見出し画像

分断して統治せよ!思考停止するなVol.1

フランクフルト学派、分断統治、ショックドクトリン、、、私たちは支配者によって、感情・情動を操られ、ここ数百年ある系統の支配者によってずっと締め付けられてきた。世界を支配しようとする「今だけ、金だけ、自分だけ」精神に敢然と立ち向かった我々日本人は、原爆を落とされ、そしてその後の統治で牙を抜かれてしまった。
しかしそれで終わらない。今なおとどめを刺さんとばかりに締め付けは強くなっている。
日本人だけではなく、世界は戦争や感染症、気象災害、経済ショックなど、情動を操られている。
騙され続ける私たちが、騙されないために先ずすることは、その仕組みを知ることである。

今回はざっくりと分断統治について解説し、日本政界の新興政党による仕組まれた分断構造(二項対立)と、かすかな希望についてまで、話を展開したいと思う。

思考停止するな!第一弾


ローマ帝国における分断統治

 ローマはイタリア半島内のそれぞれの都市に対し、一律に支配するのではなく、与える自治権、市民権に格差をつけ統治した。
植民市自治市同盟市の三種類に分けて支配し、さらに都市間の関係を認めず個別支配をした統治形態。

  • 植民市(コロニア):市民権はローマ人と同等に認められたが、自治権は認められなかった。ローマ市民のみが入植したローマ市民植民市とラテン諸都市出身者の入植したラテン植民市とに区分される。

  • 自治市(ムニキピウム):ローマに併合されて自治権を認められた。市民権は民法面が認められる(上層市民のみ)。外交・軍事・裁判を除き自治権を認められた。ただし「完全な市民権」を与えられた自治市と、「投票権のない市民権」を与えられた自治市に区分される。

  • 同盟市(ソキイ):市民権、自治権のいずれも認められず、ローマの同盟都市のままとされた都市。理論的には独立国だが、領土の一部を割譲され、独立した対外政策を持つことができず、ローマ軍を補助するための兵力供出を義務づけられた。

以下のページから引用▼

世界征服をもくろむギャラクター/ガッチャマン

ローマ帝国はワンワールドの先駆けであり、漫画風に言えば「世界征服」思想の具体化のである。
多種多様な民族、宗教、言語などを一つにまとめて支配しようとしたものである。
少数が大数の人間・複数の民族をいかに支配しコントロールしていくか。それまでのノウハウがふんだんに使用され、実証実験され、応用され、そしてそれらの手法が発展していったと考えられる。

インド大反乱1857


先に紹介した動画に出てくる「インド大反乱」も簡単に説明しておこう。

反乱のきっかけ
インドがイギリスの植民地であったことは周知の事実で、欧米人の有色人種への搾取は過酷を極めた。そんな折、インド大反乱は起こる。
インドはヒンドゥー教とイスラム教が二大宗教である。
 1857年5月10日、メーラトの東インド会社軍の基地で、シパーヒーが反乱をおこした。彼らに新たに支給されることになっていた新式のエンフィールド銃の装填には薬包を使い、湿り気を防ぐために薬包の紙に牛脂・豚脂が塗られており、その端を歯で噛み切ってから装填することになっていた。それはヒンドゥー教徒にとっては聖なる動物の牛脂を口に触れることは許されないことであり、イスラーム教徒にとっては汚らわしい豚の脂が口に触れることになり、我慢できないことであった。シパーヒーの中にはヒンドゥー教徒もムスリムもいたので、彼らにとってそれぞれの尊厳を傷つけられることに強い反発が生じたのであった。

ヒンドゥー教徒もイスラム教徒もともにイギリスに反乱を起こしたのである。
インド大反乱以前の東インド会社軍にはインド人兵士約12~13万に対し、イギリス人兵士は約3万にすぎなかった。それでも苦戦しながらもイギリスがインドを抑えたのは近代兵器の使用によるところが大きい。
しかしながら、反乱後のインド統治はイギリス人兵士を6~7万に倍増する。

そして分断統治が進むことになる。

宗教による分断

インド内部で反英運動が起こってくると、その力をそぐために、今度は1905年にベンガル分割令を策定、ベンガル地方をヒンドゥー教の多い地域とムスリムの多い地域に分割しようとした。この政策に分割統治の典型が見られる。

マイノリティに権力を与え、民族間の溝をつくる

インド周辺での軍事的緊張が高まると、それまでの軍隊制度が手直しされ、「戦争種族起用論」が導入された。それは北西辺境州のパシュトゥーン人(イギリス人はパターン人と呼んだ)、パンジャーブのシク、ネパールのグルカが大量に募集された。こうして特定の少数民族、宗教集団、カースト集団が植民地軍隊の構成単位となり、これがイギリスのインド支配の支柱となった。

ミャンマーにおけるイギリスの分断統治

そもそもはビルマ人の国、ビルマーはイギリスの植民地支配により、単一民族・単一言語・単一宗教(仏教)から他民族・多言語・他宗教国家に変貌することになる。そしてミャンマーに。
そもそもイギリスはインドを植民地にしており、インドからイスラム教徒を、そして華僑を、そして山岳民族であった複数の少数民族を山からおろし、英語教育をおこないキリスト教にしていった。
こうし他民族・多言語・他宗教国家を作り上げ、さらにマイノリティに権力を持たせることによて、溝を深めさせた。
教育・金融・警察や軍、これら職業をそれぞれマイノリティである少数民族にさせ、農業従事者を大多数を占めるビルマ人にさせたのである。

他民族・多言語・他宗教国家にすることで、政治的課題や問題解決は一向に進まない状態が形成され、そしてマイノリティに権力などを与えることで、国内での対立が頻繁に起こり、支配者であるイギリスに対しては反乱を起こさない、むしろ国内問題の解決をイギリスに求めるようになるのである。
ごく少量のリソースで、容易に大数を支配する統治法である。

ちょうど、アメリカ大統領が変わるたびに、米国大統領の尖閣における見解を気にする日本政府のようで、欧米などにより東アジアの分断・領土問題を助長され、兵器を大量購入させられ、挙句の果てに、アメリカ政府様に東アジアの領土問題を依存する。
アメリカ?GHQ?などに分断され、東アジアでにらみ合う構造を作り上げられ、もしくは助長され、その根本原因ともいえるアメリカ様に救いを求めるのだ。

例えば、なぜアメリカが靖国参拝に失望するのか?

東アジアの(中国・韓国・北朝鮮・ロシア)のパワーバランスをアメリカの都合の良いものに維持したいという思わくはないのか。
東アジアのうち、日本・韓国は実質アメリカの属国状態。
中国・ロシア・北朝鮮はアメリカの敵対的国家といっていいだろう。

近隣諸国とは基本的に利害が相反し、関係がぎくしゃくすることはある。だが、アメリカ様の都合のいいように常に管理されているのではないか。
中国やロシアとは軍事的な緊張感が継続していたほうが、米軍の駐留費用を巻き上げる口実はできるし、兵器の購入を促すことができる。もとより日本は生殺与奪の権をアメリカにゆだねる状態であり、言いなりである。
反米親中を訴える旨はない。それこそ、近隣諸国とは戦略的互恵関係をそれぞれ結ぶ必要があるといったところである。
北をロシアに、南を中国ににらまれる日本は、この二国に挟み撃ちされるのが最も危険な状況である。中国・ロシアを対日本で団結させるわけにはいかない。むしろこの二国を分断することが日本にとっての安全保障の第一歩であろう。

欧米(特にアメリカ)に国力は吸収され、どんどん衰退していくなか、さらに近隣との軋轢を重ね、また、中国・ロシアの共通の敵に自らなるべきではない。安倍晋三がプーチンに一定の理解を示し、関係を構築してきたなか、ウクライナ戦争をきっかけにロシアとの分断は進んだ。それは欧米やアメリカに忖度した結果である。親米保守である高市早苗がロシアを挑発したのは記憶に新しいところだが、なんであろうが、自民党がこのバランスのなか日本にとっての最適解を選択するのは難しい。
そういう意味では頼みの綱の安倍晋三は暗殺されてしまったのだから。

ここまで進めてきて気づいていただけただろうか?


ローマ帝国・インド・ミャンマーなどの分断統治をまとめると、支配されている側は、国内、もしくは近隣地域で敵対し(分断され)被支配者は本当の敵を見失い、むしろ★本当の敵(最も搾取している支配者)に救いを求める構図のなのである。

ここで挙げてきたことだけでは、アメリカに日本は、、、東アジアは分断統治されているとは明言はできない。しかし、欧米諸国は戦後(ローマ帝国以降の戦争で)支配してきた地域・国で、すべからくこの分断統治をおこなってきた。日本に対してのみこれを行っていないと言えるだろうか。

★われわれが救いを求めている・依存しているのはどこの国だろう。

私たちはあらゆるレベルで分断統治されていると考える。


長くなったので、ここでいったん中断して、「日本政界の新興政党による仕組まれた分断構造」については、思考停止するな!Vol.2に書き記すこととする。

最後まで読んでくれてありがとう!よかったら「いいね」「スキ」を押してね💛

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?