珈琲日記#17 田舎町の古民家カフェにて
久しぶりにローカル線に揺られて、地元よりもさらに田舎な地域に行った。
人口減少、高齢化率の上昇が著しい、いわゆる「過疎地域」。
コロナ禍の時期、なかなか移動ができなかった時にかろうじて行くことができた地域だった。
自分が地域の研究やまちづくりの仕事をしていることに興味を持ってくれた人とつながり、マルシェのボランティアをしたり、地域おこし協力隊の方が主催するイベントに参加したりしていた。
たぶん、わたしはその地域における「関係人口」と言えるのかもしれない。
春の季節にこの地域に行くのは初めてだった。
だから、ローカル線の車窓から見える萌葱色や桃色な春の山や河川の脇に咲いている菜の花がとても美しく、新鮮に見えた。自然と、涙がこぼれていた。
本当は10年以上の仲の友人と行く予定だったのだけど、予定が合わず急遽ひとりで。ひとりの時間を大切にするための時間にしようとおもった。
駅をおり、観光協会で自転車(とヘルメット)を借り、前から行きたかったカフェに行く。
地元で自転車に乗るなんて、しかもヘルメットを被るなんて、中学生の時以来だった。
毎日ヘルメットとセーラー服(中には短パンジャージ)で通学していたあの頃。
その日は長めのスカートだったので、セーラー服で自転車を漕ぐ感覚ににていた。
目的地のカフェは、数年前に築150年の古民家をセルフリノベーションしてできたお店。地域おこし協力隊だった方がコーヒーの焙煎士としてお店を構えている。
カフェができる前からそのお店の方と知り合いだった。
自分はこのエッセイを書き始める前からコーヒーは日常の一部だった。カフェに行くのも大好きだった。でも、その方と出会って、コーヒーの知識や淹れ方を知って、より一層コーヒーが好きになった。
命の恩人ならぬコーヒーの恩人?なのかもしれない。
ひとりでゆっくりした。店内(というか室内?)には本棚があって、そこからコールハースのエッセイを見つけた。都市や地域を考える上で、コールハースは私にとって重要人物の一人だったので、うれしかった。1-2時間かけてじっくり読んだ。
自分と同年代となると、95%くらいの人は働いている。それに引け目を感じ続けてしまっている。そう思う必要ないのに。
この一年は諸事情で色々ゆっくりすることになった。悩ましいけど。こうするしかなかった。
そういう意味では、ゆっくりする良い週末に塗った気がする。
帰り際、店主さんと語った。続けることの大切さ、難しさ、距離感。
この辺の人は地方に住んでるのに、考え方や時間感覚が都市だねって。
研究のヒントにもなったかもしれない。
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