短歌の力を思い知る|枝折「言葉にはならぬ思いを言葉にし喰らい闇夜を生き抜くけもの」
noterの枝折さんがオリジナルの短歌集を先月発売した。
彼女の記事でそれを知った私は喜び勇んで注文し、今か今かと到着を待ちわびていたのだ。
迅速に発送して頂き、丁寧な包装の中には短歌集とフリーペーパー、そして素敵なお手紙が同封されていた。
「現代短歌集」と銘打たれている本書。
現代短歌に明確な定義は無いが、古典の短歌と比べて自由な文体で親しみやすい表現がなされているのが特徴だ。
五・七・五・七・七の三十一文字の中に何気ない日常や心の機微を落とし込み、一瞬を切り取り表現する。
季語を使う必要が無く、多少の字余り字足らずも許容されているのでTwitterなどの短文投稿でも見かける機会が多くなった。
枝折さんの談によると収録された七十三首の内、約半分が発表済みのものであり、残り半分が書き下ろし。
「大人の性愛」がテーマということで、表紙を飾るアリエルさんが描いた物言いたげな女性の姿も世界観にマッチしている。
さて私は以前、彼女の短編集を「書評」という形で紹介させて頂いた。
同じくフラットな視点で書こうと思っていたのだが、読み始めてすぐにそれが無理なことに気付いた。
ページを繰る度に現れる短歌の数々が、どうしようもなく私を揺さぶり、暴き、感情の波に押し流されてしまったからだ。
冷静な書評など書けなくなってしまったので、今回は私個人の非常にプライベートな感想となったことをお許し頂きたい。
最近私はひとつの恋を終わらせた。
自分ではどうしようもない事情だったので、納得して受け入れた。
けれどそれは自身に対しての欺瞞でしかなかった。
本当は納得もしていないし未だに受け入れられていないことを、この一首に見破られたのだ。
彼は私と一緒に生きる選択をしなかった。
彼は私と一緒に死する選択もしなかった。
今までずっと目を背けていた動かぬ現実に、打ちのめされる。
「大丈夫」。
人や自分にそう言い聞かせてきた。
こんなこと何でもない。
全然平気。
でも本当は全然大丈夫なんかじゃない。
彼のいない世界をどう生きていけばいいのか分からずフラフラと彷徨っている。
ほんの少しの常識と。
ほんの僅かな自尊心。
それらが私をこの世界に踏み止まらせているだけなのだ。
転んで擦りむいて這いつくばって、それでも私は起き上がらねばならない。
帰って来られる家があるから。
待ってくれてる人がいるから。
その人達のために、私はまだ死ぬわけにはいかないのだ。
枝折さんから頂いたお手紙の中に、こんな言葉があった。
「自然と別れを詠んだ歌が多くなっていますが(中略)別れの後には新しい出会いがあり、過去の出会いは決して無駄にはならない。そんなメッセージを込めました」
この短歌集のお陰で、別れてから初めて声をあげて泣くことができた。
ずっとずっと悲しくて辛くて死んでしまいたかった自分の心をようやく認めてあげられたのだ。
身体が千切れるかと思うほど嗚咽し、狂人のように泣き叫んで、気付けば日も傾いていた。
もしも彼女の短歌に出会っていなければ、自縛を解放することは出来なかったかもしれない。
七十三首のどれが心に響くかは人によって違うのだろう。
きっとその中に、あなたの胸を震わせる一首があるはずだ。
短歌の力はこんなにも偉大なのだから。
最後に私が一番好きな一首を紹介して結びとさせて頂きます。
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文学フリマ広島に参加された枝折さんのレポもゼヒ。