「美学」のもとに生活を送っていくー「私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE」安達茉莉子(著)
市立図書館で予約したときは確か50人近く順番待ちで、半年近く経って手に取れた、安達茉莉子さんの「私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE」。
最初にこの本を知ったのは、近所の独立系本屋さんでだった。その時は気になったものの購入はしなかったのだが、その後も、登録しているメールマガジンや何かの記事で安達さんの名前を見かけて、それで気になって予約するに至ったのだった。
この本を読みながら私は、安達さんに勇気づけられているみたいな気持ちになった。そうだよ、いいんだ、いいんだよね。もっとこだわっていい、もっと貪欲に追求していい、妥協しなくたっていい、すぐに見つからなくても時間をかけて探せばいい、探してもなくって、自分に出来そうだったら作ってみてもいい。世界を思うままに変えるのはもちろん無理だ。でも、自分の部屋、自身の身なり、私の生活はどう?なんだかなあって感じていることを無視しなくていいし、無視したところで、私の性質上結局気になり続けるのだし、自分の「美学」から外れたモノやコトは、私が自分では気付けないほど少しずつではあっても、私の魂を腐らせていくんじゃないだろうか。
この本の中には「美学」という言葉が出てくる。安達さんは言う。”往々にして疲労と緊縮財政と怠惰さでうまくいかないが、それでも私は、自分の生活の中に美を求めずにはいられないのだと気づいた。現実はうまくいかないこともある。だけど、「美学」だけは持っていたい。”
私は昔からこだわりが強い方で、衣食住のあらゆることに関する取捨選択において、「これでいいや」で何かを決めることはあまりなかった。しかし、大学を卒業して所謂「社会人」となってから丸5年、私の「美学」は社会で生きていくうえで邪魔になってしまったり、私自身を途方に暮れさせる要因になったりした。社会の普通を私は受け入れられなかったし、社会の普通は私を妥協させようとし、諦めさせようとしてくる。時には周囲の優しさや善意がそうさせることさえある。そしてお金に余裕があったことはない。けれど私はやっぱり自分の「美学」のもとに生活を送っていくことをやめることはできなくて、ここ1年程はそれを受け入れたうえで、さあ私はこれからどうしていこうかという前向きな想いとともに、具体的に行動を起こそうと準備している時期だった。そんなとき手に取ったこの本は、はじめに書いたとおり、私の背中を後押してくれた。
諦めそうになったとき、もういいやと思ったとき、それは人生における大きな決断のときもあれば日常の本当に小さなことでもあるけれど、私は自分にもう一度問いかけたい。「私は、どうなの? 周りじゃないよ、”普通は” じゃないよ、私は…?」大学生までの自分は気付くことが出来なくて、そのあとの数年で私が学んだことは、自分の「美学」を追求することは、調べること、考えることに多くの時間と労力を使う必要があり、言い訳をしない覚悟が必要で、人生を長い目で見て、焦らずに少しずつ、継続的に進めていくことなのだということだった。
この本のタイトルは「私の生活改善運動」のあとに「THIS IS MY LIFE」と続く。私の人生。
思い描く理想の生活があり、今の私が想像もしていない生活があり、3年後、5年後、10年後、もっと先、私はどんな生活をしているんだろうか。
"私だって、この先どんな生活だって起こりうる。(…)ありえたかもしれない人生、というにはあまりにもまだ十分ありえるし、だけどぼうっとしているとすぐに、そんな人生もありえたねえ、となりそうで。"
安達さんのこの文章を私は何度も思い出している。どんな理想の生活も、正直、まだ十分にあり得るんだよなあと思うと、夢を見すぎというわけではなくて、本当にまだ全然あり得るんだよね、としみじみ思う。私も、私の生活改善運動を続けていって、それは自ずと私の人生になっていって、より幸福な方へ進んでいけるように暮らしていきたい。
(写真は夜の植物園で撮影したウナズキヒメフヨウです。)