
BLUE FOREST
確か7.8年くらい前だったと思う。陶芸家の友人に紹介され、ある個展に行きました。そこには、深く、強く、優しく、でも、暗くも 怖くも感じる、猛々しさの中の静寂とでもいったような写真が数点飾られていました。
その正体は「波の裏側」でした。
その陰陽の世界とも言える写真の中のある1作品の前で、私は金縛りでもあったかの様にしばらく釘付けになってしまいました。私にはそれはまるで龍がうねってこちらに向かって来ているかのように動いて見えたのです。
その写真家は 杏橋幹彦(Mikihiko Kyobashi)さん。
フィルムの枚数も限られている、素潜りで息の続く瞬間も限られている。その限られた条件の中で、波(うねり)の裏側という極限の一瞬を撮影する。ファインダーも覗かずただ自分の感覚を頼りに「ここだ」という瞬間でシャッターを押す。何が写ったかなどその場でなんて確認できない。誰もいないビーチから何時間もかけ沖に出て、その瞬間をただひたすら待つ。もし何かあっても誰も気付くことはないような海の中。孤独と生死とうねりの狭間。
まだ誰も入ったことのないようなひと気のない海は、そうでない海とはエネルギーがまるで違うそうだ。「もしかして龍を見たのではないのだろうか。。」お話を聞いてそんな風に思ってしまった。
「”自然”という言葉も人間が勝手につけた名前だよね。人間が言う”自然”てなんだろね」
地球の中での人間(自分)の在り方とは何か。身の程を知り、その在り方を誰よりも心得ている方から聞いたその言葉の重さがずっしりときた。
静かな波のようなトーンで、されど止めどもなくエピソードや信念をお聞かせくださった時は素直にとても嬉しく、自然と感謝の気持ちが溢れました。もう7年も8年も前の事だけれど、その時に手に入れた杏橋さんの作品集「BLUE FOREST」は今でもお守りのような存在の1冊です。
杏橋さんのプロフィール、コラムなど良かったら是非拝読してみてください。1ー8までどれも読んでいただきたいです。
P.S ヘッダーの写真は私自身がとった海の写真で、杏橋さんのものではありません。。念の為。。