、これまで何度も口にしているらしい。
確かにそう思っているし、何度か折に触れて話に出したことがあった。
でも、もしかすると何度も言っているのは、無意識のうちに、そう自分に言い聞かせたい心理があったからなのかも知れない。
おねだりしてワガママを言う周りの子を見ると、嫌だったけど、その「嫌」は、本当はただ羨ましかったのかも知れない。
友達の家庭を羨みたくなくて、貧乏さ、厳しさ、甘えられない気持ち、いろんな意味での惨めさというか、そういったモノを認めたくなくて、自分はこれでいい、周りの同級生は子どもだ、と言い聞かせていたのかも知れない。
ここまで来て、ほぼ確信めいたモノになってきた。
ワンオペのママを見て救いたくなる衝動の理由。
ボクが世の中のワンオペママ の愚痴や弱音を見て苦しくなるのは、家事育児 に参加していない罪悪感とかではないし、きっと幼い頃の原体験や想いがあって、心が震えるからなんだろう。
思えば、母を困らせないように、我儘やおねだりを言わないように、ある程度の物心がついた時から、しょせん子どもなりにではあるけれど、いつも気を遣っていた、その自覚と記憶がある。
両親が喧嘩しないように、大人が険悪にならないように、常に顔色を伺っていた幼い頃の自分もいた。年を重ねるに連れて、あまり家庭を顧みない父へに対して態度を硬化させていく兄や、家族と父との間にある空気がどんどん冷たく、息苦しくなる中で、少しでも良くなるようにと、朝だけ顔を合わせる父との数分間の間に、無理して話しかけたり、わざとらしく笑って見せたり、演じていた自分もいた。
ワンオペで余裕のない母の姿を、当時の録音で追体験した中学1年の自分をきっかけに、当時の想いがアレコレと蘇ってくる。
きっと、ワンオペで苦労していた母を助けたい気持ちから。
また、家庭に居なかった父へのアンチテーゼとして。
また、今も自分の中にいるインナーチャイルドを救うために。
その為にボクは、ワンオペ育児の愚痴や、旦那への不満をこぼすママの声を見ると、胸がギュッとなるんだと思う。
そう、世の中のママを助けたい!という高尚な理由なんかじゃなくて、綺麗事じゃなくて、ボクはきっと、ボクの心を救う為に、世の中のママを応援しているんだと思う。
楽しそうな「母親」を見ると、涙が出そうになる理由。
そして、世の中には、いろいろな環境にいる母親達が、繋がり、毎日小さなアップデートを続けて、それぞれの人生を楽しんでいこうとしているコミュニティもある。
そこでは、様々な立場で、悩みで、価値観で、立ち止まったりした人たちがどんどん前を向いて、何かを見つけて、楽しそうに、笑顔になって、自分らしく、自分の人生を歩んでいる姿を目にする。
そんな時、楽しそうに生きる母親たちの姿を見る度に、ボクはいつも、泣きそうになる。
これもきっと、ボクの中にある、ボクが見てきた母親が、救われる気がして、安心するからなんだろう。
ボクの中の「母親」が救われると、色々と我慢したり自分の気持にも嘘をついて過ごしてきた当時の記憶と心を持つボクの中のインナーチャイルドが、暖かい日に照らされて少しずつ溶けていくような感覚になるんだろう。
暗くて寒かった、雪も吹雪くような孤独で長い長い夜があけて、暖かい陽射しに照らされた雪解けの水のように、心がじんわりして涙が出そうになる。
うん、この感覚の正体が、見えてクリアになった感じだ。
長い独り言です。