Bar ZEBEC の Negroni

「抱ける女が抱けなかった女に敵うわけはない」という理論。わかる。
認めたくはないが、抱かれることができなかったかつての好きな人は、どこか段違いの崇高なところにいる。その人はつい先日、父になった。それは素直に、おめでとう。
でもわたしは今、恋人と抱き合いながら暮らしている。曝け出し合いながら。敵うとか敵わないとかの次元を超えた愛情を目指して。正解とか不正解ではなく、ふたりが一致団結して同じところを向いて歩むのが良いのだと思う。
父になった彼も、それを妻としているのだろう。わたしとではなかった。それだけのことだ。

2018年3月22日

Bar「ZEBEC」は、恋人への恋愛感情が芽生えた頃によく訪れていた。恋人の気持ちを敏感に想像しながら、仕事後に送られてくるであろう彼の返信を今か今かと待ったり、小さな既読の二文字がついたらついたで落ち着かなくて身悶えたり。そんな面倒な数々の心理を、あらゆるカクテルに受け止めてもらっていた大切な場所。
自分の気持ちの重たさがしんどくて、意識を吹っ飛ばすような感覚を得たくなり、体力の限界を感じながらも次々に強いお酒を渇望してしまう(大抵は「La vie en Rose」という、バーテンダーGくんのオリジナルから入り、ギムレット、サイドカー、フレーバーウォッカなどを経て、ガツンとくるネグロー二に到達する。時にはそのネグローニをエンドレスでリピートする)。
今では、そんなふうに悶々としながらZEBECで恋人を待ちわびる必要がなくなった。あの頃思っていた「誰かに幸せにしてほしい」ではなくて、「一緒に幸せを分け合おう」が大切だと、感じるようになった。

2018年3月23日

わたしは明日の仕事の準備をしていて、わたしの好きな人はまだ少し飲みたいと言ってビールを片手にキッチンで何かつまみを作っている(恐ろしく香ばしい良い香りをさせながら)。干渉し合わないけれど同じ空間にいる心地良さが好き。
部屋ではほとんど全裸なわたしとは違い、恋人はいつも礼儀正しく洋服あるいはパジャマをきちんと身につけているのだけど、パジャマでベッドに入っても結局すぐ脱ぐことになり、事を終えたら力尽きてほぼそのまま寝てしまうので、始めからパジャマ着ないでベッドに入れば良いんじゃないの?と思うと、微笑ましい。
性感帯の大部分は、本当に「脳」だと思う。どちらかが想像上の設定で行う兆候を示し、相手はそれを察して、応じる。信じられないほど気持ちが良い。終わったあと互いに驚いてしまうほどに。そして妙に「楽しかったね」という感触が残る。
眠りに入る前は、手を繋いでおやすみのキスをするのだけれど、そのキスはいつだって手短に終わるわけがなく、言葉にならない想いを交換し合うみたいにものすごく長くなる。けれどそのキスで再び性的な気分が高揚してしまった兆候を察すればそれに応じるし、そのままあたたかい気持ちで眠ろうってなっても尊重する。

2018年3月31日

上着を一枚羽織れば、夜でも凍えなくなった季節(今シーズン初めて下ろしたライダースジャケットのレザーの香りが大気に溶けて漂う)、春がやって来た。
桜は、そろそろ撤退しますみたいな控えめなオーラを放ち、それに代わって柳の新緑が池の水に届かんばかりに生い茂り、都会なので星はないけれど月は朧げに光っている。
わたしが佇むこの橋の上に、今から恋人が迎えに来てくれると言う。歌手としても女としても、こんなんじゃダメだ!もっと成長しないと…みたいな思いに苛まれることも沢山あるけれど、恋人がくれる幸せの最中にいて日々への向上心をすっかりどこかに置いてきそうになることは、こんなに美しい春の夜である今夜だけは許して頂きたい。

恋人が橋の上に現れ、お付き合いしてから9ヶ月ですという日付になった。まだたったの9ヶ月なのだけれど、「ありがとう。ずっと一緒にいようね」と伝え合った。
これが9年になり、10年、20年になり、すっかりおじいさんとおばあさんになったその日にも、「ありがとう。ずっと一緒にいようね」と言い合えたら本当に嬉しいというのが、シンプルに将来の夢。

2018年4月2日

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