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【悪性リンパ腫・闘病記⑨】抗がん剤スタート

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入院から2週間が経過したが、同世代らしき年齢の患者の姿を見たことがない。若くても癌になる人はいるが、それがとても珍しいことだと痛感させられる。当たり前だが、高齢者の割合が圧倒的に多い。

だからこそ、と言うべきか、高齢者の方々の苦しい姿を見ることはとても辛い。夜中に吐き気を催してトイレに行くと、隣に寝ているおじいちゃんが、痩せた身体を全力でさらに絞るように嘔吐をしていた。別の日には、掠れた呻き声が静かな病室に響いた。長く生きていればそれだけ病気になる確率が高いのは仕方が無いけど、そもそも「生きる」と言うことがどれだけ大変で、地獄は死後でなく現世にあることを悟らされる。これが、目を背けたくなる現実だ。

さて、時を戻そう。ついに抗がん剤治療がスタートした。防護服に身を包んだ看護師が、オレンジ色の点滴液を持ってきたときは流石に身を構えた。これはエナジードリンクだと錯覚することで自分を騙すことを試みたが、それはただの痩せ我慢だ。1滴1滴と液体が体に入ってくる。怖い。

吐き気止めについても話したい。抗がん剤が始まる前に、点滴による吐き気止めが投与された。さらにカプセルでも同様の吐き気止めを飲み、さらに注射でも同様の吐き気止めを打たれた。加えて気分が悪くなったら追加の点滴もあると言われた。計4種類の吐き気止めを準備されてることから、どれほど抗がん剤の副作用が過酷なものなのかが分かる。昔の人はどうやって耐えていたのだろう。

EPOCH療法と呼ばれる抗がん剤治療を行うのだが、ざっくり言うとまずは5日間通しで薬材を投与し、3週間の休憩を挟み、それを全6クール繰り返すと言うもの。副作用は時期によってさまざまなで、例えば脱毛は抗がん剤投与から約2週間後くらいから始まるらしい。あとは白血球減少により合併症(風邪、口内炎)のリスクが跳ね上がったりなどなど。今回は最初の1週間の話をしようと思う。

まず、平熱が37度前半まで上がった。常に身体が熱っている。あとは唐突にくる吐き気。病院食の匂いだけで吐き気を催すようになり、ご飯が全く食べられなくなった。体重減少を見越して博多グルメで3キロほど太ってはいたが、抗がん剤治療の期間ですでに5キロ落ちた。食べたら吐くので、何も食べられない。常に船酔いをしているような最悪な気分だ。これをあと最低でも5回繰り返さなければいけない事実を受け入れるには、もう少し時間が必要だ。

頑張る、耐える、乗り越える、と言った前向きな言葉が全部詭弁に聞こえる。眠りにつくときは、このまま目が覚めなければ良いのにと思う。長い1日は、血を抜かれることから始まる。注射針のチクリとした鈍い痛みが、悲しくも自分が生きていることを知らしめてくる。楽に死ねる方法を調べても、Googleは教えてくれなかった。

同じ悪性リンパ腫を罹患したおじいちゃんから声をかけられた。各々の病状や抗がん剤の副作用を共有した。「私はもう歳だから…君はまだ若いんだから大丈夫!頑張って!」と声をかけられた。ごめんね、それは違うと思う。年齢は関係ないよ。

あなたが老いに絶望しているなら、私は若さに絶望している。

癌が治ったとして、その先の未来はどうなる?事実として治療費でお金は無くなる。チャレンジの代償としての借金、体力の低下、癌になったという事実がどれほど社会が受け止めてくれるだろうか。精子は枯れる。再発リスクに怯えながら、日々を過ごす。そんな事実を、若いから大丈夫の一言で果たして済ますことができるだろうか。

結局、個人の苦しみは個人しか分からない。苦しいと叫ぶことは、孤独であると宣言するようなものだ。意味なんて無い。だけど叫ぶ。少しだけ寂しさが薄れる気がするから。

皮肉的に、ときにユーモアを交えながら、今日も私は悲しい。

-次回へ続く-
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