受験や就職も目的ではなく手段。
不登校の長男と次男がいる三児の父、
ナツキのパパです。
子どもが不登校になったことで気付けたこと、
沢山あるんですけど、
改めて考えるきっかけをくれたモノの1つに、
受験や就職といった一大イベントに関する考え方があります。
子どもの頃のボクは、というより、
つい最近になるまで大人になってからもボクは、
学校に行く事や勉強する事の目的を、
あるいはゴールというものを、
受験での合格や良い会社への就職に近いもののように考えていたかも知れません。
だって、言い訳ですがそう言われてきたし、
そうじゃないと不幸になるかのようなニュアンスでずっと教わってきたし、させられてきたから。
でも、違うんですよね。
受験に合格することも、
良い会社に就職することも、
ある意味では幸せを感じるために?
ある意味では苦労しない生活をするために?
大事なことだし、大切な要素ではあります。
でも、幸せになる事や、苦労しないこと、
苦労せずに済むようにとの想いが根本なら、
ゴールは幸せになる事だし、
苦労しない生活を送る事だよね。
それなら別に、
必ずしも受験に合格する必要はないし、
必ずしも名前の知れた会社に就職する必要もない。
もちろんその過程で積み重ねた苦労や努力、
継続する事や反復する事など、
体験価値は大きいと思うし、
それが人生の財産になる人も沢山いると思います。
ただ、必ずしも全員がそうでは無いし、
受験に合格した人が皆幸せになっているか、
幸せを感じているかといえば、
たぶんそうではないとも思うし、
実際に悩んだり苦労している人も知っている。
今の時代は特に働き方や選択肢も多様だし、
この先はweb3でさらに社会も変わるだろうし。
そう考えてもやっぱり、
受験も就職も、
手段であって目的じゃないんだよね。
学校だけじゃなく親も含めて、
そこに誤解があると苦しくなる。
仕事ではよく言うし聞くけど、
手段であって目的ではない、
それは学校もだし、受験もだし、就職もそう。
それらの価値観や優先順位は人それぞれ。
だから、他人の評価軸や価値基準の言葉に、
振り回される必要もないよね。
「今まさに子どもが不登校になりかけている」という保護者の方には、ボクが失敗してしまった「初期対応の過ち」について書いたこちらの記事も読んで頂けたらと思います。
子どもが不登校になって気付いた事の1つに、共感と観察の大切さがあります。
不登校の親として思うこと
これらの他にも、ボクが自身の経験から不登校に対して思う事を、以下のマガジンにまとめていますので、もし宜しければフォローのうえ他の記事もご覧頂けたら幸いです。