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小説:空気

湿気とりを6つ買う。3つセットを2つ買うだけで買い物袋がいっぱいになるし、他のものが買えなくなるけれど、それでも買う必要があった。きっかけは、キッチンのシンク下やコンロ下に置いてあった以前の湿気とりには並々と水が溜まっていたのを見てしまったことだった。これを見つけてからというもの、食料品が仕舞われている場所にカビが生えるのではないかと気が気ではなかった。カビだけは避けたい。キッチン以外に配置しておいた物たちもついでに覗きに行くと、クローゼットの中にいた奴も水が溜まっているし、押し入れの中も水が入っている。あちこちの湿気とりに水が溜まっていた。気がつかないうちに、ひたひたと。

これはだめだ。そう思い立ち、買いに来て今に至るのである。レジでガサガサと入れ方を考えながら鞄に詰める時、少しまごついてしまい、気後れ半分恥ずかしさ半分で慌てて詰める。ありがとうございました〜と言われた一言にどうも、と会釈して店外へ出た瞬間、冷たい風が吹き付ける。悴みの早いしわが刻まれた手に手袋をはめてふと空を見上げると、すっかり日が沈み夜はすぐそばだった。

冬は乾燥しているから、湿気なんて溜まらないものだと思っていた。湿気に気を配らなければならないのは梅雨時期のみで、それ以外の季節はあまり気にしなくてもいいものだと、勝手に思い込んでいた。この「思いこみ」が恐らくまずいのだ。そうやって自分で考えたことを絶対的だと考えるのがまずいって、そういえばこの前来た清香にも言われたっけ。

「おばあちゃん、自分が絶対正しいなんて思っちゃダメよ。相対的に考えないと。」

孫も「相対的」だなんて難しいことをよく言ったもんだと感心しながら聞いたのを覚えている。ポニーテールに結いた髪がくるんと揺れていた。

当たり前ってどこからくるのだろう。

社会全体というか、日本全体というか、生活していて湿気に気を配らなければならないだなんて、土地柄上当たり前のものなのかもしれないけれど、その「当たり前」を作っているのって誰なんだろうってたまに思う。大多数の人間によって構成されるであろう「空気」のせいだろうか。「空気を読め」とよく言われる日本的無意識下の「空気」だろうか。この「空気」は、今やコロナになってから醸成されづらくなっているようにも思う。大人数で集まった結果、集団的意思決定の決断は人ではならず「空気」に頼りがちな日本も、ついに自分達で決定する時代が来たのかもしれない。なんて空想に耽りながら、今日も端から掃除をした。

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