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【ショートショート】無音の部屋

シャワーを浴び、目覚まし時計をセットし、あとはもうすっかり寝るだけという状態にしてから香澄かすみは文庫本を開いた。
最近買った海外旅行記だ。

本当は恋愛小説が好きなのだが、話に夢中になると集中しすぎて周りの音が聞こえなくなる、という癖を彼女は持っている。
この時間に音が聞こえなくなると困ってしまう事情があるのだ。

毎日深夜に恋人からの電話が掛かってくるのを待っている。
何時に、とは決まっていない。
相手のタイミングで掛かってくる。

以前はスマホで動画を見たり、音楽を聞きながら待っていた。
しかし一度、接続の関係か電波の状態か、着信通知が遅延したことがあったのだ。

それ以降香澄はスマホの着信音量を最大にした上でテーブルに置き、その前で本を読んで待つことに決めた。
彼からの着信に気付かないなんて、そんな失態はもう二度とあってはならない。

旅行記は良い。
物語ではないので深く感情移入せずに済む。
誰かの体験を遠くからそっと眺めるなら集中しすぎることもないので、香澄はこの距離感が気に入っていた。

それにしても今日は彼からの連絡が遅すぎないか。
何度かスマホを確認してみても、通知は入っていない。

きっと仕事が忙しいんだ。

そう言い聞かせてまた本に目を落とす。
換気のために開けていた窓の外から、車の走り去る音が聞こえてきた。
続けてバイクの音も。

うるさい。

彼女は窓を閉め、改めて本を開いた。
しばらくすると、スリープ状態にしていたデスクトップのパソコンが発する機械的な音が耳につく。
ジ…ジジ……ジ、ジジジ…。

うるさい。

パソコンの電源を落とし、ついでに冷蔵庫のコンセントも抜いた。
これで彼の着信にもすぐ気付ける。
いや、ようやく落ち着いて本が読めるようになった、と香澄は自分の中で訂正した。

壁に掛けた時計の秒針が、カチリ、カチリ、と時を刻む。
一秒、また一秒、また一秒、また一秒。

うるさい。

壁から時計を取り外し、思い切り床に叩きつけた。
ガンッ、ゴガシャッ、と大きな音を立てて時計のガラス面が割れて壁にぶち当たり、電池は外れて床の隅に飛んでいく。
慌ててスマホを確認したが、着信は来ていない。

良かった。
これで静かになった。

静寂の中で彼女はページを繰る。
筆者が東南アジアの屋台で買ったジュースでお腹を壊した話。
タクシーで目的地と真反対の場所に連れて行かれ、途方に暮れる様。

面白いはずなのに、滑稽なはずなのに、話が全く頭の中に入って来なかった。
電話はまだ掛かってこない。

気付けばカーテンの隙間から朝日が差し込み始めていた。
早起きな鳥がベランダで羽根を休め、チュンチュン、とさえずっている。

うるさい。
うるさいうるさいうるさい。

香澄は立ち上がるとクローゼットを開き、チェストに仕舞ってあったエアガンを手にした。
カーテンと窓を勢いよく開け、気配に気付いてすぐに飛び立った鳥に向かって滅茶苦茶に発砲する。
鳥は嘲笑うように遠くに飛んで行き、乾いた砲音だけが爽やかな早朝の空に響いた。

肩で息をしながら、彼女は窓とカーテンをしっかり閉め、またテーブルの前に戻って本を手にする。

電話はまだ掛かってこない。


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