原点と50という数字
おはようございます。
早くに寝すぎて2:30頃から起きてるんだけど、こんな落ち着いた時間は、自分自身とよく向き合える。
今日は「原点」と「50」という数字の話です。
私が関わらせていただいている農業の方とお話をすると時々でてくるのが、原点という言葉と50という数字。
何回も聞いてきた言葉だけど、きっと私の中にまだ根付いてないから、その言葉を聞くと、ハッとするんだと思います。
「常に原点に戻る」「常に中立で物事を考える」
その方は、私にそうやって言い、その行動をし続けます。
私がその方に何かを伝えるとして、それがその方にとって良くない話だとしても、決して私が困る回答をすることはありません。どんなときもそれは変わらず、常に相手の気持ちを考えながら言葉を選び、大切なことだけを伝えてくれます。
では、私はどうか?
きっと私は自分の気持ちがどうやったら納得いくのか。
この嫌な状況から早く抜け出したくて、相手の気持ちを変えようと、説得したり、納得させたりする言葉をかける。きっと、すぐに受け入れ相手の気持ちを理解し、相手の気持ちに寄り添うことはできないような気がします。
私の4年前頃からのキーワード、「愛するとは」。
このキーワードは何度も「大切なことを忘れてはいけない」と私の中にあらわれ、いつもこの時の気持ちに戻されます。
私にとって「愛する」とは、
「自分自身を愛すること」
自分自身の良いところも悪いところも含め、自分という人間をちゃんと大好きになってあげて、認めてあげる。
自分の好き、嫌い、うれしい、楽しい、悲しい、不安、苦しい、幸せ
そんな気持ちに、ちゃんと気づいてあげる。
自分の気持ちが納得がいっていない行動をとるとき、どこかに不快な感情だったり、これでいいのか、という疑問があったりします。そうすると、何か心の中にひっかかりがあって、どこかでうまくいかなくなったり、なにかおかしくなったり、自分自身にもまっすぐ向き合えなくなったりします。
そうなってしまうと、心に余裕もなくなり、人を愛することもできない。
そんなときは、「このままでいいのか・・・」
「何かもう一度考えなおしてみなければいけないのではないのか。」
そんなときは原点に戻って、もう一度私はどうなりたいのか、何がしたいのか、どんな生き方をしたいのか、どうありたいのか、しっかり自分と向き合う時間を作る必要があるんだと思います。
自分の気持ちを抑えつけたり無視したりして進んでいくとその物事はうまくいかない。もう一度、自分の気持ちに向き合いなさい、と心が訴えかけてきます。
いまある現状に「執着」している気持ちはないか。
本当は手放すとうまくいくはずなのに、手放せずにしがみついている何かがあるのではないか。
その執着を手放すということには、大きな不安がつきまとい、その不安に恐れて前へ進めなくなったりしますが、でも前回の『うまくいかないことから学んだこと』にも書きましたが、手放してみると案外無くても大丈夫だったりして、しかもそうなって良かったという気持ちが生まれたりもします。
いま私自身も、執着している何かはないのか。
「変化」することに対して不安に感じて、変われずにいるなにかがあるのかもしれない。でも、変わってみれば、案外楽に生きられるのかもしれない。
私自身、毎日いろいろなことが起こる中で、今、しっかりと考えなければいけないことがあります。自分の気持ちに向き合い、自分はどうしたいのか、どうありたいのか、今一度、原点に戻ってしっかり考えていきます。
そして、50という数字を見る度に考えさせられる『常に中立』という考え方。
いろんな話し合い、議論が起こる中で、自分の気持ちや考えももちろんあるけれど、それはどっちかに偏っていないかどうか。
自分の気持ちの押しつけになっていないかどうか。
ちゃんと、双方の気持ち、自分の気持ちを含め、受け止めながら考えることが出来ているかどうか。
これは今後の私の課題のひとつであり、今はまだ意識しないと出来ないことのひとつです。
が、意識しなくても出来るようになるように、この考え方、行動をとれる癖をつけていきます。
《習慣化するまで28日》
と何かで読んだことがあるので、28日間毎日『中立で物事を考える』『中立で物事を考える』『中立で物事を考える』…と自分に伝え続けていきます。