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わたしの家族


本当の自立って何だろう?④


今日は、なんとなく、
自立についてここで一旦シリーズ終了。という感じでいます。

わたしの生い立ちについて、少しつらつらと書かせてもらいました。
読んで、そして反応をくださった人がいたこと、
とっても嬉しい気持ちになりました。

これまでにも書いたように、わたしにはお父さんという人が3人いて、
1人の母がいます。

『お父さんはいない。』という表現をしていた時期もあったし、
『お父さんをしらない』と言って過ごした時期もありました。

『お父さんから捨てられた。』を信じて過ごした期間があって、
そして、『どっちなんだ?』という時期を経て、
『捨てられたんじゃなかったのかもしれない』というところに、今、
生きています。

は~~複雑。難しかった~~!!!

この、家族構成を何とか理解しようと努めてきました。

一生懸命、少しでも、『普通』に生きれるように、
とっても頑張ってきました。


『この家族、わからない。』と思うのは、理想があったからだと気づきました。


お父さんをお父さんと呼んでいいのだということ。
わたしには、家族がいたのだということを、
家族の座はみせてくれました。

ただ、こうなんだ。
わたしの家族は、こうだったんだ。


お母さんという人はいる。
お父さんは、わからない。
『家族』ということばは、心の中でもずっと使えないでいました。

たった今は、お父さんがいてお母さんがいる。

そのことが、見えるし、感じることができます。

『これがわたしの家族』なんだな~。というところにいます。


なにも変えることもできないし、その必要もありません。
そして、なにもわかろうとしなくていいですね。

ただ、そうなんだ。

そして、今ここにわたしがいて、それが全てです。

何か間違っていることって、あるかしら?


今日は、仕事終わりの夜の1人ドライブが楽しかった。
アイスラテが沁みた☺
夫と晩ご飯食べながらあーでもない、こーでもないと話して楽しかった。


今日も、たのしかった。


もっと早く会いたかった、というところにまた戻ってしまうことも
あるかもしれない。せめて本当のことを知りたかったと、また、思うことがあるかもしれない。

でもまた、ここに戻ってこれることも知っていたいなと思います。


家族の座で使うセリフにこのようなものがあります。
「お父さん、お母さん、この生をありがとう。」


こんな気持ちで、今日は眠りに就こうと思います。

自立シリーズ④ 終わり。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
また書きます。



『家族の座』、京都では2025年1月に開催されます。





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