記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

“MOTHER Follower”(マザーフォロワー):MOTHERシリーズに影響を受けているゲームたちについて

※各ゲームの微ネタバレを含みます。ご注意ください。


マザーフォロワーとは?

 『MOTHER』シリーズ、『UNDERTALE』『DELTARUNE』『OMORI』『OneShot』『ゆめにっき』といったゲームが好きである。

 これらのゲームは、すべて名作MOTHERシリーズに影響を受けていることは、既に多くの方々に言われてきたと思う。
 だから私が今更、何かを尚更に言う必要はないかもしれないのだが、私はとにかくMOTHERとMOTHERに影響を受けたこれらのゲームが好きだ。大好きだ。

 しかし、調べてみるとあまりまだジャンルとして確立されていないのかもしれない、ということが窺える。もちろん、「MOTHERのようなゲーム」「UNDERTALEのようなゲーム」などなどと検索欄に打ち込めば、魅力的な名作の多くに出会えるのだが、それでもまだジャンルとして「MOTHERのようなゲーム」「MOTHERに影響を受けているゲーム」という分類は(完全には)成立していないように思える。

 なので、あくまでも勝手に、個人的に、そういったジャンルを“MOTHER Follower”(マザーフォロワー)と呼んでいる。
 以下ではそんな個人的な名称を用い、個人的な考察をすることを許してほしい。

 マザーフォロワーのゲームを私はこよなく愛している(もちろんMOTHERも!)。
 既に存在しているマザーフォロワーのゲームも大好きで、大好きで、それだけでも幸せな気持ちでいっぱいなのだが、こんなに素晴らしい作品ばかりのマザーフォロワーというジャンルがもっと広がってほしい……という気持ちも同時に持っている。

 そこで、マザーフォロワーのゲームとはそもそも何だろう? ということについて考えてみた。

※MOTHER3はプレイを始めたばかりで考察対象には入れられなかった。大好きと言っておきながら恥ずかしく思う。自分のペースで、にはなってしまうと思うが、時間を取ってクリアしたい。

マザーフォロワーの五つの特徴

 大まかには、以下の五つの特徴が挙げられると思う。

①    不思議の世界(Wonderland)であること
②    愛と希望のジュブナイルであること
③    ムーンサイドフォロワーであり、ダークな要素を孕むこと
④    第四の壁を越えること
⑤    独自の哲学的感覚が全体を貫くこと

 詳しく述べていきたい。
 なお以下の考察では、特別に断りのない限り、便宜上「マザーフォロワー」にMOTHERそのものも含ませていただきたい(毎回「MOTHER及びマザーフォロワー」と述べると煩雑なため)。

①不思議の世界(Wonderland)であること

 不思議の国には、不思議な生きものたちがいる。
 たとえばMOTHERなら、どせいさん。UNDERTALEはテミー、OMORIは苗モグラなど、MOTHER及びマザーフォロワーのゲームには不思議な生きものが多く出てくる。
 どせいさんも、テミーも、苗モグラも、(それだけで強烈だけれど)一例でしかない。他にも「不思議な生きもの」は多く出てくる。なんのために、どうやって、普段なにをして過ごしているのか、ふと問いたくなるような。歪で、それでいてどこか愛おしい生きものたちだ。
 UNDERTALEやDELTARUNEのモンスターたちはおおむねそうだし、OMORIのヘッドスペースの生きものの多くもそうだろう。後述するように、厳密にマザーフォロワーと言っていいかわからないが、マザーフォロワーに類似していると思われる『Ib』にもこの「不思議な生きもの」要素がある。

 そして、不思議な生きものたちの生きる世界で、主人公は不思議な冒険をする。
 主人公は日常から不思議な世界へ引き込まれる(あるいは、出かけていく)。そして不思議な生きものたちに出会いながら、それまでの日常とは異なる不思議な冒険をすることになる。

 不思議の世界は、生きものだけではなく、世界自体が不思議で特徴的でなければならない。MOTHERの世界は現実のアメリカに似ているようでいて、パワースポットやムーンサイド、地底の世界など、不思議な場所が多く存在する。UNDERTALEなら地底の世界、OMORIならヘッドスペース、OneShotならワールドマシンと、名前がつけられるような特徴を持っている。そして、それらの特徴はすべてどこか独特で、「不思議」だ。

 この不思議さは、大元の大元を辿れば、『不思議の国のアリス』なのだと思う。アリスのような「不思議の国」要素、これがまずマザーフォロワーというゲームの全体のトーンではないだろうか。

②愛と希望のジュブナイルであること

 ジュブナイル(Juvenile)という英語は少年少女を意味するが、物語のジャンルとしては「少年少女の成長物語」であると私は理解している。

 マザーフォロワーの物語の主人公は、必ず少年少女(あるいは、性別不詳のティーンエイジャーと思われる者)である。もちろん各ゲームにより目標やテーマは全く異なるが、共通する大筋は「少年少女が成長すること」ではないだろうか。「不思議の国」での冒険を経て、主人公たちは成長する。

 たとえばMOTHERでは、家を出ていき、冒険を経て帰ってきたとき、主人公たちは大きく変化している。同じ家なのに、違って見える。OneShotにも似たような演出が見られた。OMORIのSUNNYルートでの主人公の変化は言うまでもないだろう。 

 UNDERTALEのように、演出上あからさまに主人公の変化が描かれていない場合もあるが、特にPルートに関してはまさに愛に満ちた「夢と希望」の物語であることは間違いない。アズリエル・ドリーマーとのバトルで主人公が何をしたかを考えれば、主人公の達した成長地点は想像できるかと思う。

 マザーフォロワーにおける少年少女の物語は、愛と希望を持つ。

 主人公たちは多くの困難に出会う。ときには絶望的な状況に追い込まれる。しかし、主人公たちはけっして諦めない。あまりに大きなネタバレになってしまうので控えるが、MOTHERも、UNDERTALEも、OMORIも、OneShotも、「愛と希望」を感じさせる選択と結末だった(少なくとも、「トゥルーエンディング」的ラストにおいては)。

 少年少女が家(日常)を出て、成長し、愛と希望を持つラストを迎える。これもまた、マザーフォロワーによく見られる、必須と言ってもいい要素らしい。

③ムーンサイドフォロワーであり、ダークな要素を孕むこと

 と、ここまで「愛と希望のジュブナイル」について述べてきたのだが、単にそれだけでは終わらないのがマザーフォロワーというジャンルの面白いところである。
 マザーフォロワーのゲームは「愛と希望のジュブナイル」であると同時に、ムーンサイドに影響を受けていること、そして何らかのダークな要素を孕むことが必要だと考える。

 ムーンサイドとは、MOTHER2に出てきた、狂気と闇に満ちた都市である。ムーンサイドに恐れおののいたひとも多いのではないだろうか。
 不合理で、理解できない恐ろしさ。狂気と闇の力が、そこにある。恐ろしいけれども、恐ろしいからこそ。ムーンサイドには、狂気と闇ゆえのすさまじい魅力がある。

 ムーンサイドに影響を受けていることを、私は個人的に「ムーンサイドフォロワー」と呼んでいる。そして、「ムーンサイドフォロワー」の筆頭と言えるのは、なんと言っても、『ゆめにっき』ではないだろうか。
 ゆめにっきは、ムーンサイドのような、しかしゆめにっきにしか到達し得なかった独自の世界観を構築した。そんなゆめにっきは、UNDERTALEやOMORIといったマザーフォロワーのゲームはもちろん、多くのゲーム、多くのクリエイターに影響を及ぼした。

 UNDERTALEやOMORIにも、ムーンサイドフォロワー的要素は見られる。UNDERTALEの場合、地底の世界観全体がどことなく「狂気と闇」に満ちている。とりわけGルートにおいてはその雰囲気が強い。ガスター関連の演出もかなり狂気を感じさせる。OMORIに関しては、ブラックスペースを見れば一目瞭然だと思う。

 そして、ムーンサイドフォロワーであることとも関連するが、ダークな要素を孕むこともまた特徴ではないだろうか。それも、生半可なダークさではなく、強烈で、深く、人を呑み込んでしまうようほどのダークさを孕むこと。これもマザーフォロワーのゲームには必須なのではないかと考えている。
 「ダークであること」という特徴は、ギーグなどMOTHERにも見られるが、どちらかと言うとそこから影響を受けて生まれたゲームの方が色濃く持つ特徴なのかもしれない。例を挙げるのであれば、UNDERTALEのGルート、DELTALUNEのAルート(仮)、OMORIのバジルやマリ関連のストーリーや演出、ゆめにっきのラストなど。どれも突き刺さるほどダークである。

 この③の特徴に関しては、OneShotは少しずれる可能性があるのかもしれない。2周目の演出は背筋が凍ったが、ダークかと言うと立ち止まって考えざるを得ない。
 ただ、OneShotは世界全体が闇に包まれかけているのであり、もしUNDERTALEのダークさが「選択肢」に、OMORIやゆめにっきのダークさが「ひとの心」にあると考えるのであれば、OneShotのダークさは「世界」に迫っていると考えることもできるのかもしれない(逆に言えば、そんな世界でひとり太陽を持って輝いていたのがニコなのだから)。

④第四の壁を越えること

 第四の壁を越える──即ち、プレイヤーサイドが何らかの形でゲームにかかわる、干渉する。
 これに関してはあまり詳しい解説は要らないかもしれない。
 MOTHER2のラストバトル、UNDERTALEのGルートで明かされる真実、OneShotにおけるニコとプレイヤーのやりとりなど(まだ結末を見届けていないのであまり詳しく語れないが、OFFにもその要素が強く見られる)。

 そもそもラストバトルにおいて第四の壁を感動的かつ衝撃的な形で越えたMOTHERシリーズから影響を受けているマザーフォロワーが、第四の壁を越えていくのはある意味必然なのかもしれない。

 OMORIやゆめにっきにはこの要素はあまり見られないように思えるが、後述するように、この記事で挙げているマザーフォロワーの特徴は緩やかなものでありすべてを厳密に満たす必要はないのだと思う。

⑤独自の哲学的感覚が全体を貫くこと

 これに関しては加えるかどうか悩んだ。と言うのも、すべての作品には多かれ少なかれ必ず作り手の哲学が存在しているからだ。
 だが、悩んだ上で、こうしてマザーフォロワーの特徴として挙げることにした。少し慎重に考えて、ただ「作り手の哲学」が「ある」というのではなく、「独自の哲学的感覚が全体を貫く」という表現にした。

 哲学的感覚とは何かということも含めて述べたい。

 MOTHERであれば、愛。UNDERTALEであれば、ゲームとは何か。OMORIであれば、罪。OneShotであれば、選択。異論もあるかと思うが、私はそれぞれのゲームからそのような哲学的感覚を受け取っている。

 哲学的感覚と哲学をあえて区別したのは、マザーフォロワーのゲームの面白さは必ずしも純粋な意味での哲学的な面白さ(たとえば思想の独自性や斬新さや精緻さなど、アカデミックな世界で評価されるような面白さ)にはないと考えたからだ。おそらくは、哲学を語るため(だけ)につくられていない。あくまでもまず、作り手の並々ならぬゲームへの愛があり、ゲームとしての驚異的な面白さがある。
 それでも滲み出てしまう「何か」、それを私は哲学的感覚と呼んでいる。人生のなかで、大好きなゲームをするなかで、どうしても考えざるを得なかったのであろう「何か」だ。その感覚だけでゲームを成立させるのではなく、かと言ってことさらに隠すでもなく、マザーフォロワーのゲームはつくられているように思える。

 裏返して言えば、独自の哲学的感覚を持つ作り手は、独自の哲学的感覚をたっぷり有していたMOTHERに惹かれ、マザーフォロワーのゲームをつくり始めたのかもしれない(これもまた私の想像に過ぎないが)。

 哲学的感覚が全体を貫くということが、マザーフォロワーのゲームに必須かどうかはもう少し検討が必要かもしれない。だが少なくとも、既存のマザーフォロワーのゲームには独自の哲学的感覚が見られるし、独自の哲学的感覚の見られないマザーフォロワーのゲームというのは想像してみるとちょっと味気ない気もしてしまう。

 マザーフォロワーのゲームは、単に①②③④のようなMOTHERシリーズの要素を踏まえてつくれば良いというものでもない気がする。もちろん最高のエンターテインメントでありながら、同時にエンターテインメントに留まらず、「何か」をプレイヤーの心に残すもの。やはり、それもまた、マザーフォロワーのゲームに求められるものではないだろうか。

 以上、マザーフォロワーというジャンルの特徴について述べた。

特徴であっても定義ではない

 書いていて気づいたことでもあるのだが、これまで述べた①②③④⑤は、特徴ではあっても定義ではない。実はこの記事を書き始める前、私は「厳密な」マザーフォロワーのゲームはUNDERTALEとOMORIだけだと思っていた(DELTALUNEも当てはまるかもしれないが、完結していないので②「愛と希望のジュブナイルであること」の条件が満たせるかどうか確定していないと考えていた)。

 ここまで述べたように、たとえばOneShotは③「ムーンサイドフォロワーであり、ダークな要素を孕むこと」を満たしているかということに関して考察の余地があるし、逆にゆめにっきは③「ムーンサイドフォロワーであり、ダークな要素を孕むこと」をこれでもかというほど満たしているが、②「愛と希望のジュブナイル」かと考えると首を傾げざるを得ない。
 しかし、書いているうちにおそらくOneShotもゆめにっきもマザーフォロワーなのであり、定義は厳密にすべて満たされねばならない基準ではなく、緩やかな特徴ではないかと思うようになった。いろんなタイトルに対して厳密にマザーフォロワーかどうかを区別する線引きにしてしまうより、マザーフォロワーってこういう特徴があるよね、と緩やかに構えていたほうが、ジャンルとして盛り上がるような気もする。

 同時に、UNDERTALEやOMORIのように、MOTHERシリーズの多くの要素をリスペクトたっぷりにオリジナルのものとしたコアなマザーフォロワーのタイトルもある。これはこれで、ひとつ緩やかに区別をしてもいいかもしれない。

 そう考えると、Ibももしかしたらマザーフォロワー的なゲームと言えるかもしれない。Ibはシナリオが比較的大人びており、少女イヴが主人公でありながらジュブナイル的な雰囲気は比較的薄く(ギャリーの存在感が強いからかもしれない)、ゲルテナの世界はたとえばゆめにっきほどムーンサイドフォロワーではない(独自の美しい狂気は存分に感じられるが)。
 Ibをマザーフォロワーと言い切ってしまっていいのかはわからない(特に、MOTHERシリーズやその関連作品から影響を受けているかどうか、という点に関しては気になる)。だが少なくとも、見方次第では、マザーフォロワー的と言える可能性もあるのかもしれない。

 コアなマザーフォロワーのタイトルもあるし、マザーフォロワー的特徴を持つタイトルもある。大事なのは、どちらもマザーフォロワーと呼びうる素晴らしいゲームであることだ。

 今回私は五つの特徴を挙げたが、もちろんこれらも絶対的なものではないだろう。もっと別の表現が相応しいかもしれないし、更に挙げるべき特徴もあるかもしれない。
 もし何か「違う」「もっとある」と感じられたら、知恵をお貸しいただければ幸いである。

マザーフォロワーの可能性は無限大

 言うまでもないかもしれないが、マザーフォロワーのタイトル同士が影響を与え合うこともある。あくまで一例だが、ゆめにっきは多くのマザーフォロワーのゲームに影響を与えている。
 もちろん根源はMOTHERシリーズに遡ることができるが、すべてがMOTHERシリーズそのものからダイレクトに発すると考えるのではなく、MOTHERシリーズにインパクトを受けたたくさんのクリエイターたちが相互に影響を与え合っている生態系のようなものがマザーフォロワーの世界だと考えるといいのかもしれない(それはどのジャンルでも言えることかもしれないが)。

 マザーフォロワーの可能性は無限大である。私は今回、マザーフォロワーと呼ばせていただいたこのジャンルをこよなく愛している。
 プレイできていないゲーム、出会えていないゲームもまだまだたくさんある。前述したように、最近ではUNDERTALE的な雰囲気があると聞いて『OFF』に触れ始めた。私がまだ知らないタイトルも本当に多くあると思うので、ぜひ、コメントなどでお教えいただければ嬉しい。

 考察できる余地も、まだまだたくさんある。今回はかなり大枠のことについて述べてきた。細部について、関連性について、タイトルについて、考えられることはまだまだいっぱいある。マザーフォロワーという素晴らしいゲームについて、今後とも考え続けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?