作歌のはなし。自己満足と共感される歌
授業の毎週の課題で短歌を作っています。担当してくださっている講師は、名前は伏せますが有名な作家さんで、大学の頃から短歌会にて作歌してきた方でもあります。授業の毎度、おのおのが作ってきた短歌を批評しあうという形で進めているのですが、なかなか、いい批評をもらうことができません。
とりあえず、今まで作ってきた歌の一覧を挙げておきます。
・そよぎたる風にまぶたを閉づる妹の昼のやさしさを我は忘れめや
・毎日、毎日、毎日、水をやって成ったこの実にも現れたのか
・がらくたとなつてしまつたあたくしの思ひ出の火が、一つ、また一つ消えた。
・千年のなまくらを研ぎて来し槿がわが髄脳に藍の匕首さす
(やっぱり解説無しじゃあなんのこっちゃかわからないな…!)
ほんとうにそうで、解説がなけりゃ誰にも伝わらない、あったとしても多分、理解されないような、自己満足の歌ばかりです。
作歌の経験が乏しいながらも毎週ああでもない、こうでもないと考えながらも思いを込めて作っているのですが、やっぱり、どれもなんだか不細工なまま提出になって、他の生徒から「独りよがり」との批評を受けます。大学の知人からは、「あんまり難しい言葉や古語を使おうとしない方がいい。短歌は生活を詠むべき。」と言われました。
たしかにその通りで、古語や文語だったり、常用的でない語句なんて使わない方が他の人にも共感されやすいだろうし、いい評価も得られやすい。まして、自分にしかわからないような心象を詠むのは自己満足にすぎないとも思います。現に、他の人の、口語・現代仮名遣いで平易な言葉(「雨」や「珈琲」など)をつかって、恋愛や日常のあるあるを表現をした歌はわりといい評価を受けていました。もちろん、いい評価を受けているから良い歌という訳でもないとは思いますが。
私としては、文語や旧仮名遣い、なるべく自分が気に入っている言葉を使って、誰かに理解されるような歌を作りたいと思っています。それでも、言葉が自分のものになり切れていないせいなのか、なんだかレベルの低いがたがたな歌になってしまう。それがから回っていって、結局自分の伝えたい感情も意味不明なまま終わってしまう。そんな感じで毎週苦心しています。
当たり前ですけど、自分のやりたいことと、自分にできることって全然合わないですね。
まだまだ、色々思っていることはあるのですが、今はうまくまとまらないので、またいつか書こうと思います。
最後に、知人の意見を聞きつつ作ったものの、課題に出す機会がないまま没にしてしまった歌がいくつかあるので、供養といってはなんですが、それを載せておわりにしたいと思います。
・椎の木にころん、ころん。と生れる実を食める鵥が頬の黒きこと
・朽ちかけし曼珠沙華の花みるごとに この往生は遠く思ほゆ
・日々思ふ つまらぬ者はわれなるか われを分からぬ人々なるかと
・忘れゐし人の名を思ひ出だす時 借りし金のことも思ひ出だしき
・流れ往く雲を歌へば日々日々のつまらぬ心も流れ往くかな