【エッセイ】 配る
寒くなった途端に、冷たいものが飲めなくなった。
あれだけ氷を入れてグラスに冷蔵庫の飲み物を注いでいたというのに、今やケトルでお湯を沸かす日々。木々から木の葉が舞い降りて飜ると同時に、冷水から白湯へと、グラスからマグカップへと、半袖から長袖へ変わっていく。あっという間に、寒さが配られたようだった。
何千年前もきっと、変わらない。
その境目が、何年経ったとしても見えなくて、煩わしく感じることもあるけれど、それでも道ゆく人を眺めているお地蔵様は、にっこりと微笑みながら見届けている。この変わりゆく季節を、時間を、人々の様相を。
晴れた日の散歩の帰り道、ふっと目があった瞬間にそんなことを思った。
今日の夕飯は何にしよう?
散歩が終わり、帰宅をしてからエコバックを探す。
帰り道とは反対にあるスーパーまで自転車で漕ぐ前に、荷物をチェックしつつマスクをつける。もっぱら風邪が流行り出したこの頃、衛生管理は欠かせない。自分のためにも、相手のためにも。
全く知らない誰かを思い、自分を思い、巡っていく輪の中に自分もいるような気がして、こういうのが心配りなのか、気配りなのか、とか、考える。
道ゆく人のために体を避けるだとか、譲るだとか、そういう動作の一つ一つが、そういった心を配っている。自分から、誰かへと、渡している。
家で過ごす時間が多くなったとはいえ、やはり食材は買いに行かなければならない。だからこそ、私は自分のできることをできる範囲で続けていくつもりだ。どうしようもなくなった時は、その時に考えればいいのだから。
靴を履いて、自転車にまたがると冷たい風が吹いた。そろそろ本格的にダウンを出さなければ。
ペダルを漕いで目線を上げると、淡い空の青さに雲がながく伸びている。この柔らかくなった景色を眺めるのも秋の醍醐味である。
夕飯は鍋にしようかな。締めはうどんで。
そんなことを思いながら、道を走る。
自分を満たして、他人を満たせるように、できることから頑張っていきたい。