美大でのトランジションデザイン実践:大量生産大量消費社会における「物の価値」を再考する
ワークショップの概要
トランジションデザインは、過去から未来へと続く長期的な視点でビジョンを創り、システマティックな複雑問題を解決し、持続可能な社会へのトランジションを促すための理論である。
今回は初の美大でのトランジションデザイン実践として、武蔵野美術大学は美術教育で重視されている創造的思考を取り入れて、トランジションデザインデザインに新たな可能性をもたらす試みをした。
ワークショップのファシリーテーターに務めたのは武蔵野美術大学社会連携チームの藤田彩月と大学院造形構想研究科在学の筆者で、我々はプログラムの設計から実施まで携わってきた。プログラムディレクターを担当したのは同大学造形構想学部クリエイティブイノベーション学科教授の長谷川敦士と岩嵜博論。 彼らはサービスデザインやソーシャルイノベーションデザインの分野では、長年に渡って商業的、教育的活動をしてきた。
背景:大量生産大量消費社会で見失った物の価値
物(ここでは主に人間が作った人工物を指す)は人間の生活のあらゆる場面で欠かせない存在で、人間の目的を達成し、生活を豊かにする役割を果たしてきた。しかし今日の社会において、人間と物はどういった関係性にあるか? 2020年に科学誌『Nature』で掲載された研究によると、人間によって生み出された物質の総重量は、地球上すべての生物の量を上回ったと見られている。
つまり、人間活動が地球の生態系や地質、気候環境などに与えた影響は、もはや無視できないほど顕著化されているということである。それが原因で、 現在の地質年代を「人新世」と名付ける提案もあった。
その背景にあるのは大量生産大量消費の社会である。近代以降の生産力の飛躍的な進歩により、資本主義が台頭し、利潤の増長を求めて更なる生産力の向上を求めた。するとニーズを超えた商品が大量に生産されて、生産余剰が発生し、その分をなんとか処理しなくてはならない状況となった。そこで人々のニーズを超えた欲望を引き出して、ショッピングを娯楽のようにパッケージングされ、さまざまな「流行」が作り出された、それが消費主義の誕生である。このような利潤を追求するための生産と欲望による消費の悪循環が続き、今日の社会のさまざまウィキッドプロブレムをもたらした。
このような社会的背景を踏まえて、本ワークショップの主な目的は現代社会における「物の価値」を再考することである。
ワークショップのプロセス
ワークショップの全体の流れは、サービスデザインでよく使われるダブルダイヤモンドモデルを参考に、以下のように4つのステップに分けた。大半が全てチームワークで、一番最後だけは個人ワークに移り、参加者がそれぞれのトランジションビジョンをアート作品の形で表現した。
五日間のワークショップの中で、 まずはを日常洞察から得た社会課題を、ウィキッドプロブレムに抽象化し、 問題が発生する前の歴史に遡り、未来社会の方向性を予想する。最後は個人の妄想からトランジションのビジョンを創り、アート作品の形で表現する。
学内での募集の段階で、視覚伝達デザイン学科、基礎デザイン学科、日本画学科などの8つの専門から応募者が複数出ており、最後に13名の参加者が選出された。これらの参加者には違ったバックグラウンドや制作についての考え方が持っていて、ディスカッションやチームワークにおける幅広い議論が期待された。
DAY1・日常目線から社会課題を捉える
一日目の目的はウィキッドプロブレムの複雑性を認識し、参加者自ら問題を分解して、問いを作ることである。そのため、まず参加者に「大量生産大量消費がどんなウィキッドプロブレムをもたらしたのか?」、「 それと私たちの日常生活とはどのようにリンクされているのか?」 などのような設問を与えて、参加者の個人的視点から日常生活の経験を振り返って、そこから課題の抽出をすることを期待する。
ただしウィキッドプロブレムは抽象度が高く、直接に言語化するのが難しい。そのため、まずは滑り出しとして個人的視点から出発し、日常生活の中での人工物に関する体験から問題を抽出した方がやりやすいと考えた。
ワークとしては、まず参加者にブレインストーミングで自分の観察や体験を書き出し、それをチーム内で共有する。次は皆で議論や整理を行い、そこから出てきた問題意識をまとめる。最後は分析的手法を使って共通する課題を言語化してみる。 それと同時に、ワークショップで触れた難しい概念をミニレクチャーの形で、参加者へのインプットも行った。
分析の段階で使ったのは社会科学系の研究でよく使われるKJ法と呼ばれる手法である(情報同士の親和性を見つけて統合図を作る手法のため、「親和図法」とも呼ばれる)。一般の帰納的手法とは異なり、外面から見た物事の関連性を超えた内在的関連性が抽出されやすい特徴がある。 そのため、言葉で正確に表現しにくい問題の整理には向いている。
例えばあるチームで参加者は、様々な場面でよく使われるSDGs(国連が提唱した持続可能な開発目標)と、SNSでよく使われるハッシュタグをグループ化し、キーワードや既成概念に頼りすぎて、物事の真の理解がおろそかになっていることが観察された。
このような流れを繰り返すことで、日常での個人の問題意識から社会レベルのウィキッドプロブレムへの抽象化ができた。
DAY2・多層的視点で物の歴史を遡る
大量生産大量消費社会によって生み出されたウィキッドプロブレムや物の存在自体を正しく認識するには、これまでの歴史を遡る必要がある。このパートでは、まずデスクリサーチを行う際に過去の歴史から、ウィキッドプロブレムに関連しそうな内容を抜き出す。最後にマクロ、メゾ、ミクロの三つレイヤーで多層的視点で時代ごとに人工物の特徴を整理する。
多層的な視点での分析する合理性は「入れ子階層(Nested Hierarchy)」という概念から来ている。私たちがいる世界はそもそもスケールの違った様々システムで構成されている。例えば地球の中に国があり、都市の中に住宅があるのように、世界は入れ子のように捉えられる。そして小さいシステムは自身で作動しながら、大きいシステムの一部としても機能している。 そのため、歴史上の出来事を孤立で見るのではなく、その周辺の階層から受けた、与えた影響もきちんと見る必要がある。
異なる階層間の関係性は複雑ではあるが、ビジュアル化によって時間の推移とともに起こる変化を把握することができる。 そのため、参加者は様々な事象をタイムラインに並べ、その間を線でつないで、このつながりが何を意味するのかを解釈してみた。
DAY3・アウトサイドイン発想で未来の兆しを見つける
ここからは未来の行方を予測するパートに入る。社会の方向性を分析するには、まずは技術の発展や人々のライフスタイルの変化などの様々な側面から情報を吸収し、アウトサイドインで発想するのが方法の一つである。 そのため、我々は参加者と一緒に大量の未来の兆しクリッピングを作成した。
また、アウトサイドインで発想する際には、以下の3つのフェーズの関係性を気をつける必要がある。
1. 事実(Fact):既に知っていること、既知の領域。 例えば、ガソリン車からハイブリット車や電池車への移行
2. 仮説(Hypothesis):「知らない」ことを知っている領域。 例えば一部の人は一度聞いたことがあるが、説明することができない「量子通信ネットワーク」
3. 外部性(Externality):「知らない」ことすら気づいていない領域。この部分を補完するには、しばしば外部からのインプットが必要。
そこで、アウトサイドイン発想を促すために、我々は作成した未来の兆しクリッピングを一箇所にまとめて、参加者全員に配布した。この部分を通して、参加者が外部からの情報のインプットができて、新たな刺激を受けた。 最後に再びKJ法を使って様々な兆しグルーピングして、一見無関係な事象の 内在的関連性が発見された。そしてアプトプットとしては、参加者自身の言葉でその関連性を解釈した「未来シナリオ」が複数作成された。
DAY4・長期的視点でトランジションビジョンを創る
これまで、現在、過去、未来についてそれぞれ調査と分析を行った。4日目には、これらのワークを一度振り返って、そこからウィキッドプロブレムが解決された未来を予想し、トランジションのビジョンを創る。
歴史から未来へ続くのタイムラインの中で、人工物と一番深く関わっているのは「日常生活」である。日常生活には文化、政治、技術、経済などの面から影響を受けていて、忠実に社会の変化を反映されている。そのため、この部分のにおいては以下のような質問を頭に入れながら、着想を得る必要がある:
1. 過去にどんな「日常」があったか?
2. 「日常」がどのように変化していたか?
3. 未来の「新しい日常」はどうあるべきか?
そのような日常の変化を捉えるために、参加者にはこれまでのワークで作ったマップを一つにして、過去から未来の流れをビジュアル化した。それに基づいて議論を行い、未来社会に対する自分の妄想を考える。 このような夢や妄想は「社会がこうあってほしい」というような個人を起点にした良い願いでもいいし、「こんな価値観を取り戻したい」という過去分析から出た呼びかけでもいい。
表現方法については、スペキュラティブデザインの方法を参考にしている。「スペキュラティブ」の本来の意味は、「不确かな情报に基づいた推測」であるため、不確実な未来へのビジョン創りに適している。
最後に参加者にそれぞれのビジョンを短時間でスケッチを描いて、全員に共有した。今までワークと違って、この日のワークは抽象的な概念や価値観を具体的な表現に置き換える想像力が必要のため、全体の中でも難易度が高かった。
DAY5・作品発表
最終日は、作品の発表と交流が中心であった。 ここでは一部の作品を紹介する。
1・PPE-EYE(ツノダハジメ)
作者は地方の出身で、初めて東京の電車に乗ったとき、「脱毛、転職、高いマンションを買う」などの広告に呆れた。過剰に注意を引こうとする広告情報、押し付けられた「正しい価値観」、都市に住む人々はこれらの人工物に日々意識が奪われ続けてきた。
AR技術やBCI(ブレイン・マシン・インターフェース)などの発達により、必要のない情報が生活の隅々まで侵入してくる未来社会の中で、作者はこのような問題意識を見せた:我々はどうすれば外部からの情報に左右されず、自分の判断を貫くことができるのか?
医療用語の中でPPE(=Personal Protective Equipment、個人防護具)という概念がある。感染症のパンデミックによって注目されるようになったマスクや防護服などがそれに該当する。そこからヒントを得た作者は、情報の侵入から個人の意識を防護する道具として「PPE-EYE1」メガネをデザインした。
2・未来からの白書(王卉)
価値観の多元化が進行する未来社会で、私たちはどのように外見を「選んでいく」のでしょうか?
内閣府が毎年発表する「国民生活白書」を原型に、国民の生活状況を記録した令和43年(2061年)版の虚構の「国民生活白書」を作った。
美容整形技術の高度化に伴い、手術を通じて自分の顔を変える人の割合は年々増加していた。 2061年までに、大半の日本人が整形手術で外見を整えることを選択し、美容整形業界は大盛況であった。 しかし、人々は過去のようにモデルや俳優のような顔に整形することがあまりなかった。
その代わりに、人々は同質化した顔に嫌がっていて、「宇宙人の顔」「海洋生物の顔」「空想上の生き物の顔」などのユニークな特徴を持つ外見が好むようになった 。
果たして人間が差別化やカスタマイズ化への追求は、いつか伝統的な美意識を越えるのか? その答えは今では出せない。しかし価値観がさらに多元的になったの未来社会は、現在とまったく違る世界になるであろう。
まとめ
5日間のワークショップの中で、異なるバックグランドを持つ参加者が、トランジションデザインのツールを使って、日常生活の視点からウィキッドプロブレムを分析し、ビジョンを構築するプロセスを体験した。 皆が創った作品を通じて、いいトランジションビジョンが満足すべき要素をいくつか絞り出した:
もちろんトランジションデザインにおいて未来のビジョンを描くも重要だが、それが目的ではない。 このワークショップが最終的なアウトプットを作品にした理由は、個人のビジョンが具体的な作品の形で提示することで、論理的に考えることができ、他人と議論して精度を上げることができる。
ただどんなに説得力のあるビジョンでも、それは実践するための手がかりに過ぎない。 そのため、いかに長期的ビジョンからバックキャスティングして、中期的ビジョンや実施可能なプロジェクトに落とし込み、実践しながらアップデートしていくことこそ、今後着目するべきところだと考える。
また、今回のワークショップの中でウィキッドプロブレムの言語化の部分に難しさを感じた。おそらく限られた時間の中で、ウィキッドプロブレムに関する概念を詳しく紹介できず、参加者の理解が追いついていなかったのが原因だと考える。 そのため次回のアップデートとしては、ワークショップで触れる専門用語や概念を事前レクチャーで紹介して、参加者の理解を促す予定である。
参考資料:
1. Elhacham, E., Ben-Uri, L., Grozovski, J., Bar-On, Y. M., & Milo, R. (2020). Global human-made mass exceeds all living biomass. Nature, 588(7838), 442-444.
2. https://bernardmarr.com/how-much-data-is-there-in-the-world/
3. https://techjury.net/blog/how-much-data-is-created-every-day/#gref
4. Geels, F. W. (2010). Ontologies, socio-technical transitions (to sustainability), and the multi-level perspective. Research policy, 39(4), 495-510.
5. 高橋裕行(2015)「コミュニケーションのデザイン史 人類の根源から未来を学ぶ」フィルムアート社
6. Terry Irwin (2015) Transition Design: A Proposal for a New Area of Design Practice, Study, and Research, Design and Culture, 7:2, 229-246
7. Irwin, T., Tonkinwise, C., & Kossoff, G. (2020). Transition design: The importance of everyday life and lifestyles as a leverage point for sustainability transitions. Cuadernos del Centro de Estudios de Diseño y Comunicación, (105).