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*宝塚歌劇雪組公演『ベルサイユのばら〜フェルゼン編〜』

先日、ご縁あって宝塚歌劇の雪組公演
ベルサイユのばら』を観劇してきました。

私にとって人生初の宝塚観劇!


私はベルばらの大ファンなので観たいとは思いつつも、そもそも宝塚のチケットの仕組みもよくわかっていませんでした。
しかも一般枠じゃどうせ取れないだろうな〜とほぼ諦めて忘れ去っていたところ、前の職場の方が「チケット取れたけどどう?」とお声がけしてくださったのです。

一緒に働いていた頃、「2024年に絶対に宝塚でやるはずなので行きたいんです!」と、日々熱弁していた甲斐がありました。
先輩には本当に本当に感謝してもしきれません…。
宝塚の、しかもベルばらというプレミアチケットを手に入れてくれた先輩、ありがとう…!

初めて宝塚を観たので、「宝塚」という舞台そのものにも感動しましたし、大好きなベルばらの世界を自分の目で観ることができた!という感動も味わえました。

ということで、そんな感動した話を書いていきます。
いろんなことを思い出しながら書いていたら、何日間もかかってしまい、超長文になってしまった。


①「宝塚」って、凄い!


私は、結構いろんなライブやコンサート、演劇やミュージカルを観てきている方だと思います。
なんにせよ、自分の目で観るのが一番!という考えを持っているので、こういう「ナマモノ」が大好きです。

そして、初めて宝塚を観た感想としては、「宝塚」には独特の雰囲気があって、演劇やミュージカルとも違う。

「宝塚」以外の何物でも無いんだな、と感じました。


☆衣装や舞台セットに感動

まず衣装。
今回はベルばらということもあるのでしょうが、みんなキラキラふわふわしていて目を奪われてしまいました。
ドレスの色や柄の組み合わせがとても可愛かった!

一方、革命が本格化してからの市民や、処刑直前のマリーなどはガラッと雰囲気が変わり。
コントラストがはっきりしていて、煌びやかな世界の変わりゆく様子が、衣装でも表現されているんだなと思いました。

あと、シャンシャンを遂に生で見ることができて嬉しかったです。私もあれ欲しい。

昔、ベルばら展で展示されていました


舞台セットについては、どんどん目まぐるしく変わっていくので、幕が降りているほんの一瞬でそんなに次々とセットを変えていけるのは、宝塚ならではなのだろうな…などと考えていました。
あんな大規模な場面転換を何度も何度も繰り返しているの凄すぎる。裏方さんのお話しを伺ってみたい。


そして、映像で何度も目にしていた、オープニングのキラキラの「ベルサイユのばら」の文字や、大階段には目を見張るものがありました。

キラキラ「ベルサイユのばら」を見たとき、「あ…あ!遂に来たか、ここまで…!」と非常に感動しました。

あの大階段は…。本当に凄いとしか言えないですね。
(さっきから凄いしか言ってない)
ドレスで降りてくる皆さんを見ながら、1人でこっそりドキドキしてしまいました。下を見ないで、確実に降りてこれるのは、練習の賜物ですね。


☆歌もダンスに感動

私はオペラも観たことがありますが、マリー役の夢白さんなど、オペラ歌手か?!というくらい高音で歌い切っていて、凄かったです。

フェルゼン、マリー、オスカルの3人が「愛あればこそ」を歌うシーンは、心臓がきゅっとなりました。
(あのシーンで歌ってたの、愛あればこそですよね…?)

3人とも、結ばれることのない恋、許されることのない愛に苦しんだ人物だと知っているからこそ、凄く切なく感じました。
原作ファンとしては、背景に漫画のイラストが出ていたのも嬉しかったな。


あとフェルゼン役の彩風さんの歌にも感動しました。

事前に予習していた「愛の面影」に感動したり、ゆけフェルゼンかっこいい!と思ったり。あの馬車のセット、あのアングル、すべてが斬新すぎて気に入りました。笑

そして、「セラビ・アデュー」という曲も、退団公演ということを知っていて聴くと、まったく宝塚に明るくない私でも、胸にくるものがありました。
あとから調べて知ったのですが、これって新曲なのでしょうか?

「あなたの中に私は生き続ける」「私の中にあなたは生き続ける」という歌詞に凄く感動しました。

彩風さんの退団公演ということは知っていたので、ファンの皆さんにとって、この歌詞はどんな響きを持って届いているのだろうか、などと考えていました。

作品にもしっかりはまっていたし、何よりフィナーレのときに、まるで彩風さんを見送るかのような形で、他の方々が歌っている姿を見て、最後の最後にもまた感動してしまいました。

どんな人でも、いろんなことにあてはめて聴くことができる曲で、とても心に残っています。素晴らしい曲!


あと、アンドレがオスカルへの想いを歌う「白ばらの人」も良かった。フェルゼン編でも聴けるとは思わなかったので嬉しかったです!
ちなみに原作でも、アンドレは死ぬ間際まで歌を歌っているのです。(一緒にいたアランが、「何か歌っている…?!」と言っています。)

原作の歌は、オスカルの美しさを讃えた歌。

なので、歌詞は違えど、このシーンは原作にも重なる部分があって、ファンとしてとても嬉しかったです。

でもやっぱり、アンドレが流れ弾で死ぬ設定なのは、ちょっと…と思ってしまう原作オタクです。
みなさん、ぜひ原作を読んでください。
ちなみにアニメも全然違うので、比べると面白いです。

他にも、何度も映像で聴いていた、オープニングの「ごらんなさい ごらんなさい♪」を生で聴けてテンション上がりました。私はあのシーン大好きです。


☆お芝居に感動

お芝居で一番最初に衝撃を受けたのが、
オスカルの「無礼者ーーーー!!!!」のシーン。
2階席なのに物凄い声量が飛んできてびっくりしました。と同時に、めっちゃオスカルじゃん…と思いました。

こちらも、ファンの方々のSNSなど拝見したところ、今回の朝美さんオスカルは声が大きいようで…?!

ポスターで姿を拝見したときから、「この御方、オスカルすぎる…!オスカルよりオスカルだ!(?)」と思って楽しみにしていたので、やっぱりめっちゃオスカルだ…と思いました。凄く良かったです。

そのあとのシーンでも、フェルゼンに「誰かを愛したことはないのか?!」と言われるシーンや、アンドレとの今宵一夜のシーン、バスティーユのシーンなど、オスカルは勇ましかったり乙女になったり忙しいキャラクターだと思いますが、いろんな表情がちゃんと表現されているように感じ、とっても感動しました。

敬意を込めて私も朝美オスカルと呼ばせていただきますが、朝美オスカル最高!!
朝美オスカルと縣アンドレのペアで、オスカルとアンドレ編も観たいなあなどと感じました。


もうひとり、特に感動したのがジャンヌ役の音彩さん

まさかフェルゼン編にジャンヌが出てくるとは思わず、おお!と嬉しびっくりだったのですが、何よりこの御方もジャンヌすぎてびっくり。

正直、いちばん衝撃的だったかもしれません。

声のトーンや話し方、動き、すべてが原作のジャンヌそのものという感じでした。
漫画から飛び出してきたのかと思いました。
原作やアニメに触れていない方がいたら、ぜひ一度ジャンヌのシーンだけでも観てほしいくらいです。

私は音彩さんが登場した瞬間に、これは…!絶対ジャンヌだ…!と思ったし(ベルばらには貴族がたくさん出てくるので、ぱっと見誰か分からなかったりします)、
セリフが始まってからは、「ジャンヌがいる…彼女は実在していたんだ…やっぱり生きているんだ…(ジャンヌは劇中でも、私は絶対に死なない!と言い切っています)」と感じました。

そこまで登場シーンが多いキャラクターではないけど、伏線回収に少し関わってくるし、何よりあの存在感!
この文章の熱量で伝わっていただきたいのですが、本当に本当に感動したのです。

一緒に観に行っていた先輩にも、幕間で「ジャンヌがめっちゃジャンヌです!」と想いをぶつけていました。
相当いろんな宝塚を観てきている先輩も、ジャンヌ役の子うまいね〜と言っていたので、そもそもお芝居が上手な方なのかもしれませんね。(その辺は完全に無知なので稚拙な感想ですがどうぞお手柔らかに…)

奇跡的にジャンヌの画像ありました!


…と、ジャンヌに触れたらロザリーのことも。
オスカルが撃たれたあとに駆け寄るのはロザリーですが、私の中では「オスカル様あああああああ!!!!」と叫んでいるイメージでした。

しかし、今回は、「うあああああああ!」と悲鳴に近い声で泣き叫んでいるだけに聴こえました。
それがなんだか凄くよかったんです。
台詞という感じがしなくて、愛する人が亡くなったときって、名前を叫ぶとかではなく、言葉にならないこういう叫びになるのだろうな、と感じました。

声を出さない私たちの代わりに、ロザリーが叫んでくれているような気持ちになりました。


いろいろ話してきましたが、
最後に、忘れちゃいけない、私の大好きなアンドレ

縣さんのアンドレも、物凄く「アンドレだあ…」という雰囲気を纏っていました。
なんというか、すごくアンドレでした。
さっきから思っていますが、語彙力がなさすぎる。

Xで「縣アンドレ」で検索したら、宝塚ファンのみなさまの縣アンドレへの想いがたくさん溢れていて幸せな気持ちになりました。
みなさま、物凄い言語化してくれている。さすがです。

原作もアニメも見ているからこそ、宝塚に無いシーンにまで縣アンドレを当てはめてしまい、このアンドレをもっともっと観たい…!と思いました。

フェルゼン編でも今宵一夜のシーンがあるとは知らなかったので、とても嬉しかったです。遂にこのシーンをこの目で観ることができた…!という感動でいっぱい。

「好きだ」
「愛している」
「千の誓いがいるか、万の誓いが欲しいか」
「今日まで生きてきてよかった…!」

…大好きな言葉、すべて聴けました。
このシーンは、何度観ても、よい。

どうやら、今日まで生きてきてよかった、は追加された台詞みたいですね。逆にこの台詞が無いとこのシーン締まらなくない?!と、宝塚ど初心者の私は思ってしまいました。

このシーンを見ることができて、もう本当にこちらが今日まで生きてきてよかったですという気持ちでいっぱいです。本当に本当にありがとう。
縣アンドレも最高でした!!


メインの御二方に触れていませんが、フェルゼンとマリーも勿論素晴らしかったです。
意外とこの2人が直接絡むシーンって、少ないんですよね。やっぱり人目を阻んで会わないといけないからね。

一番印象的だったのは、マリーに逃亡を促すためにフェルゼンがやってくるシーン。
あのシーンは、マリーを連れ出したいフェルゼンと、フランス王妃として死を受け入れる覚悟をしたマリーの想いがぶつかり合うシーン。

互いを想っている気持ちが見えつつも、両者の緊迫した雰囲気もあり、臨場感がありました。
特に、マリーの決意を決めたお芝居が凄くよかった。

※ちなみに、マリーが白髪になってしまっているのは、老いではなく、ヴァレンヌ逃亡事件で数日間にも及んで心身に負荷がかかったが故のものです。
宝塚ではどうしてもヴァレンヌ逃亡事件の話を入れ込む隙間がないのだと思いますが、あれ無しでフェルゼンとマリーについては語れません…。

原作でも、マリー・アントワネットは、作品後半に行くにつれてかなり精神的に成長していくのですが、その様子を夢白さんがちゃんと表現されていて、凄いなあと思いました。

あと、もっと序盤に出てくる、ピンク色のばらの中からピンク色の衣装を着た2人が出てくるシーンも素敵だったなあ。可愛らしくて幸せなオーラが感じられた。

必ず戻ってくる男、それがフェルゼン


待って!最後にあと2人だけ!これで本当に最後!
ルイ16世スウェーデン国王の御二方についても書かせてください。

国王って、心が広いんだな…と心から感じました。
そして、その心の広さを表現できている素晴らしさ。

ルイ16世は、マリーとフェルゼンの関係を知っていながらも、フェルゼンに対してマリーのそばにいて彼女を支えて欲しいとお願いをします。

そして、スウェーデン国王は、マリーを救うためにフランスに行くというフェルゼンに「行け!」と言います。

もうこの2か所のシーンで、国王に心を射抜かれました。この寛容さ、さすがすぎる。
本来ならルイ16世にとってフェルゼンは妻の愛人という存在ですし、スウェーデン国王は革命の渦中のフランスにフェルゼンを向かわせたく無いはずです。
でも、2人ともフェルゼンの気持ちに寄り添ってくれている。

スウェーデン国王のシーンは完全に宝塚オリジナルですが、凄く良かったです。
ルイ16世の優しくて穏やかな雰囲気もしっかり出ていて、国王はこうでなくっちゃ!と思いました。

ルイ16世の画像まで持ってる自分に拍手



②「ベルばら」って、凄い!


ここまででかなりの文字量になっているのは気づいていますが、もう自己満なのでこのまま突き進みます。
やっぱりベルばらの凄さについても改めて語りたい。

「ベルサイユのばら」という作品はとても不思議で、ベルばらに触れるたびに、歴史と愛と人生について考えさせられます。考えさせられるというか、考えたくなってしまうのです。

漫画は何度も読んでいるし、アニメも宝塚も観た。
ベルばらは全てストーリーの進み方が違うので、いろんなパターンのストーリーが頭に入っているし、印象的な台詞も覚えている。

それでも、何度観てもオスカルやアンドレ、マリー、フェルゼン、その他の登場人物たちに感情移入して、感動したり悲しくなったりするのです。

そしてその根底には、やはり常に「」があると思うのです。


☆さまざまな「愛」の形


許されぬ愛、身分違いの愛、決して実ることのない愛、愛する人のために身を引く愛、憧れという名の愛、親が子を想う愛…。

ベルばらには、数えきれないほどのいろんな形の「愛」が詰め込まれています。
「愛情」という花言葉を持つ「ばら」という花の名前がタイトルに入っているこの漫画にぴったりですね。

ちなみに、ベルばらの主な登場人物たちには、それぞれ異なる色の薔薇がイメージとして付されています。

マリー・アントワネットは
オスカルは
アンドレは
フェルゼンは

それぞれの花言葉を調べてみました。

真紅の薔薇は「円熟した優雅さ
白い薔薇は「麗しい
黄色い薔薇は「
紫色の薔薇は「私はあなたにふさわしい

最期までフランス王妃としての誇りを持っていたマリーにはやはり気高い「優雅さ」があります。
「男装の麗人」と言われたオスカルは、まさに「麗しい」人です。
オスカルへの愛に狂い、時には暴走してしまうくらいにオスカルを一途に愛していたアンドレには「愛」の花言葉がぴったり。
そして、最期までマリーへの愛と忠誠を貫いたフェルゼンは、きっといつも心の中で、本当は自分こそが「あなたにふさわしい」のに…と思っていたことでしょう。

それぞれのキャラクターの性格やエピソードを知っていると、こんなにもぴったりな花言葉だったとは…という驚きでいっぱいです。
もしかして、池田先生そこも狙ってた…?!

とにもかくにも、ベルばらを読んでいると、こんな愛の形もあるのだな…と考えさせられます。



☆オスカルの生き様から「人生」を考える


私は、「ベルサイユのばら」という世界に何度浸っても、最終的には自分の人生についていつも考えているような気がします。

それは、ほかでもない「オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ」の影響です。

彼女のことは、以前もnoteで熱弁しています。

幼少期から父親に剣と銃を仕込まれ、馬を乗りこなし、軍服を着て「女性」と見られることを拒み、決して貴婦人方とお喋りなどはせず、ただひたすらに王家に仕え、最後は革命の渦に巻き込まれていく__。

彼女は、なぜそんなにも自分の信念を貫き通すことができるのだろう、と漫画を読む度に考えています。
貫き通すどころか、自ら危険な環境に飛び込んでいき、自分のすべてをフランス革命に注ぎ込むのです。


そして私は、そんなオスカルのことが羨ましいのだと、最近気づきました。


突然ですが、私にはやりたい仕事があります。
やっと少し近づいてきたけれど、まだまだ先は長い。
これから先たくさん努力していかないといけない。

だからこそ、自分の信念に従って、思うがままに先へ先へとどんどん行動できるオスカルが羨ましい。
私は、まだその信念の強さを待ち合わせていません。

もっとも、オスカルがどんどん行動できるのは、影のように寄り添うアンドレあってこそではあるのですが。


そしてオスカルは、ずっと「女性」としての心に蓋をして生きています。
でも、蓋をして蓋をして、たまにこじ開けられながら、最終的には自分の心に素直になれる。
アンドレが死ぬシーンで自分でも言っているように、彼女はやっぱりどうしようもなく「女」だし、死ぬ間際にアンドレを想う言葉が出てくるあたりでも、ちゃんと「女性」として生きていたのだな、と感じさせられます。

男が、女が、という時代ではないということは重々承知していますが、やっぱりオスカルという存在を語る上で、「女性性」抜きでは語れないのです。

今の私は、いわゆる「女性」としての幸せにあんまり興味がありません。恋愛とか、結婚とか、出産とか…。
否、ご縁がないと言った方が正しいかもしれません。

だけど、オスカルは自分の心に従って生きていて、さらに自分のことを愛してくれる存在にも気づけた。

だから私は、すべてを手に入れることができたオスカルのことが羨ましいんだと思います。


私は、オスカルのことが羨ましくて仕方ないけれど、
本当に本当に大好きで、憧れで、尊敬しています。
きっと、私があの漫画の中に存在していたら、ロザリーと同じように苦しんでいたかもしれません。
それくらい大好きです。

だから、何かに負けそうになった時、人生に悩んだ時、そんなときは、「いつも心にオスカル様!」と心で唱えています。私の心の拠り所です。
社会人になってからまたベルばらの世界に戻ってくることができて良かったな、と心から思っています。

何度見ても泣いてしまう



今も人生には悩んでいますし、きっと永遠に悩みは尽きないでしょう。

だけどこれから先も、私はオスカルの生き様に救われ、勇気をもらい、自分に喝を入れながら生きていきたいと思います。

祖国フランスのために最期まで闘い続けたオスカルのように、私も最後まで諦めずに自分の人生を追求していきたいです。

ぐるぐる考えたり悩んだりしすぎないで、時には、頭より先に体が動いてしまうオスカルのようになってみてもいいのかもしれないな。などと思ったり。


さて、話がまとまらなくなってきたので、今回は一旦これで止めておきます。

ちなみに「ベルサイユのばら」は、2025年新春に、
劇場版アニメが公開されることが決まりました!
今から待ち遠しいです。何回観に行こうかしら。


また書きたいことが出てきたら書くかもしれません。
ベルばらの話は永遠にできますから。


では、アデュウ!


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