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学ぶということ

 最近、子供が塾に行き始めたのですが、他の生徒より2,3カ月遅れて入ったのでついていけないらしく、問題の解き方をよく聞いてくるようになりました。まだ中一で、質問の多くが数学なので何とか教えられます。

 分からないと言ってくる問題は、色々なエッセンスを組み合わせないと解けないもので、確かに難しいなと思います。そんな問題では決まって、「こんなの習ってないから解けるはずがない」と口にします。(入塾するまでに進んだ範囲が分からないことの愚痴です)

■塾の宿題のお手伝い
 さて、気になるのは、「教えてもらわないと解けない」と考えていることです。思わず「人生には習ってないことばかりなんだぞ」と言いたくなりますが、彼には響かないと思うので、解き方をレクチャーしています。

 私の世代も同じですが、小中9年間で少しずつレベルアップする習熟度別のカリキュラムで教育を受けます。この教育制度は素晴らしいと思うのですが、順序通りに「問題が与えられる習慣」が身についてしまうのではと感じます。

 教育現場をあまり知らないので、色々な改革取組もされていると思いますが、大枠では受け身の教育で、自分に必要なことを見つけて学習する機会は少ないと思います。

■学ぶということ
 実はこの教育の考え方は、高校、大学と続き、会社でもある程度カリキュラムに沿って育成するモデルが採用されています。このモデルが採用されるのは、画一的に大量の人を一定のレベルに上げるのに非常に効率がいいからです。

 自分で課題を見つけてそれを解消するために学習するのではなく、会社があなたのランクではこのスキルが必要なので習得しなさいよとか、次に上がるためにはこの知識が必要ですよと言ってくれるわけです。もちろん、会社は学校ではないので、小学校のような丁寧な育成ではありませんが。

 でも実際は、新入社員でも会社経営の手法を理解している方が仕事をしやすいこともあるでしょうし、課長になってもプログラミング能力を問われる機会はあります。年代や職位にかかわらず、主体的に課題解決しようとすればそうなりますし、コロナをきっかけに社会が大きく変化する中で、その機会はもっと増えていくと思います。

 部長・課長でも、リーダーでも新入社員でも「問題に直面したとき、解決するために必要な能力」は主体的に身につけておく時代になったのだと思います。

■私たちの仕事とスキル
 私たちは知らない問題、分からない問題に直面したとき、対応方法を検討するのが仕事です。習っていない初めての問題に対して、何を課題と捉えて、如何に答えを出して行くかという仕事にシフトしていかないといけません。

 既知の問題であれば、過去の実績を調べれば対応方法が出てきます。同じことで悩んでいる人が一定数いる問題なら、GooGleで調べればすぐに答えが見つかります。

 ただ、我々が業務として扱う問題は、Googleで答えが見つかることはまずないと思います。プロジェクトの進捗が遅れているときの挽回方法は一般論として掲載されていますが、「プロジェクトの進捗が遅れる真の課題が何で、それは何によって解消されるのか?」はケースバイケースで一般論だけでは、解決できません。

 昔のように、「進捗管理ができてない」といった単純な問題はほとんどありません。きちっとやっているはずなのに、課題が出る、遅れてしまうとか、問題は明らかだけど解消方法が見つからないといった問題を解く必要があります。

 そんな時代に、画一的な教育だけでは対応できません。自分に欠けている能力は何か、それを身に着けていくには何をしなければいけないかを常に考えながら日々の業務を実施していく必要があると思います。

以上