育休1年が経過する夫による記録
久しぶりの夫記録。急に夜な夜な書いた原稿が送られてきたので今回は夫の記録をメインにアップする。
絶望の淵にいた私が、なんとかこれまでにやってこられたことは記録してきた。
いよいよ育休も1年の経過を迎える。私が記録したいと言っていたことを覚えていたようで、全然寝に来ないなぁと思ったらこれを書いていたとのこと。
私自身読んでいて本当に濃い1年だったなぁとしみじみ思ったとともに、分かって欲しいと思っていたことはちゃんと分かってもらえたんだなぁとこれまたしみじみ。
我が家は、こんなパターンです。
・夫が1年間の育休取得
・第一子のときは取得なし、第二子で初めての育休
・妻は自営業のため元々産休育休などは無し
どこかでお役に立つことがあればと思います。私はここまで、ではどうぞ。
夫による1年間の育休記録
2020年は、2月12日に第二子が生まれ、それに伴い、1年間の育休を取得し、二度とない貴重な機会な気がするので、筆不精ではあるが、記録に残そうと思う。
元々用意周到なタイプなので、このような機会があろうと思い記録するために手帳を事前に購入しておいたので、それを見返しながら、振り返ろうと思う。
さて、、、ページをめくってみると、、、
なんと、娘が生まれて6日後で既に記録が途絶えている。。。。しかも最後の記録は「鼻のブツブツ=鼻皮脂」とどうでもいいことである。
お察しの通り、「日々生きるのに、必死すぎて」記録がとれていない状況。。。
こうなった今、手元にある、
・2月18日までかろうじて記録のある手帳
・Geogleカレンダ
・卓上カレンダ
・Amazon Photo
・SNS(Twitter/FB)
で何とか記憶を呼び起こしながら、記していこうと思う。
【2020/1】
8月頃から上司には育休取得の打診をしていたので、引継ぎをしているようだ。
→自分の担当顧客を後任の方に引継ぎ説明をしている。
ひたすらに北海道~四国のお客様に担当交代の挨拶行脚をしていたが、お客様や社内からは、「大変だと思うけど、頑張って」や「今はこういう時代だよね」と仰っていただき、幸いにもネガティブなことは一切言われることなく育休に突入するようだ。
1年後の職場復帰に既に怯える。
妻のお腹も大きいため、保育園の送り迎えは自分がやっていた。誰とも打ち合わせのない日は、サテライト勤務を率先していたようだ。
齢30にして、初めて片栗粉を水で溶いたけど本当にとろみがついた。とくだらないことを呟いており、産後に向けて料理を練習していた。
【2020/2】
<誕生前>
男性の場合、産休がないので、生まれてから育休という形だが、自分の場合は、区切りよく2月からもう有給消化兼ねて休みに入った。
「男性育休のリアル」というイベントに参加
→既に1年の育休を取られたお父様の話で、「児童館に行って褒められるとモヤル」という話を聞いて、そんなこたないと当時思っていたが、確かにそうだった。最初は自分もドヤ顔していたが、育児をすればするほど、自分の不出来が露呈していく一方で世間からは褒められると「いや、違うんです」と神妙な気持ちになる。
妻のBCPとしてコワーキングのシフトに入れられ、仕事を覚えさせられる。スパルタすぎてこの人の下では働けないと日記に書いてあった(震え)
早く生まれてくるよう常に一緒に散歩している。
いつ破水するかわからないため、議会にも帯同していた。中々面白かった。
近所の人から育休のことを告げると「何かあったら言ってください」と励まされうれしくなる。
<誕生後>
無事生まれた。よかったよかった。
入院した最初の夜、つまり家に母がいない初夜、息子と二人で寝た。すんなり寝たので楽勝と思いきや、夜中3時に目覚めお母さんを探して泣いていた抱っこであやすこと2時間ようやく5時に寝た。
保育園の先生も気を使ってくれて接してくださり感謝。
事務手続きに追われる。
出産した二日後にパーマをかけに行っている。謎
無事退院。
→妻はすやすや昼寝していて安堵した。
近所のレストランのオーナーと産後の栄養価の高い材料について議論し、結論サプリが一番となるが、菜の花、鯖缶、ごま、魚肉ソーセージがよいとなりそれをひたすら妻に摂取させる。クコの実はお口に合わなかったよう。
育児で手が離せないため、音声入力にはまる
妻議会へ。授乳のため生後15日で市役所へ娘登庁。
→怒られたり、快く思わなかったりする方がいるのかなと不安になるも、みんな可愛がってくれて大変ありがたかった。
→2-3時間戻ってこないので、結構苦労した。ひたすら自分の袖を吸わせてごまかす。
【2020/3】
議会月のため、ひたすら娘と市役所へ登庁。
息子が体調を崩し、初めて保育園から電話が来た。予定がぐちゃぐちゃになり、これが育児の大変さかと痛感する。
体調の悪い2歳児と0歳児の初ワンオペ。どっちかを抱っこするとどっちかが泣く、地獄かと思った。
圧力鍋の使い方を覚える。
息子に「パパお仕事は~」と聞かれて、黙る。
息子の朝の支度にイラつき、怒鳴ってしまい罪滅ぼしに、カフェに行く。
職場は、在宅勤務になった。
【2020/4】
緊急事態宣言が発出され、育休家庭は控えるよう依頼があったため、6月まで家庭内で面倒を見ていた。
→子ども二人連れて散歩していた。途中公園が禁止になり、トランポリンで体力を消耗させる日々。
毎朝ブラックコーヒーを飲んで、セルフPCRをしていた。
職場に近況報告をする。
→平均年齢50歳弱の部だが、「子育てについて羨ましく読ませてもらいました。」
「大変だけど頑張ってください。」とか前向きな言葉が書いてあり、各々想像力を働かせてこの状況をサポートして頂いていると実感した。
ひたすらおむつ替え。
妻と喧嘩して、不貞腐れていた、理由は忘れた。
正直、夜のことは覚えてない。
【2020/5.6】
自粛。あまり覚えてない。
妻がコワーキングにキッチン作るという意味不明なことを言って結局作った。
6月下旬にすくすく泉が開いて泣いて喜ぶ。
ひたすら娘のうん漏れシャツを洗う。
ぶくぶく太る、自分が
毎朝6時に起こされ、昼間も同時に昼寝しないため疲労困憊であった。眼鏡をしたまま顔を洗うという嘘なようなこともしでかす。
→コナンの腕時計が欲しいとつぶやいている。
育児休業給付金がまだ振り込まれない。
保育園の方角に向かって日々礼拝
【2020/7】
やっと保育園に登園でき、歓喜
育児のコツを掴み、反町隆史の「ポイズン」でだいたい3ポイズンで寝かしつけ完。
息子との時間を意識的にとるため、二人で外食をした。
予防接種に行くと待合室は父親の方が多くてびっくり
【2020/8】
資格試験の勉強がとれず、イライラしていた。
→上手く育児、家事、勉強の優先順位付けができず葛藤。勉強はオススメしません。
Eテレの番組で流れる歌を諳んじることができるようになる(30歳♂)
【2020/9】
個別「ゆるゆるお父さん遠足」に参加する。
三歳児検診の家庭内検査に絶望する。
【2020/10】
予防接種、三歳児検診にワンオペで二人連れて行くと大変。
→力はある方だが、結構しんどい。帰宅後寝込む
3歳児にキレていてのどを痛める。
後追いされてトイレに行けなくなる。
急に一人時間を与えられても、何をしていいかわからなくなる体になる。
保活のため、保育コンシェルジュに相談に行く。空き全然ないじゃん。
【2020/11】
娘が9か月になり、後追い、昼寝しなくなり手がかかるようになった。
→そのときどきで大変さは変わり、それに慣れるのが結構大変であった。
「赤ちゃんキウイ」なるものを知る。
→赤ん坊の髪の薄さをキウイに見えることからキウイのシールを頭に貼って撮影するという流行。
31歳になるが、誕生日プレゼントは1人時間が欲しかった。
【2020/12】
息子に「パパお仕事はー?」と煽られる(二回目)
恥ずかしながら、長男、長女ともに上手く接することができず落ち込む期間があり、ネガティブであった。
保育園、1月1日入所がダメになり、2月復職が絶望となった。
→上司から「元気か?保活はどうだ?」と電話があり、斯々然々一旦3月末まで延長してよいことになった。もう頭が上がりません。(4月は入所できますように。。。)
以上。
こう振り返ると薄っぺらいように感じるが、非常に自分としては、感情の振れ幅が大きい一年だったと感じる。
仕事から丸一年離れ不安も正直あった。喜怒哀楽かなり満ち溢れた一年であった。
正直、娘の発達について目の当たりにしたにも関わらず全く覚えてないがこの一年の大変さだけはかなり覚えている。
教訓としてはこれほどまでに「自分の機嫌を自分でとる」ことが難しいのかと実感させられた。
また、こう書くと子どもを持つことに敬遠されるかもしれないが、ふとした瞬間に投げかけられる笑みや兄妹で笑いあっている姿は何とも幸せなんだろうと感じたのも事実である。
当初、育休取得に向けて掲げた目標「家族全員サバイブする」は今のところ何とか達成できているかな。終わり
↓反響に喜んだ夫が続編を書き始めました…