【悪性リンパ腫・闘病記⑯】抗がん剤クール2
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「考えてしまうこと」
クール2で最も辛い副作用だった。クール1に比べて、副作用があまり出ていない。嗅覚が何かの匂いを捉えただけで嘔吐することも、痒みに耐えきれず肌が血だらけになることも、無い。発熱や手足の痺れは症状として起こっているが、これまでの苦痛に比べれば取るに足らない。だが、この束の間に思えた安堵が1日1日と連続していくと、幸か不幸か頭が少しずつ冷静になってきてしまった。入院生活は、何かを考えるにはとても十分な時間がある。漫画や映画を見たり、散歩をするだけでは24時間を消費できない。闘病記は皮肉的に面白おかしく書きたいと思っているのだが、今回の記事はありのままに不安を書きたいと思う。
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「再発した場合、5年生存率は10%」
主治医の先生から伝えられた事実だ。悪性リンパ腫は血液中のリンパ球が何らかエラーを起こして癌化する病気なのだが、癌細胞の形態や性質、組織像などによってさまざまな種類に分けられる。その数なんと約100種類。私は「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)」と診断された。ちなみに”びまん”とは”広範囲に広がる”を意味するらしい。70代以上の高齢者が罹ることがほとんどで、若者で発症するのはレアケースらしい。だから、再発率や生存率の主軸は高齢者なので一概に若者である私に参考になるかは微妙なところではある。悪性リンパ腫は抗がん剤がよく効く病気なので、完治しやすい。一方で再発後の予後がとても悪い。再発率は4割くらいらしい。
ざっくり言うと「治りやすいかもしれないけど、治らないとやばい病気」だ。
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背筋を伸ばすと呼吸が苦しくなるので、猫背じゃないと歩けない。下した便を見て内臓の異常を悟るのはもう慣れっこだ。便座から立ち上がる時に少し眩暈がする。視力が少し落ちた。寝不足で歩く集中力がない。瞬く間に髪が抜け落ち、肌色に支配された自分の顔を鏡越しに見る。
「誰だお前は?」
ここの中で自問自答する日々。次第に蝕まれていく気力。考えても仕方ないのに拭えない未来への不安。社会から隔てられている病室で、自分が生きている意味なんてわからなくなって、それでも死ぬことは怖くて、堂々巡りが止まらない。
そんな時、友人から勧められていたある本を手に取った。幕末志士の吉田松陰が処刑される前に書き残した遺書や思想をまとめた「留魂録」という本だ。
獄中で処刑を控えていた吉田松陰は、自らの死期を悟り、獄中から弟子に向けて最後の教えを説いた。その中で、最も友人が私に伝えたかったのは、人はただ長生きするのが良いのではなく、何歳で死ぬとしても、その生涯に春夏秋冬が存在するのだ、ということだった。
この1週間、武士にまつわる本や漫画をよく読んだ。若くして命を散らす人間の多いこと多いこと、もし100年前を生きていたら自分は既に死んでいただろうなんて過去を想う。今よりも危険で、不衛生で、不安定な世の中で、だからこそというべきか、死ぬことが当たり前なことを厳格な価値観として持っていたであろう彼ら彼女らの精神性は、及ばないけど見習いたいなと素直に思った。
高校生のとき、仲良しだった地元の友達が自殺をした。
死に際、彼は何を考えていたのだろう。当時は自殺をした友人にも、彼の周りにいた人間に対しても怒りと無力感を抱いたけれど、今思い出せば、”いつ死ぬかわからない”という不明確な絶対を、”今日死ぬ”という明確な絶対に変えた彼は、とても勇気があったんだと思う。死に怯えている私には、今は絶対に真似できない。
人生は良くも悪くも思い通りにいかないことは分かってきたけど、人生がすぐ終わるかもしれないことは知らなかった。人の寿命はきっと運命で決まってる。同じ階の違う病室で、この1週間2人の患者がおそらくお亡くなりになった。鳴り響く警報と医療従事者集合のアナウンスを聞きながら、もしかしたら明日は自分が死ぬのかもしれないな、なんて想像をした。未来を想像することは怖いよ。
公表はまだできないけど、治療方針が変わりそうです。果たして治るのか、治らないのか。生きるのか、死ぬのか分からない。でもきっと運命は決まっている。季節は秋を迎えているけれど、私の人生の季節はまだ初夏くらいだと信じて、今は梅雨だと思って、今日を終えたい。
未来を憂いて、しばらくふて寝を続けています。
-次回へ続く-
【悪性リンパ腫・闘病記⑰】腫瘍の現在地