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雪の日、庭を駆け回れなくなったのはいつからだろう?
今日は午後から雪が降り始め、とても寒い1日でした。
関東平野部でも積雪が予想されています。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
私は、訪問看護でうかがったお宅で、
利用者さんと窓の外が白くなっていくのを見ていました。
そのとき、ふと思い出した雪の歌。
雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
降っては降っては ずんずん積る
山も野原も 綿帽子(わたぼうし)かぶり、
枯木(かれき)残らず 花が咲く。
雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
降っても降っても まだ降りやまぬ。
犬は喜び 庭駈(か)けまわり、
猫は火燵(こたつ)で丸くなる。
懐かしい!
そんなに歌っていたかと言われると歌っていない気もするけれど、
犬が庭で走り回って、猫がコタツでまん丸になっている絵が思い浮かびます。
私も昔は雪が嬉しかったなぁ。
大人になった今、映像の雪は美しいと思うけれど、実際自分に雪が降るとどうでしょう。
寒いよね、、何着よう、濡れるの嫌だな。
電車止まらないかな。
滑らないで歩けるかな。
暗くなる前に帰りたい。
もう、庭を駆け回る心の余裕なんて一切ありません( ;∀;)
「雪の日=大変な日」
いつからでしょうか、この方程式。
過去の記憶に縛られている
実は、私たちの意識や感情って過去の出来事に紐づけられていることが大半。
「雪の日=大変」
というだけでは決してないのに、過去雪の日に大変だったことが身体に記憶に深く沁みつく。
そして、雪が降ったからといって、必ずしも嫌なことがあるわけではないのに、私たちは「雪」を引き金にその記憶を参照してしまうのです。
今日は雪だ、また大変(寒かったり・転んだり・電車が遅れたり)なことになるぞと思い出して、いざ電車が遅れて思うように1日が進まないと
「ほらやっぱり、雪だから今日はこんなに目にあった。やっぱり雪って嫌よね」という回路が強化されるのですね。
犬がお庭を駆け回るのと同じように、子どもたちは雪が降ると喜んで遊んでいますよね。
子どもを持つ友人は、「母は明日の買い物を心配しているのに、子ども達は幼稚園が休みになって楽しそうだよー」と話していました。
経験が少ない、過去の記憶に縛られない子ども達は、雪の白さや、柔らかさ、キラキラした美しさ、冷たさなど、目の前にある雪そのものに素直に反応する。
一方で、いつかの雪の日の記憶に縛られる大人(私、、)。
経験を積むって複雑ですね。
判断基準は過去の記憶??
こんな風に考えると、私たちが物事を判断するとき、
どうしても過去の記憶に左右されるということが分かります。
選んだ方を正解にするためには、どうやら過去の記憶とも向き合う必要がありそうです。
今日はここまで。
温かくしてお過ごしくださいね。
読んでくださってありがとうございます。