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どんな世界になっても良いように自分の世界をつくる
明けましておめでとうございます。
今年も無事に明けました。
年始早々、虚無を感じた。
社会人になる前もなった後も、一日中家にいる日は3ヶ月に1日ぐらい、夕方まで家にいても散歩したり、近くのカフェに行ったり、欲しいものがなくても買い物に出かけたりするぐらい、外出することが好き。
先日、健康診断で、久しぶりに六本木に行ったら、なぜ外出が好きなのかということを理解した。
偶然性と新規性
家にいてネットやテレビから得られる情報は、自分が選択している情報だから自分の範囲内にある情報である(もちろん派生して新しい発見はある)。
一方、外に出ると知識の範囲内外に関係なく、街や他人にある情報を浴びることになる。
あ、今度こんな美術展をやるんだ
あれ、ここ、前居酒屋だったのにな
方言女子(Jokyo Girl)ってずっとあるけど儲かっているのかな
どんな人が行くのかな
あ、ここ、飲み会の帰りに寄った一蘭だ
あの時はまだ転職してなかったな
そんな思いもよらない感情になったり、発見があったり・・・
この偶然性と新規性が外出することのメリットだなと、自分自身が外出することで気づいた(このことに関してもずっと家にいたら気づいていなかったというか、言語化できていなかったこと)。
発見の裏返し
年末年始を自宅で過ごし、緊急事態宣言云々のニュースがあり、感じたのが虚無。
昨年の3月から本格的に感染症が蔓延してきて、5月には緊急事態宣言が発令され、私自身在宅勤務で3月から一回も出社することなく2020年を終えた。
一回りも二回りもオンライン飲み会をして、マスクも飽きるほど付けて、店頭にあるアルコール、入店時の体温測定、毎日なんとかして"最大数"を見つけ出し報道するニュースなど、すべてが感染症仕様に一変した環境にも慣れてきた。
オンライン飲み会は真新しさから、最初はたのしかったが、どうしても1対nの会話形式になり、リアルの飲み会の良さが半減というか、スピーチ形式になり全くない。ちょっと話すとき緊張するし・・・
ワクチンができた!と楽観したときもあったが、結局、感染者は増え続け、終わりの見えない、収束の傾向が見えない現状に対するものすごい不安を感じた。
不安の正体は、終わりが見えないことに起因する。
感染症を克服した状態はどのような状態かも定義できていない。
自分の意思で好きに外出できないことの圧倒的なもどかしさに気づいてしまった。
国の施策としてもGoToキャンペーン、緊急事態宣言などで、結局個人の行動に委ねられていて、それほど強制力もない。
一方で、私が国に対して、新しい施策を提案できることもアイデアもないので、文句を言う筋合いもないというジレンマも合わさっているだろう。
この感染症の厄介なところは人にある
一個人で自由にしたいと言えばできるだろう。
でも、その身勝手な行動が2週間後の結果をつくりだす。
人の目を気にしすぎることはよくないが、この感染症に関しては気にせざるを得ない。
捉え方や感じた方も人によって異なり、感染症に対するスタンスが違う。
まだ新しい概念だから、親しい友人でも、どのようなスタンスかはわからない。飲み会に誘ってみたり、会ってみたりして初めてその人のスタンスがわかる。全く気にしていない、気にしているが特にアクションしていない、徹底的に感染対策をしているなど。
どれだけ親しい友人でも、このスタンスに大きな違いがあれば、この人と合わないかもと感じてしまうかもしれない。それぐらい重要なことだ。
このスタンスが合わないこと、はっきりしていないことで、生きづらさやしんどさを感じている人はたくさんいると思う。
どんな世界になっても良いように
自分の世界をつくる
現状を悲観していても何も変わらないので、いまの現状を受け止めて、何ができるのかを考えることにした。
◆ 英語(毎年言っているような気がする・・・笑)
新調したiPadで毎日5分から小さく始めて習慣化させる
Netflix LLNも一緒に
3月にTOEICを受ける、今年中に750点
◆ デジタルマーケティングの勉強と実践
将来のキャリアとしてマーケティングを選択できるようにするため、今できるマーケティングをする
=SNSアカウントで実践して経験しておく
どんな世界になっても良いように自分の世界をつくる。
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