遺書No.589 マッチの火で見るよに。
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2006.2.13
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愛を伝えるには、必ずしも言葉で紡ぐ必要はないのかも知れない。
ただ、そこに想うのは、相手を見ること。
心の声にまで耳を傾けること。
『黙って相手の話に耳を傾ける。』
どうやらこれは、愛の第一義務かも知れない。
そういえば、かつて次のような愛の詩を目にしたことがある。
フランスの民衆詩人、映画作家、童話作家であった彼は、生涯にわたり分かり易い言葉で詩を書いた。
電気が満ちる現代に生き、尚且つ想像力が拙い人にも流石に理解できるだろう。
交わした言葉に齟齬があったり、言葉に誤りはないのに先入観による歪んだ解釈があったり、相互理解を阻害する要素は沢山ある。
実はここ数年、インターネットで誰かと繋がったり、交流する機会がとても増えたけれど、実はそれと比例するように、表面的な言葉だけで物事を解った気になって人を見下したり、マウントを取ったり、傷付いたり傷付けたりする機会も増えているような気がしている。
思い過ごしなら良いけれど、たぶん電子の箱を介したコミュニケーションの中で、それはきっと気のせいではないとも思っている。
相手を承認すること、受け入れずとも受け止めること、顔を合わせて話でも難しい部分は、今後のネット社会では更に難しくなるだろうし、総じて相手の言葉の本意や真意に気を配ること、ニュアンスの伝わりにくさを慮ること、それらの配慮は一層大事になってくると考えている。
それこそ、マッチの火を灯して見るように、注意深く相手を見つめ、刹那の見逃しや聞き逃しも許さぬように相手の心に向き合う事が大切になるだろう。
そしてこのまま何年かが経った頃、その答えは出ているだろう。
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。