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[小説]『朔の日 歌う月の鳥』①



<あらすじ>
半島にあるキッシュ専門店「朔」は水槽に猫が棲んでいるカフェ。でもその猫にはヒミツがあって・・・?そこに訪れる人達の日常のひとコマを描くオムニバスストーリー。

<第一話 カフェ朔(ついたち)>

 まずタルト生地を作る。
卵、溶かしバター、砂糖を入れながら混ぜて、最後に小麦粉を入れて、手でこねる。ヘルシーにするならバターではなくサラダ油のほうがいいのだろうが、毎週土曜日に来る客に「これ好きだな」と言われた時はバターを使っていたので、以来なんとなく週末ブランチのキッシュ生地はバターにしている。
「今、生地を作ってるの?間に合うの?」
 いつもより早く来た(バター生地が好きな)客がカウンター越しにのぞきこみ、話しかけてきた。ハッとして見渡すとバイトの男の子がいない。
「彼なら表の黒板にブランチメニューを書いてるよ。俺がおかまいなくって言ったの。いつものキッシュブランチね」
 客はそう言いながら、慣れた動作でカウンター下からおしぼりを取り、水を自分で入れて席に着いた。
「ありがとう」
「だって手が真っ白じゃん」
「今日、友達が子ども会の会合にここを使うの。おやつみたいにキッシュをつまみたいって言うから、追加で生地を作っていて」
オーブンが止まって、出来立てのキッシュを切り分けながら「今日も午後から仕事?」と聞く。
 彼は自然食レストランで調理をしている。海の無い県出身だから、海のそばで働きたいと、この半島まで来たのだと話してくれたことがあった。いつも寝癖で髪が逆立っているから、つい、ウミアイサを思い出してしまう。
「ああ、おいしい。野菜のうまさが引き立つなあ」
 キッシュに添えるサラダも含め、野菜は彼の店でも仕入れている農家の林さんが作ったものだ。型にタルト生地を敷いて、コンソメで下ゆでしたキャベツとにんじんを乗せる。
「流れがキレイだなあ。うちの大将も動作にムダがないけどサクさんは、さらに丁寧」
 店の名前は「朔」と書いて「ついたち」と読むのだが、平仮名とローマ字でルビを振っていても「サク」と読む人は多い。それでたいていの人は私のことを「サクさん」と呼ぶ。そして彼のことはウミアイサ君とは言えず、やはり店の名前「sol」からそのまま「ソル君」と呼んでいる。
「俺、舌は確かなんだけどな。でも自分がたどりつきたい味を表現しているのはサクさんなんだよね」
 きれいにたいらげた皿に両手を合わせて、ソル君がちいさく息をついた。
最高の褒め言葉をありがとう、と言う代わりに「ちょっと待ってて」と、私は冷蔵庫からゼリー寄せが入った型を出し、切り分ける。体温が0.5℃上がったような気持ちを隠そうと、手がわずかに震えた。赤い縁取りの小さな皿にスイートキャロットとグリーンアスパラのゼリー寄せが乗る。
「うわー、きれいだな。食べていいの」
「クリスマスメニューの試作だけど良かったら食べて。これはコンソメゼリーだけど、あさりの出し汁とかトマトスープで作ってもいいかなと思っているの。感想を聞かせてくれる?」
「褒めると、どんどん出て来るなら、ずっと褒め続けるけどね」
 笑ったはずみにフォークにさしたスイートキャロットがつるりと飛んだ。
「あ、問題点発見」くつろいだ顔で笑う。仕事前にこういう顔が出来る人はいいなと思う。
「じゃあまた来週。今度はメイン料理の試作品が食べたいな」
 うなずきながら、すでに頭にあるメニューが2つ3つ、よぎる。どれを試食してもらおうか。
 だけど彼は次の土曜日も、その次の土曜日も来なかった。

 ☆ ☆ ☆

 11月の終わり、定休日にふと思い立って総合動植物園へ出かけた。親子連れが動物園のエリアに向かう流れとは別に、巨大なガラスの温室に入っていく。世界中の熱帯・亜熱帯の植物が展示されているこの温室は、日常と違う空間をくれる。サボテンの部屋に入った瞬間、肌にまとわりつく空気も植物の濃厚な生命の匂いも心地良い。温室の中で一番会いたかったバオバブの木に挨拶をする。ソル君もこの木のことを知っていた。 
 大温室をゆっくりめぐり、水草や蓮の部屋を通り過ぎて外に出ると、遊園地エリアからにぎやかな音楽と子ども達のはしゃぎ声が一気に飛び込んで来た。その光景の方が非現実的に感じる。観覧車が空を動かすダイヤルのようだ。
 そういえばソル君は観覧車が苦手だと言っていた。飛行機はもちろん、吹き抜けのビルにある長いエスカレーターも。
 観覧車に乗りたい、と日頃から思っていたわけではないけれど、今乗らなければ乗ることも無い気がして、チケットを買う。ひとりで乗るのは淋しいかと思っていたけれど、乗ってしまえばゴンドラは、機械の音を一定に響かせながら空に近づいて行った。見下ろすと動物園は面白い。キリンもゾウもジオラマのように配置されている。
「木がブロッコリーみたい」
 仕入れたブロッコリーを使い切らなくては。以前、まかないで作ったブロッコリーの茎のスープをソル君に出したら喜んでいたっけ。
  ゴンドラが頂上にたどりつく。今日はずっとソル君のことを考えているな、と思った。

☆ ☆ ☆

 クリスマスプレートがメニューに入り、店内のディスプレイも冬模様にした頃、さすがにバイトの滝君が「そういえばソルさん、最近来ないですね」と気にしだした。
「そうね、病気じゃなければいいけど」
 店宛のダイレクトメールに目を通しながら言うと「それはないですよ」と明るい返事が来た。
「この間、デパ地下の地産地消コーナーで見かけましたから。女の子と一緒だったから、声はかけなかったんですけど」
「そう。元気なら良かったわ」
 葉書を一枚だけよけて、あとはダストボックスに放り込む。捨てる音がいつもより大きく響いた。開店前の温まりきっていない店内は何もかもが固い。カウンターの下の小さなジュエリーボックスから銀色のオルゴールボールを取り出す。今は北海道で雪のギャラリーカフェをやっている友達がくれたものだ。空気を浄化してくれるそうで、開店前と閉店後に鳴らしている。
 その友達からは時折、葉書が届く。さっきよけておいた一枚には、美しい雪のイラストにかわいらしい文字で「一度遊びに来てください」と書いてあった。シェフとの連名になっていて、彼女のほうに名字が書いてなかったことでふたりが結婚したんだと静かに悟る。
・・・遊びに行かないと。
 でないと彼女がずっと罪に思ってしまうだろう。かつて私と一緒に店を出そうと約束した人が、彼女の隣にいることを。

☆ ☆ ☆

 春になると摘果メロンがまず欲しくなる。夏まで楽しめるためいろんなレシピが思い浮かぶ。生ホッケをミンチにして、生姜を加えて肉団子を作り、摘果メロンとトマト、玉ネギ、にんじんとブイヨンで煮込んで春野菜スープにしたり、豚肉の薄切りと摘果メロンを交互に重ねてミルフィーユフライにしたり、定番の漬物も塩昆布、わさび醤油、にんにく醤油漬け、といろんな味で作る。
「林さんに頼まなくちゃ」
 配達の時に確認しようと思ったところに裏口の扉が開いた。
「まいど!林ファームです」
 段ボールを抱えて入ってきたのはソル君だった。驚く私に会釈して、野菜を次々ボックスに移し替えていく。
「あ、いつもそこまでしてもらってないから」
「サクさん、元気でした?」まくりあげた袖をさらにグイッとあげてソル君は笑った。
「林さんとこに就職したんです。ずっと頼み込んでいて、ようやく正式にこの春から採用になりました。ほら、今日のすごいでしょ」
 まるっとした玉ネギより、ごつごつした指先を見つめてしまった。
「あ、キッシュあります?ブランチの」
「あるけど今日は平日だから、バター生地じゃなくてあっさりした生地なの」
「バターを使うのは週末だけなんだ?」
「正確に言うと土曜日だけ」
「へぇー。でも、うん、おいしいに違いないから開店前だけど食べていっていいかな。軽トラ、ちゃんと停めて来るから」
 いったん風が消えたようになったキッチンで、あわててガスオーブンに火を入れた。香ばしい匂いが立ち込める頃、再びソル君が裏口から入ってきて、大きなビニール袋を差し出した。
「摘果メロン」
「あ」
「注文の先読みしちゃいました」
「ええ、今日頼もうと思っていたの」
 キッシュを切り分けて、ふたつの皿に乗せる。サラダを自家製フレンチドレッシングでさっと和えて砕いた素焼きアーモンドを散らした。
「就職祝い、というにはささやかだけど、ごちそうさせてね」
「いいんですか?嬉しいなあ」
「私も一緒にいただくから」
 カウンターに並んで座る。そういえばこんなふうに並んで話すのは初めてだ。
 ソル君は、仕事先で林ファームの林さんが、農場を自分の代で終わらせるつもりでやっていると知ってからのことを話してくれた。
「おやっさんはもう八十歳なんだよ」
「えっ、そうなの?」
「見えないよね。でも教えてもらうなら今しかないと思って」
 ソル君はずっと、調理師としてではなく、もっと違う形で食に関わった方が向いている気がしていたそう。住み込みで働き始め、本気だと信じてもらえたと笑う顔は、まだ春なのにすっかり日焼けしている。
「林ファームの野菜は、デパ地下でもちゃんとコーナーが設けられているんだよ。やっぱりおいしいってわかるから、みんなブランドを選んで買っていくし。おやっさんが作った土壌を責任を持って受け継ぎたいって思ってるんだ」
「デパート・・・滝君が見かけたって言っていたわ」
「え?そう?いつだろう。話しかけてくれれば良かったのに」
「女の子といたから、気を利かせたそうよ」思い切って、でもさりげなく言う。
「ああ」合点がいった顔で「お客さんに林ファームのこだわりを語ってた時だ、たぶん」と最後のひと切れを口に放り込んだ。
「うわー、恥ずかしいな。きっと熱く語っていたと思う」
 かなり前の目撃談に顔を赤くしながら、立ち上がり裏口に向かう彼は、よく考えたらもう「ソル」君ではない。
「お疲れ様でした」と言いかけたところで彼が振り向いた。
「サクさん、あのさ」
「はい?」
「林のおやっさんがもう引退するって聞いた時、今のサクさんの料理が食べられなくなるって思ったんだ」
 確かに、林ファームの野菜が仕入れできなくなるのは大打撃だ。
「でももう大丈夫。サクさんとこの野菜は全部俺が作るから。一生、おいしい野菜を作ってここに届けるから」
「一生?」
 ぷっと吹きだした。私はずっと料理人として生きるのだろうか。でもとても頼もしい仕入れ先を持っていると思うと、ひとりで頑張ってみようかな、という気になってくる。
「頼りにしているね」
「任せて。あ、あと、俺の名前」渡された名刺には、ソル君よりもっとぴったりな名前が書いてあった。
「今度、サクさんの本名も教えてよ」
 
 いつか雪のギャラリーカフェに鳥海君と行けたらいいのに。そんなことをふと思って「あ、飛行機がダメなんだった」と気づく。でもそれも土を愛し、命に根を張らせて育てる彼にぴったりな弱点だと思った。
 
<第一話 完>


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