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[小説]『朔の日 歌う月の鳥』③

<第三話 ヨルから見た世界>

 カフェ「朔(ついたち)」の店主は、変わり者だ。でないと、お店のイメージに影響するインテリアの水槽を猫の住処にしようなんて、まず考えない。いくら、改装する前に猫が勝手口で、うずくまっていたとしても。
「ヨル、今日は下に降りるの早いねー」
 仕込みを始めるために降りて来た店主、つまりボクの飼い主、満月(みつき)さんが、あくびをしながら、一階の冷房スイッチを入れた。
「今日からカナタが来るからよろしくね」
 カナタとは満月さんの小学生三年生の甥だ。いつもはおばあちゃん達と住んでいて、長い休みになると泊りにやって来る。
 ある時、宇宙の図鑑を広げてカナタはこう言った。
「ヨル、僕はいつか宇宙に行くんだ」
「ふーん」
「子どもの頃からの夢なんだ。まあ、子どもの頃は、お父さんとお母さんが空にいると思っていたからなんだけど」
「いるかもしれないよ」
「え?だって」
「絶対いないなんて言いきれる?」
 ボクは図鑑とカナタの間に割り込んで、ヒゲでほっぺをつつく。
「はは、くすぐったいよ、ヨル」
 ボクの言葉がわかるからと言って、言いふらしたりしないのがカナタの良い所。
「いらっしゃい、カナタ」
「満月ねえちゃん!ひとりで来れたよ!」
「おっ、カナタくん、また大きくなったなあ」
 バイトの滝君が、頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。
「タッキー、これ」カナタは電波をキャッチしたみたいな髪のまま、リュックから菓子箱を取り出すと「おばあちゃんからです」と渡した。
「えっ、どうして俺に?」
「いつも休憩時間に勉強を教えてもらっていること、話したの」
「そんな、いいのに。でも嬉しいな。ありがとう」
 タッキーは受け取ると、カナタの荷物を持ち「みんなで食べましょう。休憩室に置いておきますね」と、こっちの部屋に通じるドアを開けてやってきた。
「ヨル、おまえは食うなよ」タッキーは焼き菓子の詰め合わせをテーブルに置く。ボクはそんな食い意地の張った猫じゃない。シャー!と威嚇しておく。
「おおこわ」
タッキーはそそくさと出て行った。
 
「ヨル、ひさしぶりだね。ゴールデンウイーク以来かな」
「あの時にくれたカンヅメ、おいしかったぞ。まだある」
「あはは。おじいちゃん達、たくさん持ってきたもんね。あの日は、僕がちゃんとひとりでここまで来れるかのテストだったんだ。おじいちゃん達が地下鉄も電車も、隣の車両からチラチラ見てたんだよ」
「合格したんだな」
「うん!ね、ヨル、上に行こう」
 カナタが窓を開けると、一気に緑の強い匂いと熱い風が部屋に流れこんできた。満月さんが知ったら、せっかく二階にも冷房をかけているのにと叱るだろうな。
「夏休みだー」
 カナタのうしろ姿は、前のご主人を思い出す。大切な人を失って、泣いてばかりいたご主人を。だから話し掛けたんだ。笑ってほしくて。
 心に大きなカナシミがある人にだけボクの言葉が届く。やっぱりカナタには聞こえた。そしてボクらは友達になった。
 
☆ ☆ ☆
 
 農業フェスタで、収穫体験をしてきたカナタが、真っ黒になって帰ってきた。今日、「朔」は出店のためお休みで、カナタを送ってきたタッキーは、キッチンで焼き菓子を作り続けている満月さんから、商品を受け取ってすぐ会場に戻っていった。カナタのリュックからトマトやきゅうりがいっぱい出て来て、テーブルにごろごろ転がった。
「楽しかった?」
 満月さんが来て、つやつやしたトマトを手に取る。
「うん!今日さ、これでサラダを作ろうよ」
「いいわね。冷製スープも作りましょうか」
「僕にも手伝わせて」
「ありがとう。そうだ、滝君に帰り際、骨付きソーセージを買ってきてもらおうか。打ち上げでねぎらわなくちゃね」
 満月さんはトマトを眺めて「林さんのお店はどうだった?」と聞いた。
「お客さんがいっぱい、あっ、モリばぁが来たよ、すごい恰好してた。サングラスに大きな帽子に、ながーい手袋で、「あついったらありゃしないよ」って」
 そのモノマネが満月さんのツボにはまって、カナタの”モリエさんあるある”は続く。
 満月さんが笑う姿を見て、カナタはカナタでほっとしたような笑顔になる。
 ボクは思う。心配しなくても、君は愛されているよ。
 
「いやー、いいんですか、俺まで」
 トリさんがやってくると、いつものことだけどたちまち店はにぎやかになる。一階の休憩室でうとうとしていたカナタがすぐ飛び起きて、跳ねるように店側に行った。
「トリさんも来たの!」
「おー、カナタぁー。収穫、頑張ったな!いや、滝君がさ、打ち上げどうですかって言うから、急いで片づけて来たんだよ」
「いやいや鳥海さん、違いますよ、僕はただこれから打ち上げだから、肉やソーセージを買っていかなくちゃって言っただけで」
「え?じゃあこの差し入れいらないの?地ビール、美味いぜー」
 ふたりのやりとりに「あんたたち!」と割って入ったのはモリばぁ、いや、モリエさんだ。
「ワインもあるわよ」
 満月さんが笑いながらキッチンに向かうと、トリさんが「焼くのは任せて」と、次々パックを破り始めた。カナタのサラダがテーブルの真ん中に置かれて、トマトの冷製スープが紙コップに人数分注がれた段階で、タッキーが「じゃあ乾杯の音頭を僕が」と言うや否や「カンパーイ!」とビールを掲げて、「いや、いきなり!てか俺の存在!」と、焼き係でキッチンにいるトリさんにツッコミを入れられる。
 大人の中で、子どもらしさを強制されず子どもでいられるカナタをボクは安心して見ていた。そろそろ上に行こうかなと思っていた頃、「ダイキチはなんで来ないのよぅ」と、トリさんにからんでいたモリエさんがふらふらと倒れこんだ。
「モリばぁ!」
 駆け寄るカナタにモリエさんが、「大丈夫、ちょっと飲み過ぎただけよぅ」と言って上げた手は、だらんと落ちた。
 
「お前は、何歳だと思ってるんだ!!!」
 林さんの怒号が飛んだのは、水槽を挟んだこちら側、休憩室だ。この店の常連、仙田医院の二代目が「まあまあ」となだめる。
「だってよぅ、保ちゃん、こいつは昔から陽ざしに弱いんだ。なのに今日はずっと外にいやがって、トドメに飲んだくれて」
「枕元でうるさいよ。そういうのは死んでからやっておくれよ」
 かろうじてツンツンさを出したモリエさんが「それより」と、まだ涙目のカナタを手招きする。
「モリばぁ」
「ごめんねぇ、カナタ。不安にさせたね」
「死んじゃいやだよ、モリばぁ」
「まだまだ生きるよ。やりたいことリストの半分もこなしちゃいないからね。カナタ、あんたとだって、やりたいことがあるんだ」
 モリエさんはさっき届かなかった手で、カナタの頭をそっと撫でる。
「僕と?」
「観覧車に乗りたいんだよ。大きな大きな観覧車に」
 林さんが「そりゃ、ばばあひとりでは乗りづらいわな」と悪態をついた。
「まあなにごとも、ほどほどにですよ。モリエさんもダイキチさんも、ちょっとでも不調を感じたら相談してくださいよ」
 穏やかな二代目が「では、お大事に」と立ち上がった。満月さんがお礼を言いながらドアまで見送り、深々とお辞儀をした。
 
「あんた、打ち上げに戻らなくていいの」
 林さんが組合の打ち上げから駆け付けたことを知ったモリエさんが、天井を見ながら言う。
「どうせ最後にはこっちに寄るつもりだったんだ。飲んだトリを軽トラごと連れて帰らないとな」
「あんたはあんたで、相変わらず酒が飲めないんだねぇ」
「八十になって急に飲めるようになるやつなんていないだろ」
「そうだよねぇ・・・あたしも一生、お日様には弱いままなんだろうね」
 ため息をつくモリエさんに林さんが「あれっ」と気が付く。
「どうしたんだ、その爪」
「ああ」モリエさんは切っただけでなく、ネイルが塗られていない指を、自分でもまじまじと見た。
「収穫体験に参加するのに邪魔だろ」
「ば・・・本当にお前は何をやってんだよ。だから倒れちまうんだろ」
「やりたいことリストにあるんだから仕方ないでしょ」
「リストリストって、やれなくたって、誰も何も言わないし、なんかムキになってないか」
「それもそうだね」モリエさんが急に涙目になって、ちいさい声でつぶやくので、林さんが「いやまぁ、お前の好きにすりゃいいんだけどよ」と、優しい声になる。
「毎日、やりたいことをぽんと思い浮かべて、それが出来たら最高の一日っていう、そういうのでいいんじゃねぇか。俺達年寄りはよ」
「うん」モリエさんはますます小さな声になる。
「いくら軍手をしたってよ、爪の間に土が入り込んで汚くなっちまうんだよ。いやだろ、俺みたいな手になっちゃ」
「いやじゃないわよ」
 ふたりの会話は、水槽の向こう側で片付けをしている満月さんやトリさんたちには届かず、ボクにしか聞こえない。
「あー、まあさ、ほら」林さんが立ち上がりながら言う。
「モリエがさっさと逝っちまったら、誰が温泉巡りにつきあってくれるんだよ。やりたいことリストなんて、俺はとうに捨てたけどさ、一個ぐらいならこんな頭でも覚えていられるんだ」
モリエさんが黙り込む。
「温泉巡り。お前、温泉ソムリエなんだろ、そん時はウンチク聞いてやるわ」

「えー、僕も見たかったな。モリばぁの照れた顔」
 満月さんがモリエさんと一階で寝ることにしたので、ふたりきりになったボクとカナタは夜、遅くまでおしゃべりした。
「誰もいないから、素直になったのかもしれないよ。人間は言葉を使うのがヘタクソだからさ」
「ヘタクソなの?」
「ヘタクソになってゆくんだ、大人になってゆくと」
「へんなの。僕は知らないことだらけだから、たくさん知りたいよ。でもそうしたら、自分の頭が図書館みたいになって、何か言う時に、どの本のどのページから出せばいいか、わからなくなるのかなあ」
 まずい。カナタが難しいことを言い出した。ボクはニャーン、と猫らしく鳴いて寝ることにした。
 
<第三話 完>

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