遺書No.516 リモートコントロールする者の矜持。
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2005.12.2
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随分寒くなりましたね、皆さん。
風邪などひかぬよう十分に注意しましょうね。
こんばんわ、みーくんです。
~客観的に自分を見つめる術は、
時として危険な事件を巻き起こす~
の巻。
・・・ある日、男は仕事から帰ると、着替えもせぬまま疲れた身体をソファに投げ出して、テレビを見ていた。
彼はテレビから垂れ流される、芸能人のプライベートな事情を取り扱った下世話なニュースに辟易し、チャンネルを変えようとしたが、リモコンが見つからなかった。
面倒臭そうに顔を顰めながら、リモコンを探して部屋の中に視線を泳がす。
そして、リモコンが彼のソファからずいぶんと離れた(彼からテレビまでの距離よりも遠い)場所に落ちている事を、発見したのである。
彼は立ち上がろうとするも、一瞬、一抹の不安が彼の脳裏をよぎる。
つまり、テレビまで歩く方が近いのに、リモコンまでわざわざ歩きテレビをリモートコントロールするなんてあまりにも馬鹿げている。
そう、そんなんじゃまるで機械に使われている、言うなれば、逆にテレビにリモートコントロールされているみたいじゃないか…?
彼は確信する。
OK、現在の複雑な状況は明らかになった。
それでは、改めて考えよう。
テレビまで歩くのが得か?
それとも、今後のチャンネル変更の可能性も吟味した上で、今少しばかりの苦労をしてでもリモコンを取りに行くのが得策か…?
しかし彼は、そこまで考えたところで、ここまで決して気づかなかった・・・いや、むしろ気がつかない振りをしてきた【第三の方法】への思考に辿り着いてしまい、禁断の果実に手伸ばすのである。
テレビにリモートコントロールされるくらいなら、逆にリモコンの裏をかく形で、いっそリモコン自体を更にリモートコントロールできないだろうか、、?
しかしどうやって!?
どうせ殺るなら一発で確実に仕留めなければならない。
例えばリモコンの将来性も吟味して、何か柔らかいものを何度もリモコンに投げるのはスマートじゃない。
それこそ間抜けなピエロじゃないか。
では、いっそ今この手の届く場所にあるエアガン、「ボルトアクションライフル SRS A2-M2 22インチバレル 」で撃ち抜くというのはどうだろうか?
ただ、リモコンはほぼ確実に死ぬ恐れがあるが…。
・・・いや、そんなことは問題じゃない。
テレビをリモートコントロールする為のコントローラーによって自分がリモートコントロールされてしまうぐらいなら、例え最後になろうともリモートコントロールする側の誇りと矜持に則って、リモートコントローラーにその責務を果たさせテレビジョンをリモートコントロールする!それが取るべき選択ではないのか!?
そうだ、間違いない。
となれば、問題は、今、この瞬間、リモコンが逝く前にきちんとその役目を果たせるかどうか、それだけなのだ。
彼の思考はひとまずの結論を得た。
そして彼はトリガーに指をかけるが、最後の不安要素が彼を躊躇させる。
『本当に奴は逝く前にその役目を果たすのか?』
彼はひとまずエアガンを降ろして、目の前のテーブルに置いていたパソコンを開いた。
そしていつもの脳内会議、いわゆる心のシンポジウムを開催し、ベストな議決を導く為の情報収集だ。
そして、彼の脳内に住む【審議官みーくん】から、早速議題の提唱が行われた。
事態は急を要する、、
それも嘘ではないが、これはもはや、誇りと矜持の問題だ。
これには【理性派みーくん】や【カオス派みーくん】、【打算派みーくん】や【リベラル派みーくん】、【エロス派みーくん】など、その他の各人格が積極的な参加があり、無事に一つの結論を導き出す事に成功した。
・・・答えは出た。
しゃーねぇ、超だるいけどリモコンを取るか…。
ボクは意を決してソファから立ち上がった。
・・・ま、気にするなょ。戯言だ。
そいうえば、TVが「テレ・ヴィジョン」という名前である事、すなわち、遠隔のものを目に見えるようにする道具であり、いわば「魔法の鏡」であった事は子供でも知っているだろう。
だが、それは本当は「視覚を遠隔操縦する」事でもあったのだ。
いまや、視覚ばかりでなく、俺達の感覚、実感の全てが、この操作的平面のただ中を駆け回っているといえるけどね。
ところで、リモコンを握っているのは一体誰か?
それはメディア自身に媒介された、無方向で無動機の欲動というしかあるまい。