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【悪性リンパ腫・闘病記⑧】骨髄生検-結果にコミットする-

-前回の記事はこちら-

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約1か月前に発見されたときよりも、腫瘍は1.5倍ほどの大きさに成長していた。CT検査で撮影した腫瘍の現状を確認したが、形も三角形から楕円に変わっていた。そして、気管支の形が少し潰れていることも。素人でも状況の悪さが理解できた。

また、生検手術の結果「悪性リンパ腫」と診断がついた。血液中のリンパ球が癌化する病気で、若者で罹患する人もそれなりに多いらしい。これで紛れもなく癌に罹っていることが確定した。不安と恐怖を改めて感じた。

「まずステロイドを打ちます。これで腫瘍が萎むはずです。ただ、薬に反応して腫瘍がさらに膨らむ可能性もあります。その場合は集中治療室に入ってもらい、意識を飛ばして管を気管支に通します。とにかく急ぎましょう」

ああ、もう何でも良い。何でも良いから、酸素を吸いたい。将来もう一度癌になるとしたら、絶対に肺がんだけは嫌だ。呼吸ができない苦しみは、どんな苦しみよりも強いと思う。生涯絶対禁煙を心に誓った。

入院の手続きが済むまで、処置室で横になることになった。仰向け、もしくは左横に寝ると少し安定する。ちょっとだけ呼吸ができる、と安堵していると、主治医の先生がやってきた。

「入院前に、採血と骨髄生検をやるね」

聞き覚えが無いけど、なんだか物騒な言葉が聞こえてきた。”聞くと絶望する医療ワード”を3つ掲げるなら、「癌」「腫瘍」そして「骨髄」だと思う。骨髄って結局何のことか全く分かってないけど、なんか壮絶な闘病に関わる言葉として脳に記憶されている。

看護師さんに、「骨髄生検って痛いですか?」と聞いてみると「はい…とても、痛いです」と悲しそうな表情で返事をされた。ああ、また痛いのか。この先何回痛みに耐えれば良いのか。私は検査が始まるまで、歴史上の数ある拷問を調べた。鉄製の箱に入れて火で炙ったり、四伎それぞれを紐で結んで別方向に馬車で引いたり。どれもが刑を執行される人よりも執行する人の精神状態を疑うようなものばかりだった。

数年前、精神を病みに病みまくった私に「陰を極めれば、陽極めり」と、一本の映画の紹介と共に声をかけてくれた友人がいた。こんなに救われない話があるのか、と、映画館を出たとき爆笑してしまったくらいである。苦しいときは、その苦しみが笑えるくらいに酷い惨劇を見よ、というのは不誠実だけど真理なようにも思える。

目の障害を抱えながら、同じく目の病気を患った息子の治療費を稼ぐため、真面目にコツコツと働く母親。お金はビスケット缶に入れて食器棚に隠していた。ある日、浪費家の妻を持ち困窮していた隣人が缶の場所を知る。いつものように談笑し、一方で母親が目が見えないことを利用し、隣人は缶を盗む。しかし、それがバレてしまった。必死の問答の末、罪悪感に見舞われた隣人は自分を殺すように嘆願する。母親はそれに従い、缶を守る。しかし、警察に捕まった母親は死刑執行を言い渡され、最後は絞首される。

ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)

⇩昔、映画について書いた記事


話を戻そう。私は、来たる骨髄生検に向けて拷問を調べている。たかが数十分の苦しみなんて、大したことないと思えるように。少し気分が悪くなってきたが、心構えはできてきた。

主治医がやってきた。「痛いですか?」と聞くと、「いや?麻酔するし、針を刺すだけだから痛くないよ!」と言われた。なんだ、じゃあ安心だ。少しの安堵も束の間、麻酔用の注射針を刺されると、腰に激しい痛みが走った。

「ところで、骨髄って何ですか…?」

「骨の中心部にある軟らかい組織だよ。今から、そこに注射針を刺してグリグリっとするよ」

痛い、痛すぎる。麻酔が全然効いてない。主治医から「今まで経験してきた患者で一番痛がってる。敏感なんだね♡」「そんなに痛いなら優しくしてあげなきゃね♡」と言われた。あいにく、SMの趣味は無いので願い下げだ。それにしても痛いし、一瞬で終わるのものだと思ったら、針を何度も刺してその度にグリグリと針先を骨の中で動かされた。

吐き気と寒気が強くなってきて、血圧を測ると110から80へと値が下がっていた。痛みと緊張で血圧が下がり、顔は真っ青に。身体を押さえつけいる看護師が「痛いですよね。先生って嘘つきですよね」とフォローをしてくれた。「痛いです。全く、先生は嘘つきです」と返答。「そんなに責めないでよ〜。だって痛いって言ったら可哀想じゃん〜」と主治医。陽気な雰囲気であったことだけが救いだった。

「あと少し…よし!終わった!」

針を抜き、「お疲れ様でした!頑張りましたね!」と看護師。今回も無事に耐えた、と一息ついたその瞬間、


「ブゥーチッブゥーチッ♪ ペーペケッペッペペーペーペペ♪ 」

「あ、やべえ車のディーラーから電話かかってきた」

突然流れるライザップのCMソング。そして処置室を出て行った主治医。爆笑する看護師と状況が掴めない私。なぜその音楽なんだ、なぜこのタイミングなんだ、時間差で爆笑してしまった。「生まれ変わりましたね」と看護師が言ってくれた。処置室に主治医が戻ってきた。所持していた車のミラーが、洗浄中に壊れてしまったと連絡を受けたみたいで、しょんぼりしていた。

さて、終わって仕舞えばこっちのもんである。病棟に案内され、2度目の入院。早速抗がん剤治療が始まるので、最短でも1か月、長ければ数ヶ月の長期入院である。孤独な戦いの始まりだ。

ステロイドを打つと、咳の症状が落ち着いてきた。入院生活最初の夜、眠る前に少しだけ人生を振り返った。

25歳の夏、花の仕事と出会った。26歳の春、無防備にも独立し、花の仕事をしながら色んな土地を巡った。たくさんの出会いがあった。一生の仕事を見つけたと思った。興味関心の思うまま、20代を駆け抜けると誓った。27歳の夏、癌になった。

きっと、元の生活に戻れるまで数年はかかるだろう。再発リスクだって高い。元には戻れないかもしれない。思い切ったことはもうできないかもしれない。後悔は多い。同世代の人生が羨ましい。

スマホを布団に投げつけた。

もっと別に病気になるべき人がいるだろう。なんて、正直に本気で思う。不器用だけど一生懸命に生きていた自信は少しあった。だからこそ、病気になったのかもしれない。なんて、認めたくない。こんな結末になるのなら、人生に希望なんて見出さなければ良かった。

全部ぶっ壊してしまいたい。

涙すら出なかったあの日の夜を、多分この先忘れない。

-次回へ続く-
【悪性リンパ腫・闘病記⑧】抗がん剤スタート










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