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繰り返す、ずっとのクセを抜けていく。

こんばんは、なつきです。

今日は、ずっとのクセを抜けていくことについて。

『ずっとのクセ』というのは、『繰り返されるパターン』とも言いことができます。

ここでも少し書いた、ずっとのクセは『両親との立ち位置が影響する』、ということについてです。

わたしのことをお話すると、わたしは幼い頃に両親が離婚をして、実父を知らずに35歳近くまで過ごしました。

思い出もなければ、名前すら、自分が結婚するまで知りませんでした。

小さい頃、母は病気や事故で長く入院することが何度かあって、その度に祖母や叔母、叔父のお世話になったり、

「わたし自身は知らないひと」の家に預けられて一夜を過ごすなんていうことも珍しくはありませんでした。

そして、父親として過ごしたひとが3人います。

3人目のお父さんには、上手く馴染めず、
ある時わたしは、『誰も助けてくれる人はいない、自分のことは自分で守らなければ』と固く心に誓ったのでした。

頼る人はいない。自分のことは自分で何とかしなければ。

自分がなんとかしなければ症候群の始まりだったように思います。

それから、わたしは、自分だけを信じて生きて来たなぁ。と振り返ることができます。

困っても、助けてもらうことが恐ろしかったし、
後で何を要求されるかわからない。

そして、要求を聞かなければ、命の危機が迫ってくる勢い・・。

我ながら、すごく苦しいところにいたな、と思います・・。
(お疲れ、自分!ですね。)


このままでは、わたしは、小さなまま、誰かの何かを背負う役回りにばかり立ってしますのです。

このパターンを抜けるには、
それは、もう、過去のことと気づくことが大切です。

しっかり境界線を持って、
自分のことでないことは、背負わない。

わたしは、わたしにできることだけをする。

新しい自分の方法を見守り、育てていく。


わたしは永らく、癒しのワークに自分の為だと参加していたのですが。
ああ、違ったな。
まだまだ母をどうにかしたかったんだったな、ということに気づいたのでした。

わたしが、よくなったら、母も参加するかもしれない。
母も参加したら、母自身がもっと楽にしあわせに生きれるようになるのに。


そしたら、微かに残る‘’あのお母さん”と、また楽しく過ごせるかもしれない。そんな期待がありました。

母の色々を抱えていたわたしは、
自分が悪者にならない方法で、母にしあわせになってもらいたかったのでした。

大きなお世話。ですよね。

お母さんには、お母さんの人生があるのです。
ずっと一緒だったから、
支え合って生きてきたと思っていたから。
母の人生をわたしがどうにかできると思っていた。
いや、違うな。
どうにもできないとわかりつつ、それでもどうにかしたかった。
お母さんに安心してほしかった。しあわせでいてほしかったのです。

親は大きくて、子は小さい。
親が与えて、子どもは受け取る。

『お母さんの人生を尊重します。』なのです。

自分にできることをする、あとは、〇〇さんに託します。

そのことが出来た時、関係性はもう少し楽になると思うのです。

一緒に背負うことが愛なら、
自分のものではないものを背負いすぎない。
これもまた、愛なのだということを、学んでいます。


家族の座は、様々な愛のカタチ、繋がりをみて感じることができます。
本当の自立とは何か、自分を生きるとは何かをサポートする貴重なワークです。必要なひとに届いてほしいです。


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