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映画【本心】完成披露上映会

2024年11月8日(金)公開予定の映画「本心」。
昨日行われた完成披露上映会に参加してきました。
鑑賞前後に監督とキャストの皆さんの各30分ほどのイベントがあり、鑑賞直後も作品の余韻に浸りながら皆さんのシーンや役柄についてのお話を聞くことが出来るという、この上ない贅沢な体験をさせていただきました。

映画「本心」。
遠い未来の話でもなく、知らない世界の話でもなく、今を生きる私たちの、人間の物語でした。
生の実感。
心も身体も、どこか実感を得難いような今、どこから来てどこへ向かうのか、得体の知れない言語化しがたい宙を彷徨う迷子のような感覚を、伸ばしたまま何にも触れることが出来ない手を、冷たく突きつけ、寂しく見つめて、微かに温かく触れてくれるような、そんな作品でした。

本編ネタバレのない程度に、昨日の感想を。



「本心」公式サイト


あらすじ(公式サイトより)

「大事な話があるの」――そう言い残して急逝した母・秋子(田中裕子)が、実は“自由死”を選んでいた。幸せそうに見えた母が、なぜ自ら死を望んでいたのか…。どうしても母の本心が知りたい朔也(池松壮亮)は、テクノロジーの未知の領域に足を踏み入れる。生前のパーソナルデータをAIに集約させ、仮想空間上に“人間”を作る技術VF(ヴァーチャル・フィギュア)。開発している野崎(妻夫木聡)が告げた「本物以上のお母様を作れます」という言葉に一抹の不安を覚えつつ、VF制作に伴うデータ収集のため母の親友だったという女性・三好(三吉彩花)に接触。そうして“母”は完成、朔也はVFゴーグルを装着すればいつでも会える母親、そしてひょんなことから同居することになった三好と、他愛もない日常を取り戻していくが、VFは徐々に“知らない母の一面”をさらけ出していく……。


池松壮亮さんの持ち込み企画

原作を読んだ池松壮亮さんが、「今やるべき作品」だと石井監督に企画を持ち込んだことからスタートしたというこの作品。
この経緯に主演・池松壮亮×監督&脚本・石井裕也のタッグとくれば、観ないわけにはいかないですよね。
映画館で観ようと思っていた作品、完成披露上映会で鑑賞させていただく機会を得て、とても幸せでした。


今を生きる私たちの、人間の物語

近未来、仮想空間、AI、VF。
こういった言葉が並ぶあらすじを見て、そうしたモチーフの作品に特別関心のなかった私は、物語自体を楽しむことが出来るか勝手に不安を抱いていたのが正直なところでした。
もし同じような理由で鑑賞リストからこの作品を外している方がいたら、ぜひ一歩踏み込んで鑑賞していただきたい。
そうおすすめしたくなるくらい、この作品は、遠い未来の話でもなく、知らない世界の話でもなく、今を生きる私たちの、人間の物語でした。

AIやテクノロジーがさらに発展し普及した近未来に、死んだ母親をVFで蘇らせた一人の青年・石川朔也(池松壮亮さん)。
とても未来的でSF的な入口からスタートする物語ではあるものの、AI・VFに対して得体の知れない恐怖感や疑念を抱きながらもそれを求めてしまう彼の欲望や飢餓感の切実さ、時代に取り残されて彷徨う迷子のような心許なさ、もがきながら這いつくばりながらも生きようとする姿の生っぽさが、作品の世界と今この時代を生きてこの作品を鑑賞する私たちの世界を繋いでくれて、私たちをふわっと漂わせたり、ぐっと引き戻したりしながら、心を掴み静かに大きな余韻を残す、そんな物語でした。

生きるということが、実感を得るということだとして、じゃあその実感って、何なのだろう。
生身のこの身体で得られる実感、それは何にも代えがたいものだけれど、一方でテクノロージを通じて実感したかのように得られる感覚も、ある意味では実感になり得て。
関わる他人や訪れる出来事も、自分というフィルターを通して理解し受け入れた内容は、実はその人やその物事の本心・真実ではないかもしれなくて。
もしその本心や真実に触れてしまえば一瞬で揺れて脆く壊れてしまうかもしれない"自分"があるとして、その"自分"を保つために意思でそこに触れずにいることで、ある意味で心地よく生きているという実感を得ることが出来るかもしれなくて。
そういうことをあれこれと考えようとしては、気付けばスクリーンに夢中になってしまって、頭ではなく心でただただ物語を受け止めてしまう、鑑賞後になんとか感じた心を言葉にして頭に留めたいと思ってもうまくまとめきれない、でもそのもやっとした感覚さえもが"生"の実感かもしれないな、そんなことをぐるぐると、1日経った今も考えています。

石井監督のコメントの中に、「素晴らしいキャストとスタッフと共に人が生きる喜びをシンプルに祝福するためにこの映画を作りました。」とあり、昨日の試写会でもこのことをお話されていました。
確かに、作品を通して最後にあったのは、生身の人間が息をしてここに生きているのだという実感、そこにぐっと引き戻されるような感覚でした。
決して悲しい青年が世の中を嘆く物語ではなく、迷子の青年が生きてきて生きていて生きていく物語。
この難しげな物語に、生の力をずっと漂わせて、祝福の作品とするなんて、やっぱり監督や役者さんってすごいのだな、という気持ちに行き着きます。
こんなに言語化出来ないのに確実に心に落ちて刻まれた映画は、久しぶりに観たかもしれないなという感覚です。


池松壮亮さんの笑うお芝居が好き

池松壮亮さんといえば、やっぱりどの作品でも印象的なのは、涙を流したり、悲しみや虚しさ、喪失感のようなものが表出するシーンで。
「本心」でも、さすがすぎて、何度も心を持っていかれて、圧倒されました。
それは大前提として、あらためて「本心」を鑑賞して思ったのは、私は池松さんの笑うお芝居が好きだということです。

いかにも貼り付けたような笑み、思わずこぼれてしまったような素っぽい笑い、どこか皮肉めいた笑い、何かを諦めたような笑顔、隠すための笑顔、自分や他人を嘲笑するかのような顔、からっぽの笑顔、ため息のような笑い、怒りのこもった笑い。
「本心」は、どこかコミカルな、くすっと笑えたり微笑んでしまうようなシーンも結構あるのですが、感情も状況も揺れに揺らぐ中を生きる石川朔也を通して、池松さんの色々な笑うお芝居を観ることが出来て、そのどれもがとても自然で。
そういうひとつひとつの人間みある感情が丁寧に表現されるからこそ、決壊したかのように溢れる涙が心に刺さって仕方なく、そのすべての感情がお腹から湧き上がっているような嘘のないものに見えて胸を打つのだなと、あらためて池松さんのお芝居の凄さを大きなスクリーンで体感することが出来ました。


心がやわらぎほっとした舞台挨拶

今回登壇されたのは、池松壮亮さん、三吉彩花さん、水上恒司さん、妻夫木聡さん、田中裕子さん、そして石井裕也監督。
錚々たるメンバーのご登壇にこちらも背筋が伸びるような気持ちでしたが、シーンや役柄、撮影中のエピソードなどなどについてお話しされる雰囲気がとても穏やかでやわらかくて、特に鑑賞後のトークでは、当たり前なのですが、こういう生身の人間がつくった作品なんだよなと、どこかほっとして、なんならそれすらもが希望に感じられるような、とても贅沢な時間を過ごさせていただきました。

池松壮亮さんはもうずっと池松壮亮さんで(笑)
ずっとじわじわ面白くて(笑)、とても真摯で、穏やかで、こんなに親しみやすい柔らかな雰囲気をお持ちなのになぜあんなにも圧倒的なプロフェッショナル職人俳優みたいなオーラが同居するのだろうと、本当に不思議な存在感でした。

三吉彩花さんは、とても華やかなイメージがありながら今回のような役に違和感なく馴染んでいらっしゃったのが驚きで。
ステージに立つ姿はとても美しくて、お話も姿勢も凛とした、地に足のついた美しさが漂う、とても素敵な方でした。

水上恒司さんはまさに愛されっ子という感じ。
真面目で真っ直ぐでどこか可愛らしい、周りからの愛あるツッコミがやまないような人。
個人的には「中学聖日記」の初々しさを未だに記憶しているので、きっと良い経験をされてきたのだろうな、これからもっともっと良い俳優さんになっていくのだろうなと、今作でのお芝居と壇上でのとてもしっかりされた顔つきを見て思いました。

妻夫木聡さんはもうずっと色々な作品で拝見してきた好きな俳優さんで、数々の作品が私の青春の記憶と共にありますが、歳を重ねられて魅力が何重にも増して、こうした作品のこうした役柄で存在感を放つ姿がやっぱり素敵でしたし、最近四十肩で…なんて仰られていましたが(笑)、どっしりとした安心感を纏って舞台に立たれる姿がとても素敵でした。

そして田中裕子さん。
まさかこうして同じ空間に居ることが出来る日がくるなんて、と本当に感激しましたが、とてもチャーミングで、でも作品について仰られる一言一言の重み、大きさがとても偉大で。
鑑賞後に仰られた感想が、池松さんも「今のが全て」と仰っていたくらい、本当に全てで、まだ作品の余韻の中に漂っていた私は、田中裕子さんのこの感想を聞いて、思わずぐっと涙が込み上げました。
難しく考えずに、関係ないと背を向けずに、照れ臭いからと蓋をせずに、大切なものはいちばんシンプルでいい、それでいいのだと、ほっとして涙が滲むような気持ちでした。



ということで、昨日は本当に貴重な時間を過ごしました。
「本心」という作品をどっぷりじっくり映画館で鑑賞出来た時間も、その作品を作られた方々のお話を直接伺えた贅沢な時間も、本当に素敵な体験になりました。

映画「本心」、11月8日公開です!!

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